KUROMIMIには本が足りない。

KUROMIMIには本が足りない。

活字がないとダメ系ヲタク。小説・音楽・詩・ときどき映画。自作の小説も書いてます。

小説・「アキラの呪い」(14)

 

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前話はこちら。

 

 

kuromimi.hatenablog.com

 


 両親はもうすぐ10時になろうかという頃に合わせて起きてきた。少し遅い朝だった。父が先に起きて、ついでに母を起こして連れてきたらしい。父も母も朝が弱いわけではない。やはり昨日の酒が効いたんだろう。

 両親が起床して30分も経たないうちに一悶着あった。姉がゴミ袋に貯めた大量の「ゴミ」を母が目にしたのだった。母は娘を愛していたし、娘が生きてきた軌跡をが失われることを恐れていた。

 「晶、これ、どうするの?」

 「捨てる」

 「……なら、私にくれない?それならいいでしょう」

 「捨てるって決めたの」

 「あんたが捨てるならもう、あんたのものじゃないわ。なら…」

  「いや」

 この辺りで母の声が少し大きくなり、一階にいた親父と俺は様子を伺いに階段を上った。登りきったその時に見た母の横顔は長い間忘れられない。張り詰めた、縋るような目をしていた。だが、それよりも母の中で逼迫しているのは、「隠さなくてはならない」という思いのように見えた。母は確かに姉を愛していたが、それを相手に押し付けるような真似はしないよう慎重だった。もしもそんな真似をすれば晶に激しく拒絶されることは火を見るよりも明らかだったからだろう。もしかするとそんな気遣いすら、姉には煩わしいのかもしれないが。それを言うのはあまりにも酷だ。うちの姉が残酷なほど利己的なのはいつものことだ。

 受け取り手のない愛情ほど虚しいものはない。だからこそ母に限らず父も、姉に対する家族愛を積極的に表現することを避けていた。だが、行き場を失った感情を溜め込み続けるのは苦しい。表現したくなるのが人間ってもんじゃないか。いつの日か意図せず噴出したからといって誰が責められる?少なくとも俺にはできない。今日の状況はまさしくそんな感情の漏出が原因だと言えた。

 頭を片手で押さえながら深いため息をついて母は俯いた後、鉛を吐き出すように言った。

 「…わかった。好きにしなさい」

 姉は結局、それ以上何も言わずに部屋のドアを再び閉ざしてしまった。話している間中、姉の表情を見ることは叶わなかった。壁とドアに阻まれ、隠されていたからだ。肩を落とした母の背を見て、今更ながら姉がどんな顔で今のやり取りをしていたのか気にかかった。血の繋がった母のささやかな望みを拒絶する。それってどんな気分だろう、と。実の母が他界して久しい俺には想像し難いことだった。実の母の記憶すらない。写真なら見たことはあるが、それは後から作られた記憶に過ぎない。だからだろうか、普段母があくまで義理の母であると意識することはほぼなかった。父はもちろん義母も二人の子供を平等に愛した。たまに両親自身すらも互いの連れ子を育てていると忘れているのではないか、そんなふうに思えるほどだ。この点でうちの親はなかなか「良い親」だった。再婚してここまでうまくいくことも稀なんじゃないか?家族というものは血縁ではなく関係性の名だ。うちの家族に関して言えば間違いなくそうだった。

 ところで並べてみるとよくわかることだが、晶と母は親子の割に似ていない。晶は癖っ毛の剛毛で、母は猫っ毛のストレート。塩顔気味の晶に対し、母はくっきりとした顔をしている。とても小柄な母に対し、晶は比較的長身だ。数え上げていくとキリがないほど、彼女たちの相違点は多い。それは何も外見だけじゃない。内面的にも正反対だった。外交的で人懐こい母と人嫌いで厭世的な娘。本当に血が繋がっているのかと怪しみたくなるほど正反対だ。だからだろうか、親子であっても二人は互いをどうしても理解できないらしかった。性格が違いすぎて、思考回路も行動様式もまるで違う。それでも二人が共存できたのは、母の努力の賜物だった。

 今日のように衝突しそうになるとすぐに母は手を引く。そうしてまるで不和などなかったかのように流してしまう。彼女は他人との衝突を何よりも嫌っている。誰かとぶつかり合うくらいなら自分の意思などどうでもいい。生き様にそんな思いが透けて見えるようだった。特に姉に対してはその傾向が強い。きっと母は罪悪感に動かされている。無条件の降伏は娘を分かってやれない罪を贖う代償行為に近い。だからこそ母は晶に甘い。親父も母の方針を尊重して、ある程度までは姉を放任していた。そんな感じだったから、昔は不平等に感じたこともあった。姉には許されることでも、俺には許されない。姉ばかりが甘やかされ、愛されているようで悔しかった。

 けれど長じるにつれその考えが誤りだと気づいた。甘やかすばかりが愛情ではない。姉のことを思うなら、きついことを言う役回りの人間が必要なはずだ。ところが俺たちにはそういう役目の人間がいなかった。皆、不都合から目を逸らしていただけだ。

