KUROMIMIには本が足りない。

KUROMIMIには本が足りない。

活字がないとダメ系ヲタク。小説・音楽・詩・ときどき映画。自作の小説も書いてます。

司書による、楽しい読書のすすめ。

 

どうも。クロミミです。

最近他の司書さんの書いている文章を読むのにハマっているのですが、noteで気になった記事がありました。

 

 

その記事の中で、「もともとゆっくり読むのが好きで、作業的に読むことに疲れて本を読むのが嫌になった」

 


と言うような内容があり、引っ掛かりを覚えたのです。

 


元々読むのゆっくり→わかる!!

 


作業的に読むのに疲れて読書が嫌に→????

 


という感じで、脳みそがフリーズした。

いや。言っていることはわかるし、そうなるのが自然なような気もする。

 


わたしも元々読むのがゆっくりで、自分で読む本(漫画除く)は月に4冊くらい。月初めから始めて大体4冊並行くらいで読んだりする。

 


ただ、司書という仕事において、ゆっくりと時間をかけて読書することはできません。わたしも週にそれこそ100冊はくだらない本に目を通しています。

 


あらすじをつかみ、その本をどのように魅力的に紹介するか。司書という仕事はそれを常に考え続ける職なのです。

 


しかし、ここで疑問が生まれます。でもじゃあ、なぜわたしはいわゆる「作業的に読む」ことを嫌だと思ったことがないのだろう、と。

 


それはきっと、わたしが古本屋通いをしていたことに起因するでしょう。

 


わたしは人生の大半を図書室か本屋か古本屋で過ごしてきた人間ですが、特に古本屋によく滞在していました。

 

 

 

古本屋に置いて、なにをするのか。

 


無論本を読むのです。

 


立ち読みで。←おい

 


オタク友達とはよく連れ立ってブックオフをはしごして一日中立ち読みしていたものです。

 

 

 

さて。ここで重要だったのはいかに早く、その本(もしくは漫画)の内容を把握するか。読み味わっている時間などありません。めざとく「おもしろい」本に出会い、手に取り、読んで精査し、お小遣いの範囲で買える冊数まで絞り込まねばならない。

 


親に連れて行ってもらった時など、十分程度しか滞在が許されないこともままありましたから、もはや戦争です。

 


なので、いつのまにかジャケ買いの勝率が激高になっていました。多分8割行くと思う。なんかおもしろい本って面白いオーラというか匂いが見えるよな。

 


そんなわけで、速く読む時もあれば、ゆっくり読む時もあるのです。

 


もちろん、ゆっくり読んだ方が味わえるし記憶にも残りやすい。とっても素敵で贅沢。

ゆっくり読む時は以下の手順を踏みます。

 


好きなだけゆったりと読む→気に入った文章を書き出す。→声に出して読んで、どこが好きなのか考える。

(以下ループ。ちょうたのしい)

 


対して速読というのは一種のゲームなのです。

 


いかに自分の情報処理速度をあげられるか。また、いかにその物語の本質やあらすじを素早く自らの言葉に変換できるか。これはそういう遊び。

 

 

 

速読も遅読も面白いので、両方できれば2倍楽しいですね✨

元々本のあらすじだけは頭に入る質なので、どっちの読み方でも大体何年も覚えています。

(他のことは全体的に忘れっぽいけど)

 

 

 

 


こんな感じの経緯を経て読書好きになったので、「作業的に」読むのもやりようによっては結構楽しめる。そんなふうに思う今日この頃でした。

 


追伸

 


ていうか、大量の本を好きなだけ触って眺められるだけで人生の幸福指数大体爆上がりだから問題ないと言えばない。