KUROMIMIには本が足りない。

KUROMIMIには本が足りない。

活字がないとダメ系ヲタク。小説・音楽・詩・ときどき映画。自作の小説も書いてます。

いつか、描きたい線がある。

 

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いつか描きたい線がある。

昨日、バッテリーの表紙を模写していた。


あさのあつこ/著「バッテリー」だ。

思えば、この作品がわたしの人生に初めての佐藤真紀子との出会いをもたらしてくれた。

彼女の挿画を手にしたいがために、全巻ハードカバーで揃えたほどだ。

無論、小説自体もとても好きだったのだが。

幼い頃から幾度となく胸をときめかせてきた曲線をしばし夢中で辿った。

すると、いかにその線が優れているのか痛いほどわかった。

描かれているのは、中学一年の主人公、巧がジャージ姿で横を向いている姿。おそらく彼はこれから早朝のランニングへと出掛けていくのだろう。

その息遣いまでが聞こえてきそうな絵だ。

ラフなタッチで描かれているのに繊細で。

直線的で少女とは全く違う首と顎のライン。

だが、まだ華奢さが残っていてどこかあどけない。

緩く引き結ばれ、どこか見下ろすように尊大な表情には憂いが紛れている。
表情に少年の人格がありありと顕れていた。

冬の清浄な空気を感じる、美しい一枚だった。

とてつもなく凝縮された気配が全ての線に込められていた。

彼女の曲線を空気感を完璧にトレースするには、気の遠くなるような書き直しが必要なはずだ。

仕事中だった私は描く手を止めた。

これではキリがない。私には時間がないのだ。

ーーーいや。これも言い訳か。

この領域をいつか私も知ることができるだろうか。絵を愛して、才はない私でも。

『無理だろう』

「下手の横好き」という言葉すら、私には勿体無い。


私は結局、執着出来なかった。

絵を描くことに。

楽しむことの向こう側に、私はゆけない。

 

それでも、焦がれてしまう線がある。

そんな夕べだった。

わたしと相対性理論。

 

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透き通るような声に、価値観が揺らぐ。

クロミミと相対性理論

#クロミミ的音楽
#クロミミと音楽

わたしが相対性理論と初めて出会ったのは、中学生の頃。

ラジオから流れてきた「恋は百年戦争」。
一度だけ聞いたそのサウンドが忘れられず、TSUTAYAに借りに行ったのだった。

物語性のある歌詞、可憐でありながらかっこいいメロディーライン。ところどころに見え隠れする加工された狂気。

ーーーそしてなにより、やくしまるえつこの気怠く少女めいた声。

その声を聞いた瞬間からわたしはもう虜だったような気がする。

シャウトするボーカル、早いリズム、激しいドラム…それがロックだと思っていた。

それが好きだし、カッコいいと思っていた。

ところが、これは違う。

なのに、最高に洒脱。

なにこれ。

その認識はあれから十年以上が経った今でも変わらない。挑戦的なサウンドをこの上なく愛らしい声でやる。

ゾクゾクするほど ロック。

相対性理論には柔らかな渦に巻かれていくような、呪いめいた魅力があると思う。

明るいベールに隠された毒気にゾクっときてしまう。

わたしはもう取り憑かれてしまったみたいだ。

中学校で憂鬱な時は「四角革命」「学級崩壊」を聞いた。

受験は「三千万年」とともに乗り越えた。

大学に入ってからは友達とカラオケで「小学館」や「気になるあの娘」や「YOU&IDOL」をデュエットした。

バイトで辛い朝はいつも「天地創造SOS」を聞いていた。

そして今は、「スカイライダーズ」がわたしの心を占めている。

わたしにとって相対性理論はずっと心の清涼剤だった。

やくしまるえつこといえば、やくしまるえつこメトロオーケストラを思い出す。

けれどわたしはやっぱり相対性理論の方が好きみたい。

彼らのサウンドは明るいのにどこか仄暗い。

可愛いのにカッコいい。

懐の深い音楽。

どうしようもなくて、ろくでもないわたしでも、許されてもいいかもしれない。

片時でも、そう思わせてくれる。

そんなバンドが相対性理論


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詩・六月十四日

紫陽花が色づいて 産声を上げた

 


この季節を愛せないまま 大きくなって

 


私はまた 好きと言う言葉が嫌い

 


一雫ごとに色を増す花

 


なんだか ずっと怖いの

 


綺麗すぎるから

 