 ーーー必要な人間が欠けている。

 俺がその事実に気がついた時には、すでに手遅れだった。俺たちは卑怯さに慣れすぎていた。後からなんとか姉を諌めようとしたこともあったが無駄だった。そもそも義弟などという立場でそんなことをされて、あいつが黙って聞いているわけがない。怒鳴りはしなかったものの、怒気を孕んだ沈黙で迎えられ、そのまま黙殺された。殴られなかっただけましなのかもしれない。

 自分の無力さを悟った時に決めたことが一つある。

ーーーーあいつが自分を傷つけようとした時は、手段を選ばず止める。そのために、せめてそばに居よう。

 たったそれだけの単純な取り決めだった。俺は義母や親父の代わりにはなれない。それでも彼女の手を握り続けているのは義理の弟だけだった。俺がこの手を離せば姉は一人きりになってしまう。大した意味はなくともこれが俺にできる最大限だった。

 俺もまた、罪悪感によって動いているのだろうか。

 そんな風に考えてしまう時もある。どちらにせよ、俺にアキラを手離すと言う選択肢はなかった。そんなことができるくらいならとっくに距離を置いて過ごしていただろう。血の継ながらない他人らしく。

 そんなことを考えていたせいだろうか。俺はその夜、おかしな夢を見た。それは「姉ではない晶の夢」だった。晶も俺も制服を身につけていた。夢の中で俺は彼女を「九重さん」と呼んだ。言ってからそういえば晶の旧姓は九重だった、と思い出した。振り向いたあいつの表情はよくある夢のようにぼんやりとしている。きっとうまく想像できなかったんだろう。

けど、一つだけ覚えているのは彼女が俺と言葉を交わしている間、笑っていたことだった。ほとんど見たこともない姉の笑顔。それは幻のように儚く、美しかった。

 奇妙な夢は、すぐに終わりを迎え俺を現実へと帰した。真夜中はキンと耳鳴りがするほどの静寂を湛えている。特に辛い夢でもないのに、何故か身体が汗ばんでいた。暑くはなかった。あいつと家族でない自分など想像したこともなかったのに。先程まで見ていた幻想に俺はどうやら魘されていたらしい。

目覚めた後には印象だけが残り、あとはどれだけ踠こうと欠片さえ取り戻すことはできなかった。だから、ひたすら一人掌に残った虚しさをなんとか握り潰しているしかなかった。目の前が闇に塗り込められている。息苦く、重たい色に見える。

 するとその時、部屋のドアがノックされた。ドアを開けてみると、姉がそこには立っていた。その姿が夢の姿と重なった。

「うるさいわよ」

「は?」

 廊下に晶のため息が響いた。

「あんた、そんな歳になってもまだ寝相が悪いの?変な声は聞こえるわ、ドタバタうるさいわ、なんなの一体」

 心底呆れた、とでも言いたげな表情でそう言う姉を俺は見下ろして当惑する。奇妙だった。真夜中にこうして他人の部屋を訪ねて話すだなんて、絶対に普段やらないことのはずなのに。どう考えても彼女らしくなかった。

 「…ごめん」

 「夢は所詮夢よ。あんたが恐れてることは起こらない。絶対に。正夢なんてあるわけないわ。馬鹿馬鹿しい」

 やっぱりそうだ、と俺は目を見開いて思う。姉は俺を心配してやってきたのだ。

 「姉さん、もしかして起きちゃったのか?俺がうるさくて」

「いや?まだ起きてた。片付けやっておきたかったし」

 「そう…」

 予想外の事態で呆気に取られ、まともな応答ができない。姉と他人を心配するという状況がどうしても俺の中でうまく結び付かなかった。ただ、頭の片隅でこう思った。

そうか、心配している晶の表情はこんな感じなのか…と。

 「なに?ぼっとしちゃって。まだ寝ぼけてるの」

 「えっ?あ、ああ…姉さんが優しいからおかしいなってさ」

 なんだか恥ずかしくなって、右手で無闇に髪を掻き回しながら言い訳した。姉の顔をまっすぐ見られない。

 「はあ?何変なこと言ってんのよ。もういい、寝な。うるさくしないでよね、今度こそ」

 俺を追い払うように手を振りつつ彼女は隣室へと去っていく。嫌味たらしい言動も今夜ばかりは憎くなかった。

「ありがとう。おやすみ、姉さん」

 呟くように告げてドアを閉めると、心が落ち着いているのに気がついた。今度は悪夢なんて見ないだろう。そんな予感がした。身体を横たえると、耳鳴りに代わって壁越しに姉の気配を感じた。彼女はいつ眠りにつくだろう。心地よい物音に耳をすませながら、ぼんやりと思う。そう。現実の姉はすぐ隣にいる。彼女が家族でないなんて、そんなことは記憶にもないくらい遠い昔の話だった。冷静になってみれば、ありえない夢だ。たとえ明日から水無瀬晶が九重晶に戻ったとしても、ここで過ごした時間が消え去るわけじゃない。そう思ったら、心がすっと軽くなっていくのを感じた。

 そうしていつの間にか眠りの中へとふたたび落ちていった。今度はなんの夢も見なかった。時折眠りが浅くなった時には、寝かしつけようとするような物音が隣から微かに聞こえてきた。姉は結局夜半を過ぎても作業に没頭しているようだった。その事実だけで何故か俺はこの上なく安心できるのだった。

 


***

 

アキラの呪い(15)へと続く。

 

次話はこちら。

 

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