KUROMIMIには本が足りない。

KUROMIMIには本が足りない。

活字がないとダメ系ヲタク。小説・音楽・詩・ときどき映画。自作の小説も書いてます。

小説・海のなか(9)

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前話はこちら。


kuromimi.hatenablog.com

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***


 到着してしばらく経っても、まだ小瀬家のインターホンに手を触れることを躊躇っていた。夕方とはいえ、まだ秋になりきれない日差しは首筋をジリジリと焼き始めている。何処かからか染み出してきた汗が首筋へ伝っていくのを感じながら一人歯噛みした。

 いい加減情けない自分に嫌気が差してくる。はっきりしないのは嫌いだ。時間を無駄にすることも。選択の余地がないのなら答えは一つしかない。そうわかっている、はずなのに。

 見上げると大きな屋根の二階建てがのしかかってくるような気がした。二階の一番目立つ場所にはお姫様の部屋を連想させる大きな窓にレースの繊細な影が見える。夕凪の部屋だ。この場所に来るのは小学校を卒業して以来だった。以前はこの家で陵と二人遊びに来ることも度々あった。あの頃のようにはいかない理由は分かっていた。分かってしまったからこそ、私はここを徹底的に避けていた。単に夕凪が理由だと言うのではない。それ以上にあの母親とこの家が問題だった。

 眉間に強い力が入っているのがわかる。ここまで心の奥を鷲掴みにされるような嫌悪は久しぶりだった。それはきっと、幼いあの日幾重にも積み重なったこの場所での経験のせいなのだけれど。

 一つ大きく息を吐いて、私はとうとうインターホンを押した。音はしない。代わりにマイクからざざっと音が漏れて、女の声がした。

 「…はい」

 雑音が激しくて誰の声だかわからない。大人なのか子供なのかもはっきりしない。心の隅で母親でないことを願いながら話した。

「すみません、沙也ですが。お久しぶりです。夕凪さんのお見舞いに来ました」

  「えっ!」

 そんな声と共にブツン、とマイクが切れた。そして足音と共に白いドアがガチャリと開き、夕凪が少し顔を除けた。どうやら話していたのは夕凪本人だったらしい。正直かなりホッとしながら右手に持ったものを顔の横で振って見せた。

 「夕凪、連絡物」

 パジャマ姿の夕凪はおずおずと門の前までやってきて受け取った。

 「えっと…ありがとう」

  気がつくと私は会話の糸口を探している。沈黙を気まずいと感じ始めるこの一瞬が苦手だった。

   「今日、一人?」

 「うん。まだお父さんもお母さんも帰ってない」

「そっ」

 無言になる一瞬、自分の舌が気持ち悪く空回るのがわかった。

なぜあんなことを口走ったのか、わからない。自分のことなのに。でも。多分。

 血迷ったのだ。

 「ちょっと上がっていってもいい?久しぶりだし」

 


***

 


 小瀬家の内装は、前見た時よりもさらに少女趣味に飾り立てられていた。おそらくは夕凪の母の趣味なのだろう。白とピンクを基調とした内装の至るところにフリルやレースがびらびらと揺れていた。ソファーに置かれたクッションひとつとってもどこで探してきたのか、と問いたくなるほどの密度でフリルが施されている。ルームフレグランスのせいなのか、ムッとするような甘ったるい匂いがした。    

 毎日こんな空間にいるのかと思うと堪え難い気分になる。生活の場としては少々不適切にも思えた。少なくとも、この空間で寛ぐ気になる人は少ないだろう。飾られた花々は白く可憐なものばかりだった。けれど到底趣味がいいとはいえなかった。

 私は出された紅茶を一口含んで手元のティーカップに目を落とした。白地にピンクの花が絵付けされているのに加え、ソーサーの真ん中ではチワワがきらきらしく微笑みかけてくる。ちょうど、あざとく可愛いらしく加工された動物の写真を見た時と同じような嫌悪を感じた。せり上がってくるものをなんとか口の中の液体と共に流し込む。やはり、悪趣味だろう。少なくとも私とは相入れない。

 ティーカップをソーサーへと戻しながら、上目遣いに向かいを盗み見た。目の前に座っている少女は驚くほど背景から浮いている。そこだけ別世界のようだ。私だって幼なじみでなかったら、この家が夕凪の生まれ育った場所だなんて信じないだろう。それくらい、この二つは似合わないこと甚だしかった。

 おぼろげな記憶の中の夕凪の母と夕凪とを重ねてみる。外見だけで言うならば二人はそっくりだった。クセのない細い髪、透き通るような白い肌。華奢で薄い身体。しかも互いに血のつながりを濃く感じさせる顔立ちだ。それだけに中身の違いがはっきりと強調されるようでもあった。

 夕凪は昔から情動が薄い。まるで母に全てを吸い取られたかのように。もしかすると、それこそが彼女なりの身を守る術なのかもしれないけれど。もしも自らの意思や欲求を曝け出せば母の個性とぶつかり合うことは必至だとこの家を見ただけで想像できた。その衝撃に夕凪が耐えられるとは思えない。

 本当に、夕凪は昔から穏当で物静かでなにも言わない。

いらいらさせられる。

 苛立ちを押し流すようにもう一口紅茶を飲んだ。こんなこと、思いたくはない。善人のふりをして他人を憐んで優越感に浸ることほど嫌らしい行為はないのだから。なにもできないなら、せめて気がつかないふりをすべきだ。そして憐むことをしないのであれば、当然私は問わねばならない。

 「ねぇ、なんで今日休んだの?」

 

 

(海のなか10につづく。)

 

次話はこちら。

 

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