KUROMIMIには本が足りない。

KUROMIMIには本が足りない。

活字がないとダメ系ヲタク。小説・音楽・詩・ときどき映画。自作の小説も書いてます。

小説・「アキラの呪い」(

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***


 朝飯は予定通り目玉焼きにウィンナーを添えた。両親の分も合わせて作ってしまう。二人とも今日まで休みで明日から仕事らしい。昨日そこそこ呑んでいたから、もしかしたらなかなか起きてこないかもしれない。食パン三枚を焼きながら、一杯だけコーヒーを淹れる。姉は苦味を受け付けない。それでかつては毎朝甘いホットミルクを飲んでいた。朝食のセッティングを終えると、俺は2階へ「姉さん。朝飯食おうぜ」と声をかけた。姉と朝食を囲むのも久しぶりのことだ。
姉は「そんな顔して料理ができるのってなんか気持ち悪い」とかボソボソ言いながら食べている。何か一言余計なことを言わなければ気が済まないらしかった。俺にはそんな言葉さえもなんだか嬉しい。思っていたよりも遥かに、姉が独立したことがこたえていたらしい。この帰省でそれを実感せざるを得なかった。いつもよりコーヒーの苦味を感じる。ほろ苦い余韻は姉との関係性がどこまでも一方的なものでしかないと戒めているようでもあった。
 「この後も片付けすんの?」
 食器を洗いながら問いかけると、姉はホットミルクを恐る恐る口に運んでいるところだった。彼女は猫舌のくせに熱い飲み物が好きという難儀なところがあった。
 「うん。あとでまとめて捨てに行くわ」
 「なあ、思ったんだけど。ほとんど捨てるんだろ?ならさ、誰かしらに譲るとか、アプリで売り払うとかしてもいいんじゃないの」
 俺からすれば当然の疑問だったが、姉の歪んだ顔をみて、そうとも言えないらしいという事実を悟った。
 「なんでよ。他人にやるくらいなら捨てた方がマシに決まってんでしょ」
 「そうか?」
 心底わからないという声色が思わず出てしまう。自分のいらないものを他人が使えば処分する手間が省ける。捨ててしまえばそれまでだ。大切なものなら尚更捨てられないもんじゃないのか。話しながら考えを巡らせても一向に答えが出ない。
 「捨てようが何しようが、私のものは私のものよ。それをなんで他人にやらなきゃなんないの?そんなことするくらいなら捨てるわ。絶対にね」
 その言葉を聞いて、理由もわからずゾッとした。姉が物に執着することはわかっていた。昔からそうだ。気に入ったものを見つけると、他のものは目に入らないくらいそればかり使った。だから手元に残るのは、昔から彼女が愛したものたちだけ。その性格は幼い頃から変わらない。ただ、一つ例外がある。人間関係の一点においてはその図式がまったく当てはまらなかった。きっと姉は、二十年以上生きた今でも他者へ強い感情や関心を寄せたことがない。
 だからこそ、物に対する姉の執着心を目の当たりにするたび思う。あの矛先が少しでも人に向けられたなら、と。そうすれば姉も少しは俺の気持ちを理解するだろうか。そんな風に考えてしまう瞬間は、これまでも前触れなく訪れた。そして今、この時もそれは同様だった。こういう瞬間はいつだって、底無しの穴の前に立ち尽くすような虚さをともなった。
 「姉さんがそう言うなら、まあいいけどさ。父さんと母さんにはバレないようにしろよ?多分あとでうるさいから」
 気がつくと、そんな言葉を俺は発している。声はこれで大丈夫か?普通がわからなくなる。平常を取り戻そうとすればするほど足元は崩れていった。
 「ふん、…わかってるわよ」
 姉が返事すると、背後で椅子を引く音がして、足音が近づいてくる。緊張に手が震えた。今、顔を見られたら感情を隠しきる自信が無かった。今どんな顔をしているのか、自分でも想像できない。水音と心音がありえないほどうるさく聞こえた。笑え。せめて笑顔で塗りつぶせ。そうでないと。そうしなければ。
 「歩、これもお願い」
 カン、と音がしてそちらに目を向けるとマグカップが置いてある。足音が遠ざかり、階段を上りきるのを察するまで、俺は息もできなかった。結局、取り繕えたのかすらわからない。平静を装えていなかった、とは考えたくなかった。だとすれば、姉はその表情すら目に留めず立ち去ったことになる。そこまでの無関心は流石の俺でも堪えるものがあった。
 いつからか、俺は姉に素のままの感情を見せるのことを恐れるようになっていた。俺がどんな様でも姉は気にもかけない。そんなことはわかっているのにやめられない。俺は姉が頼ることのできる存在でありたかった。少しでもいい。支えになれる、そんな人間に。自分が不様なことくらい誰よりもわかっているつもりだ。けれどせめて、姉の前でくらいは余裕のある姿を見せたいと思った。ありのままの自分を見せれば最後、晶が俺を頼りにする日は、永遠に訪れない。そんな予感に縛られている。俺はずっと背伸びしている。それは無意味な願掛けに近い行為だ。背伸びで埋めたいのは単に歳の差なんかじゃない。俺は姉と対等になりたかった。姉を理解したい。いや、理解できないとしてもこの居場所を守り続けたい。そうしなければ、いつか姉は俺を置き去りにどこかへ行ってしまう気がしていた。自殺未遂の光景が脳裏にまざまざと蘇る。姉の自殺願望は俺の強迫観念を加速させている。他者を必要としない人のそばに居続けることがどれだけ難しいことか、誰よりもよくわかっているつもりだった。だからこそ、姉の家に押しかけた。拒否する隙を与えないように。でもそうして得られたのは、形ばかりの隣だった。本当はわかっていた。こんなことに意味はないと。
 交流が増えようと、帰省しようと、彼女の心が開かれたという実感はない。どれだけ差し出そうと受け取る気がない相手に、何かを与えることは出来なかった。
 一人相撲もいいところな今の醜態を思い返すだに嫌気が差した。
「…ほんと、ろくでもないな」
 そんな言葉が口の端から漏れたが、誰に対してかはわからないままだった。洗い物を終え、締めた蛇口から残り水が滴る音がキッチンに響いていた。
 『どうしたらいい、晶』
 いや。本当はこう問いかけたいのかもしれない。
 『どうして欲しい、晶』
 なんでもいい、あの口から望まれることを俺はずっと待っている。きっと、そんな日は来ないのだろうが。彼女は他人を信じないから。


アキラの嘘(14)へとつづく。

 

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