KUROMIMIには本が足りない。

KUROMIMIには本が足りない。

活字がないとダメ系ヲタク。小説・音楽・詩・ときどき映画。自作の小説も書いてます。

小説・異域にて。

     祖父が死んだ、と聞いたのはずいぶん夜遅くのことだった。 もうすぐやってくる「昨日」と「今日」の狭間に滑り込むようにしてその報せは届いた。内容の意外さにわたしの心は束の間空虚になった。

  死を告げた母の目はこぼれ落ちそうに震えている。充血した瞳がにぶい驚きを遅ればせながら引き出す。母の瞳からいずれ溢れるものを思うとわたしの心はしずかに沈んだ。

   眠気でまだうっすらと霞がかる頭で母の顔をみて、どうしようもない気持ちになる。わたしはまた味わうのだ。あの孤独を。いつかの葬式の光景が脳裏に翻る。わたしだけがあの目からこぼれ落ちる熱を感じることができない。遠い昔の残酷な気づきがまたやってくる予感がした。いや。予感というには厭な確かさを含んでこの感覚は身の内に落ちてきた。確かな実態もないのに、降る雨のように逃れ難い。わたしは片隅で疎ましさと同等の懐かしさを噛み締めていた。それは、みずみずしい果実のように香り高くわたしを掻き乱した。

『やっとこれで楽になれるだろう』

いつのまにか言い訳のように頭をよぎったのは、祖母のことだった。もっとも、本当の主語は違うのかもしれない。不意に誰かが言っていた言葉を思い出す。

「人間は若い時はリアリストだが、老いるにつれロマンチックになる」

あの言葉はどうやら本当だったらしい。そのときは自分が残酷なのか、若さが残酷なのかわからなかった。わたしか若さが残酷なのは確かだった。けれど一方で、別の思いもひっそりと頭をもたげた。

   わたしがわたしを実際以上に残酷にしているーーー。こういう時はいつもそんな感覚にとらわれる。目覚めたまま無自覚にみる、ひどい悪夢にうなされているような。本当は悪夢だとわかっていながら夢から覚めることをどこかで拒んでいる。わたしは恥知らずにもこの悪夢に毒されている。幼い頃から。誰かの死の味を忘れられないから。昔から、死に近づく時の心情はあまりにも屈折とねじれがひどくて、自分自身のものという感じがしなかった。

どこかで、囁きが聞こえる。

「わたしはやっと、楽になれる」

わたしも若さも、残酷だった。

 


***

 


祖父の葬式が行われたのは、祖父の死を知ってから約1日後だった。何かを焦っていると感じさせるほど事態の進行は急性で、わたしはただ見ているだけだった。

今までほとんど意識したことはなかったが、祖父はクリスチャンだった。知っていたはずの事実をもう一度飲み込む時、一緒に一つの像が心の何処かからか浮かび上がってきた。それはちいさなメダルだった。親指の先程のくすんだ銀色のメダルだ。祖父が生まれたばかりのわたしに贈ったものだった。メダルは伸びきった白いゴムひもに繋がれてどこかにあるはずだった。光を失った銀色のみすぼらしさは心にさざ波を立てた。とっくに手放してしまったのかもしれない。不意に不安な疑惑が芽吹く。小さなゴミ箱の上に落ちていくメダルをできるだけ鮮明に想像してみる。その光景はいつか見たようにはっきりとしていた。不意に掌が失落にざわめいた。小さなメダルをこの手から滑り落としたときのように。あのメダルがどこに行ったのか、わたしにはもう見当もつかない。

  葬儀はいままで出席した式とは違い、キリスト教式で行われた。葬式を取り仕切ったのは、祖父の戒告を世話する予定だった、という韓国人の司祭だった。祖父は戒告を受ける間近だったのだと司祭は言った。大柄でゆったりと動くひとだった。祖父は戒告で何を告白するつもりだったのだろう?司祭の白くて広い背中を目で追いながら不思議に思った。宗教のことはわからない。わたしの通う大学はカトリック系の女子大だったが、わたしは今だに神を信じる気にはなれなかった。なぜ、罪を告白するのだろう。告白された罪はどこへ行くのだろう。通夜の間中、既視感のある問いが渦巻いていた。

  だだ、なぜ神が必要とされたのか、いまならわかる気がした。みんな罪を告白したがっている。綺麗になるために。そのために宗教という入れ物を用意し、神というゴミ溜めを必要とした。もしも神に人格があるとするなら、神はわたしたちを許さないだろう。罪の告白は彼にとって永遠に続くレイプに近いだろうから。

  わたしは神を信じていないくせに、しばしば神について、宗教について考えざるを得なくなった。

『わたしは神から逃れられない』

  不意に生まれる思いは喜びと疎ましさの両方を生んだ。元々わたしは「信仰」を持たない人間だった。人に対しても何に対しても。言い換えるなら、ある種の「無信仰」を信仰したがる嫌いがあった。そして信仰されることも同じように恐れていた。いつでも夢中になるのは実態のない空想のような、現実で直接の力を持たないものばかりだった。だからこそ神という概念をことさらおそれた。実在が怪しいというのに、あんなにも強く人の心を揺さぶる。大学に在籍した数年で思い知ったのはたったそれだけのことだった。