綺麗 は 嫌い

 


責められているみたいで

 

 

 

 


雨の降る日は 綺麗な季節

 

 

 

 


綺麗になれないまま大きくなって

 


いつのまにか 大人と呼ばれる

 


何にも変われないまま

 

 

 

だから もう決めたの

 

 

 

極彩色の地獄さえ 愛してみようと

 


だって変わらない。

 


だから 雨の季節は憂鬱

 


綺麗すぎるから。

 


醜くさせるから。

 

小説・『海のなか』まとめ4

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どうも。クロミミです。

 


今回は連載小説「海のなか」の(18)から(21)をざっくりとまとめていきます。お付き合いください。

 


いやはや。いつぞやこれからは更新頻度あげますとかのたまったアホはどこでしょう。ここです。

 


ほんまに有言実行のかけらもねえクソ野郎ですな。ほんま恥ずいわー。

 


というわけでいつも通り更新頻度ゴミなので、忘れた人も多いと思います。

 


実はひっそり最新話を先日公開済み。

 


「海のなか」(21)まだ読んでないよって人は「海のなか」タブから飛んで読んでからこっちのまとめを見ておくんなまし。

 


いやはや

ようやく更新回数を20超えましたね。

章も第六章おわって、今度からとうとう第七章に突入します。

 


もう一年以上経ってしまった。正直もっとサクサク行くと思ってましたよ。いやーー仕事と自分の体力の無さ舐めてたごめん。

 


海のなか(18)

 


沙也と愛花のクラス(A組)を出た陵は沙也とともに生徒会の仕事へと向かう。その道すがら二人は「あること」について話すのだった。

 


海のなか(19)

 


図書室へと夕凪を探しに向かう愛花。その途上で彼女は陵との出会いに想いを馳せて…?

 

 

 

海のなか(20)

 


図書室で夕凪を見つける愛花。しかし、夕凪の様子はいつもと異なっていた。

 


海のなか(21)

 


図書室の片隅で物思いに耽る夕凪。その胸中とは。

 

 

 

マジでざっっくりまとめるとこんなかんじ。

 


更新すごい空いてしまいましたが、できれば20と21は続けて読んでやってほしいです。同じ場面を違う視点で見てるやつなんで。

 


あと、この二つは作中のどこかの場面と重ねて書いてます。どこでしょうねぇ。

 

 

 

そんなこと考えながら読んでもらうと面白さが少し増すやも。

 


この辺りから少しずつ伏線を強めに張ったり回収したり。これから話が進むにつれて、ずっと謎の人物だった「青」と言う人物が少しずつわかるようになるはず。

 


今物語は起承転結の転に入り始めたところ。そろそろ大きな動きがあるはず。お楽しみに。

 


それではまたお付き合いくださいませ。

 

 

 

小説・海のなか全話へ→ページ上部海のなかタブから

 


その他の小説→小説タブから

 


飛んでください。

 


海のなかのまとめ記事には→海のなかまとめ タブからとぶことができます。

 

小説・海のなか(21)

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前話はこちら。

 

 

 

kuromimi.hatenablog.com

 

 

 


***

 


 座っているのにそれより深く、落ちて行くような感覚だった。わたしを支えるものが消えてしまった。

 図書室はいつも静かだ。わたしの知る人は、誰も来ない。だからここにいる。いつだってそうだった。わたしの中では人恋しさと孤独への欲求が並び立っている。誰にも必要とされていないから。窓から見下ろすと、遥か下に空虚な校庭が広がっている。その空白さえもが胸をざわつかせた。顔を上げると、微かに海の端が見える。凝らせば凝らすほど目を開けていられなかった。きっと強い風で渇いてしまうからだ。海から視線を逸らすとまた、身体は安定を失いゆらゆらと崩れ始める。

 一体このまま、どこまで落ちて行くのだろう。   

 ーーーここには底がないのだ。

 青と出会ってからの毎日は寝ていても醒めていても、夢の中にいるようだった。全てを曖昧に溶かしてしまう、海の底。あの場所にわたしはもうたどり着けない。青は変わらなかった。あの場所も優しいまま。ただ、わたしだけが変わってしまった。

