最近私は気がつくと一人の作家のことを思ってしまう。
それが、工藤直子。
工藤直子というと表題にもある「てつがくのライオン」が一番有名かと思う。もちろん私も好きだ。けれどもっとお気に入りの詩がある。まずは引用させていただきたい。
「夜光虫」という詩だ。
水がゆれると
砂金のようにはらはら散るという
夜光虫のはなしを
静かな飲み屋できいた
南のあたたかな夜の海を
あなたは
宿題も西瓜もわすれて
どこまでも泳いでいったという
水をかくたびに指の間からこぼれる
光を見たさに泳ぎつづけたという
その夜
わたしの心の中を
あなたはたくさんの夜光虫をしたがえ
王さまのように通りすぎていった
(『詩の散歩道 てつがくのライオン』工藤直子・著 理論社 1995年 より引用。)
夜光虫を読んでいると、あたたかい腕の中で抱きしめられているような幸せを感じる。まるで自分が大切にされていると分かったときのようなあたたかさだ。
この詩はきっと大人の女の詩だと思う。
「あなた」というのが大人なのか子供なのかは、はっきりとはわからない。
ただ、胸が切なくなるほど語り部であるわたしが「あなた」と呼ばれる存在を愛おしく思っていることがわかる。
(決して強い言葉など使っていないのに。この想いの存在感はなんだろう、最初読んだ時は衝撃だった。)
そうして大人である女は静かな飲み屋でふんわりと酔いながら、どこまでも泳いでいく愛おしい存在について思いを馳せているに違いない。
こういう時、こういう作品に出会ってしまった時、本当に敵わないものを感じてしまう。
愛おしい、大切だ、愛していると一言も言わないのにはっきりと伝わるこの感じ。
そして、決して描きすぎないこの余白のある文章。
まさに
素晴らしい
の一言に尽きる。
わたしはまだまだまだまだまだ安易な言葉に頼っていたな、と反省した。(無論、プロとわたしなど比べるべくもないのだが。こんな弁明をすることすら不遜だろうか。)
美しいと思ったならどう美しいのか、奇妙だと思ったのならどのように奇妙か、誰かが誰かを憎んでいるなら、あるいは愛しているなら、どのように世界はその人の目に映るのか。
わたしはもっと描かねばならなかったのだ。もっと思い巡らせなくてはならなかった。
無論、詩と小説では違うところもたくさんあるだろう。しかし、これから先、小説を書くときの意識は間違いなく変わるんじゃないかと思う。
ともかくもっと足すことばかりでなく削ることに力を注ごうと心に決めた夜でした。
ちなみにこの詩集には他にも秀作がたくさん。
パリに行きたいクジラ
雨
夕焼け
こわがりのときの海豚
日暮れ
などなど。
当詩集は残念ながら絶版ですので、気になる方は図書館で借りてみてください。わたしも図書館で借りました。
この出会いはきっと一生忘れられない。そんな予感がするのです。