いつも奥底で響いている思いがある。わたしは神が恐ろしい。わたしは空白が恐ろしい。わたしは愛が恐ろしい。だから愛せないし愛されない。わたしは自分を呪うことをやめられない。もう思い出せないほど昔から。

  それでもきっと求めてしまう。どこまでも深く溺れて行ける存在を。この想いが狂信的な信仰とどう違うのかをわたしはうまく説明できない。

式が進行するにつれ、ますます不安にゆさぶられた。自分は本当に悲しんでいるのかと。11年前の曽祖父のときも、6年前、父方の祖父の葬儀でも泣けなかった。あれは烙印だった。

「お前は欠けている」

    だから、式の最中涙が流れるたびに安心していた。あのとき、ほかに何を考えるべきだったろう?ただ単純に悼むことが一番難しい。他の人はきっとこんなこと考えもしないだろう。きっとわたしの涙の味は他の涙より薄い。口にしみる涙の味は感じることもできないほどあっけなく消えて行った。

そうしてわたしは恐ろしさに背を押されるようにして聖歌を誰よりも大きい声で歌った。「いつくしみふかき」という、有名な曲だった。それ以外にもたくさん歌った気がするけれど、結局忘れてしまった。

きっと同じことを繰り返してしているだけなのだろう。そう、無意味で空虚な繰り返しに過ぎない。6年前のあのときも、ずっと仏前でお経を詠んだ。今でも般若心経を暗記している。今思えば、あれは言い訳に過ぎなかった。でなければ、あんなに心が虚ろになるはずがない。

式が進み、いよいよ献花の時になった。これで「祖父」と会うのは最後になる。そのとき心のどこかがざわめき、また一筋涙が流れた。それは不誠実な涙だった。少なくとも祖父のために出た涙ではなかった。

  指先で触れた祖父の遺骸はわたしの肌を犯すほど冷たかった。あまりにも冷たいので、それ以上触っていられなかった。肌の冷たさを感じたとき、死が立ち上がり目の前を覆った。その感触は生前の祖父とはかけ離れているはずだった。祖父と最後にあったのは、彼が死んだ日の夕方だった。あの時触れたぬくもりの薄い、骨ばった手の感触をまだおもいだせる。それだけに、身体中を感覚が巡り、生と死が曖昧に混ざりあっていた。どうしようもない嫌悪感が腹の底で疼いている。死人の蝋のような肌が昔から大嫌いだった。それなのに、手が離れた瞬間また触れたいと思っている自分がいた。柩に差し入れる花は肌に再び触れるための口実でしかなかった。

   行き場を失った手を彷徨わせながら、再び最後の日の夕方へと心は帰っていく。わたしは祖父を見舞うことを極端に避けようとした。両親にきつくたしなめられても、やめることができなかった。きっとあの匂いのせいだ。芳しく酔うような死の気配。死ぬ前の祖父は濃厚な気配を漂わせていた。目の奥で病にむくみきった祖父の足が鮮明に蘇る。あの時からすでに足だけは蝋のような色をしていたのだ。むせかえる死の匂いに惹かれながら同時に恐れてもいた。惹かれることを恥じながら、恐れることを憎みながら、あの場所にいることがわたしには苦痛だった。

もしかしたら、今わたしはここ数年ついぞ感じることのなかった「死臭」に惹かれているだけなのかもしれない。誘蛾灯に群がる羽虫のように。死をこの手で確かめてみたかった。経験できない未知をもっと味わいたかった。

  棺から手を退けた次の瞬間、自分の手が汚れているように錯覚した。手の先は熱を帯びているのに内側は冷えていった。それからわたしが祖父の骸に触れることは2度となかった。耳の奥では美しい女の声がまだ「いつくしみふかき」を歌っていた。

わたしが黙って柩に視線を注いでいると、祖母が耳打ちした。

「あんたが言った通り、優しいおじいちゃんだった」

一瞬、わたしは答えに詰まった。本当は従姉妹の言葉だったからだ。

「…うん」

やっとの事で嘘をつく。祖母の聡い目を欺くことが苦しかった。すると祖母は

「最後の方は、人に当たったりすることも多かったけどな」

と続けた。わたしの嘘に祖母は気がつかないままだった。祖母はどうやら、わたしが祖父を優しいと思っていない、と思ったようだった。確かにそうかもしれなかった。わたしはこういう時、歯ざわりの良い言葉を使ってもう取り戻せないものを美化するのをことさら嫌った。けれどそれだけでもなかった。祖父にどんな感情を抱けば良いのか単純にわからない。もちろん祖父のことは嫌いではない。けれど一方で、好きとも言えなかった。名前をつけられるほど強い感情を祖父に対して抱いたことがなかったから。生きているころの祖父は家族という記号でしかなかった。いままで、この空白に違和感を覚えたことすらなかった。それが不思議で、わたしは俯いた。