 人は生きている限り、移ろうものだ。

 けれど、青は違う。変わらない。

 彼だけは不変だ。

 青の微笑みも美しさも冷たさも。何もかも。時が止まったようにずっと同じ。だからこそ信じられた。心から安らいでいられた。それなのに。

 ーーーまるで生きていないみたいだ、と最近は感じてしまう。

 左足に手を沿わせる。そこには溺れたあの日からただ一つの証が刻まれていた。青の実在を示す痣。ゾッとするほど深い色だ。鬱血したような痕なのに、ちっとも痛くない。あの日からずっと。この色だけでわたしを縛っている。このまま、海に行かないのなら青との繋がりは痣一つだけ。そう考えるだけで恐れが満ちて息が出来なくなった。

 青は言った。

「わたしに会いたかった」

「わたしを待っていた」

 それなのに、いつまで経ってもその理由がわからない。理由が欲しかった。わたしがあの場所にいてもいい理由。わたしがあの場所を手に入れるに足る理由が。

 寄る方を求めるように窓枠に頭を預けて視線を彷徨わせた。見える景色は反射されて、わたしの中に入ってこない。光に満ちた外界が落とした影で内部は仄暗く満たされている。

 行き止まりだった。青とわたしの関係は。青はわたしに理由のない優しさを与え続ける。わたしは奪い続ける。わたしから青に与えられるものは何もない。いつしかそれに耐えられなくなった。なんの代償もなく与えられるものなんて、信じない。わたしにとって無償で信じられるものはこの世から消えて久しいのだから。

だからこそ、青に会うたび問おうとした。いくつもの「なぜ」を。理由を知って安心したかった。できないまま、秋になってしまった。ーーー本当の意味では青に心を許していない。これまでの生き方がそれを許さなかった。何も信じなければ、裏切られることもない。関わらなければ失うこともない。今更この生き方を、変えられない。

 でも。本当はもう手遅れなのかもしれない。青にわたしは期待してしまっている。欠けているものを埋めてくれるかもしれないと。彼に会わないことで、ここまで喪失を感じている。

 わたしは執着しているみたいだ。何かに溺れることに。あの母のように。

 あの色鮮やかな世界はもう青に関わることでしか得ることが出来ない。こうしている間にも青に二度と会えないかもしれないと怯えている。

 だからこそ、今は会いたくない。

 それは呪いのような言葉だった。わたしを強くする呪い。耳元では、わたしから遠ざかる青の足音が聞こえる気がした。

 その時、背後で小さな物音がした。

 ーーー青が、去ってしまう。

 「ーーっまって!」

 それは絶叫に近い響きだった。振り向きざま伸ばした手は届かない。視線の先にある腕は褐色に焼けていて、青には似ても似つかない。強い色が目の奥まで染み込んでわたしの正気を呼び戻した。

 目の前にいるのは少女だった。妹尾愛花。

 わかった途端、顔が燃え上がるように熱くなった。羞恥と失望と安堵に境目なくかき乱される。

気がつくと、わたしは言い訳のように呟いていた。

「シフトだから、いくね」

 妹尾さんの横を通り過ぎて、図書室の外に出るまで息も出来なかった。知らないうちに足は駆け出していた。一呼吸でもしようものなら、何かが溢れてしまう。そんな予感に急かされながら。

 どこをどう走ったのか、覚えていない。誰もいない階段の踊り場で足を止めて肩で息をすると、同時に大粒の涙が溢れた。理由がわからない。泣いているわたしにさえ。

 この涙の理由は、なんだ?

 とにかく情けなくて、やるせなくて目が痛くなるまで泣いた。

 この涙と違って、青の優しさに理由があることを、願いながら。

 


***

 

第六章おわり。

海のなか(22)へとつづく。

 

次話はこちら。

 

 

kuromimi.hatenablog.com

 

