KUROMIMIには本が足りない。

KUROMIMIには本が足りない。

活字がないとダメ系ヲタク。小説・音楽・詩・ときどき映画。自作の小説も書いてます。

家族を好きと言えるか。

以前友人と話していて、こんな話題になったことがある。

「家族って好き?」

この問いに対して友人は好きだときっぱり答えた。その迷いのなさが羨ましい。わたしはこうなりたかったのかも。とその答えを聞いた瞬間思ったものだ。

とはいえ誤解しないで欲しいのはわたしが決して家族を嫌いと言うわけではない、ということだ。

「家族って好き?」という問いは同時に

「家族って嫌い?」という問いでもある。

わたしが言いたいのはつまり、家族に対する感情は好き嫌いで表せるのかということなのだ。

 

わたしの父と母は決して悪人ではないと思う。

好き勝手に振る舞うわたしをずっと育ててくれた。接する中で愛情を感じたこともある。

「家族を愛しているか」と聞かれれば

多分「はい」と答えられるだろう。

 

しかし、好きだと思ったことは一度もない。多分近すぎるのだ。確かに父と母とは他人だが、そのいいところも悪いところもわたしは知り過ぎている。

 二人ともに吐き気がするほど嫌いな部分があることも、十分すぎるほど知っているのだ。そうして、そういう部分に限ってわたしによく似ている。そう。これは同族嫌悪。

 だからといって、嫌いだなどといえない。好き、とも言い難い。こういう言葉を使うとき、人は対象を多少なりとも理想化する必要があると思うからだ。

「この人はこういう素晴らしい人なんだ」

という認識。もしくは逆に

「こいつはこんな嫌なやつなんだ」

とバッサリ切り捨ててしまうような認識でもいい。嫌いが成り立たなければ好きもまた成り立たない。

 そもそもわたしは誰かを理想化することが苦手だ。そういう回路に欠けると言ってもいい。わたしのようなやつを鼻持ちならないやつ、傲岸不遜というのだろうか。ちがうか?わからない。

白黒ハッキリしたのが好きだ。

好き嫌いで分けられる世界にわたしはもともといたはずだ。それなのに。いつのまに物事は二つに分けられなくなってしまったのだろうと時々悲しくなる瞬間がある。

けれど、その灰色の部分に人生の奥行きがあるのかもしれない。

 

皆さんは、家族を好きだと言えるだろうか?