よく漫画のレビューで、「まるで小説のようだ」という賞賛のレビューを目にする。
言っている人に罪はない。だが、何故か毎度無性に腹が立ってしまう。
何故だろう。
それはきっと言葉選びの安易さを感じてしまうからだ。
わたしは
小説のようだ=緻密で深い心理描写が素晴らしく心に響く作品だ
という意味だと受け取っている。
しかし、全ての小説はそうだろうか?
ありふれた大衆小説よりも一部の漫画の方がよほど心の深部を描いているのではないか。
漫画が子供のものである時代は終わりを告げて久しい。漫画は十分に大人の読書に耐えうる内容的な深みを持っていると思う。
内容的な深さの比喩として「小説のようだ」という比喩を使うのではあまりにも足りないと言わざるをえない。
内容的な深みの素晴らしさに言及したいのであれば、せめて「文学的だ」というべきだろう。
比喩というのは短い言葉で的確にかつ具体的に意図する物事や感情、状態を効果的に読む者に伝えうるものでなくてはならないはずだ。
決して比喩は書き手が表現をおざなりにするために用いられてはならない。
「まるで小説のようだ」
という表現を目にするたびにわたしは思う。
わたしは伝える努力を怠ってはいなかっただろうか。安易な比喩で場を濁し、流してはいなかっただろうか、と。
これは日本語を愛し、表現することを愛する一個人として常に考え続なくてはならない命題だ。
表現に限界はない。
安易な妥協は日本語の敗北だと思う。