わたしとサカナクション。

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理解できないものがあるって、素敵。

#クロミミと音楽  その4

わたしとサカナクション

わたしがサカナクションを聴き始めたのは、多分中学の終わり頃。たしか、テレビか何かで「ミュージック」を知ったことがきっかけだった。

そんな入り口から入ったせいなのか、なんなのか。わたしは途中で歩みを止めてしまう。

あまりに挑戦的なサウンドに「良さ」がわからなくなってしまったのだ。

おそらく、それまでわたしはロックの中のロック。と言えるような楽曲にあまり触れてこなかった

どちらかと言えば、それまでの傾向はJPOP寄りだった。

友人から勧められて、いきものがかりを一通り聞いていたりもした。知っている曲といえばアニソンとボーカロイド

ロックといえば、

BUMP やRADばかり聴いていたせいだろうか。(かなりハマっていた。BUMPについてもいずれ話さねばなるまい。)
わたしの音楽の幅は狭かったと言える。

だから、初めて触れるものを理解できなかった。

ある時、「サカナクション」と同じ名前のアルバムを聴いた。

いいとも悪いとも言えない味がした。飲み込めない。というのが近かった。

それきり、サカナクションへの熱は一度冷めた。

そこからモヤモヤすることおよそ三年くらい。
わたしはもう大学生になっていた。

サカナクションをそのままにしている、ということにずっと引っかかりを覚えながら生きていた。

また聴き始めたのは本当に気まぐれだった。

すると、嘘のように夢中になった。

今では殆どの歌を歌えるほどに聴き込んでいる。そのサウンドに、歌詞に魅了され続けている。

楽曲では特に、「夜の東側」や「開花」や「多分、風」が好きだ。このバンドのおかげで寺山修司と言う素晴らしい詩人にも出会えた。

わたしがこのバンドの良さに気がつくことができたのは、おそらく挫折に慣れていたから。

読書をする上で、理解できないものに出会うということは、日常茶飯事だったから。

だから、わたしは

理解できないものを「理解できないまま」にする。ということができたのだ、と思う。

たまに理解できないというだけで、「嫌い」と言う人がいる。

それってほんとに「嫌い」なんだろうか。

理解できない、と言うことは確かに不快を生む。

しかしわからないと思ったことは、ひとまず「わからない」の箱に入れてみてはどうだろうか。

判断を下さない、と言う判断を下してほしい。

すると、時間が経つうちに、

それは理解できないものから理解できるものに変わる。少なくともそう言う可能性を秘めている。そうしてそれが強烈な「好き」に変化することもある。

幼い頃は白黒はっきりしたことが好ましかった。

二者択一は簡単だ。

けれどそれだけじゃつまらない。

毎日の進化や変化に身を任せてみるのもなかなか面白い。

そんなふうに思う、大人のわたしだ。

クロミミはクロミミははてなブログにて「KUROMIMIには本が足りない。」を更新中。連載小説最新話を練り練りしてます。お楽しみに。本日、新作の詩をアップしております。ぜひご覧ください。

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わたしとキリンジ

 

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#クロミミ的音楽

 

 

 

DNAに組み込まれたサウンド

 


わたしとキリンジ

 


キリンジといつであったのかはもう思い出すことすら不可能だ。

 


ただ、母が聴いていた事だけが確かで、それがきっかけだったのだろう。

 


気がついたら知っていて、気がついたら歌えるようになっていた。

 


少なくとも9歳の頃には勉強をしながら聴いていた記憶がある。

 


無論、同年代の友人とキリンジについて語れるものなど一人たりともいなかった。

 


(そもそも幼い頃のわたしには友人と言える人間などほぼいなかったので、それはさした問題ではなかった。)

 


あの頃は、みんなの話す速度が早すぎて、会話に加われば完全に置いてけぼりを喰らった。ひたすら聞き取れない。ほとんど異国語に近かった。

 


あの頃のわたしは周りから見ればきっと異星人だったに違いない。

 


社会化された今のわたしにとっても、幼い日の自分自身は到底同じ人間とは思われない。

 

 

 

ともあれ、そんな幼く孤独な時分からわたしと共に存在したものの一つがこのキリンジであった。

 


小学生のころは

47'45"というアルバムがすきだった。とくに、

 

 

 

中学生のころは

スウィートソウルに入っている「愛のcoda」や「ブラインドタッチの織姫」ばかり聴いていた。

 

 

 

高校生のころは、「Ten」や「7」などのちょっと尖ったサウンドに聞き入っていた。今でも好きな曲ばかりだ。

 


大学に入ってからはもっぱら原点回帰して、「ペーパー・ドライヴァーズ・ミュージック」なんかを聴いてばかりいた。ダンボールの宮殿にはまって呪われたように聴いていたのもこの頃だった。

 

 

 

そして、今。

 


この頃の楽しみといえば、月に一度帰省した折に、家族3人でキリンジを歌う事だ。暇を持て余した父がギターでキリンジを練習し始めたことがきっかけだった。

 


「フェイバリット」や「Drifter」なんかを歌うことが多い。

キリンジはクールな歌いぶりがかっこいい。最高にクールだ。

 


母はいつも文句を言う。

 


それでもわたしは歌い上げてしまう。

 


だって、キリンジはわたしを嬉しくさせる。

 


昔から。

 


いつでも、何度でも。

 


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