  まだ祖父が生きていた頃のことだ。入院した祖父のお見舞いに行った時、わたしはかける言葉が何も出てこなかった。祖父と話したいことも、話せることも、何もなかった。握ってやれと言われたわたしより大きくぬるい祖父の手を、ただずっと握っていた。あの時の居心地の悪さからのがれるにはずっとそうしているしかなかった。この手を離せばこの場でのわたしの存在意義は失われるように思えた。そして、この状況に知らず憤っている自分もいた。ただしその苛立ちは一切の逃げ場を持たなかったのだけれど。苛立ちが募るたび、誰かに責められている感覚に陥った。あの強迫観念がどこからくるものなのか、いまでもわからない。けれどきっと、あの時わたしを最も責めていたのはわたし自身だったのだろう。腹の底ではずっと自分の声が響いていた。祖父と会うのは一ヶ月ぶりのはずなのに。これまで多くのものを共有して来たはずなのに。心はどこまでも乾いていた。それほどわたしは何も知らなかった。祖父が死んだいまも、祖父の枠組みは空っぽなまま、この先埋まることもない。

また涙がこぼれた。永遠に続く空白に心が竦んだ。すると不意に従兄弟と目があった。その人はさっき泣いていた従姉妹の弟にあたる人で、わたしの兄のような存在だった。わたしはその目元に涙の存在を認め、目を見開いた。滅多になく人ではなかったからだ。従兄弟の赤く充血した目がわたしを責めている。息の詰まる一瞬は濃く、苦かった。

「お前の涙は足りない」「涙の濃度が足りない」ほんの少し後退る。従兄弟の分厚い肩の向こう側では、従姉妹がまた赤い目で泣き腫らしていた。わたしは気がつくと従姉妹にティシュを差し出していた。まるで誰かの目を欺こうとするかのように。まだ「いつくしみふかき」は止まない。わたしは気がつくとまた、横目で亡骸の蝋のような顔をみつめていた。「悲しむ」ことが何なのか、その頃にはもうわからなくなっていた。

「祖父」の棺が閉じられてから2時間後、私たちは彼の骨を取り囲んでいた。遺体が火葬される時、ある一節をわたしは思い出した。筒井康隆の『家族八景』の一部だ。昔見た、ドラマの一部が蘇ったのだった。ある時一人の老女が死んで、葬式が行われた。ところがとうとう火葬される段になって、老女は仮死状態から回復する。しかしもう火葬は始まっていて、老女は生きながら業火に焼かれてしまう。

わたしはふと、祖父が生きながら焼かれてしまっていたらどうしようと思う。けれどそれはありえない。生きている人間の肌はあんなに冷たくはない。

「骨が丈夫だったんだ」

祖父のお骨をみて、誰かが言った。口々に賛同の声が上がる。たしかに、焼かれた後も多くの骨が残っていた。父方の祖父の時はもっと少なかったかもしれない。そんな風に思ったけれど高校一年のあの冬について覚えているのは、お焼香の手の感触と退屈なお経だけだった。過去は遠くちらばって、もう元の形をたどることはできない。それでもかつて握った祖父の骨ばった手の感覚だけは掌に染み付いたままだった。そうしていつまでも縛られていることを忌々しいとさえ感じている。そんな自分への失望が止むことはなかった。

カシャン、かしゃん。

お骨を骨壺に入れていくときには独特の音がした。一本入れるたびに微かな乾いた音が火葬場に響いた。あっという間にわたしの番が回ってきて、長い箸で骨を摘んだ。これが本当に人間の一部なのか、と思った。なんて脆そうな白い塊だろう。差し入れるときに壺の壁面にほんの少しぶつかっただけで、祖父の骨はポロポロと粉に変わっていく。ああこの脆さが、人間の本質だ。死んだら丸裸になってしまう。自分の心の声が腹の深くまで落ちてきて、ずっしりとした。その重みはわたしが夜眠りに着くまでそこに居座ったままだった。あの重み。あれは今どこにあるのだろう。あのまますっかりわたしの一部になっているならいい、といつも思う。いつかわたしがいろいろなことを忘れてしまったとしても、わたしの中に溶けた重みが代わりに記憶してくれるはずだ。記憶の寿命の短さにはきっと、耐えられない。

お骨を収める音がまだ耳の奥に残っている。あの音を思い出すたび、肌が粟だつ。これを書いたのは少しでも永く覚えておきたかったからだ。いつくしみふかきと骨の音。二つの音だけがわたしをあの日に縛っている。きっと忘れないことこそがわたしの弔いなのだ。わたしの涙では弔うことができなかった。この代替行為は時折息がつまるように苦しい。けれども、そこがいい。こうしている間は少なくともあの日を手放さずにいられるはずだから。弱いわたしをわたしは誰より知っている。わたしは結局、失いたくないだけなのだろう。