KUROMIMIには本が足りない。

KUROMIMIには本が足りない。

活字がないとダメ系ヲタク。小説・音楽・詩・ときどき映画。自作の小説も書いてます。

小説・海のなか(20)

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前話はこちら。
  

 

 

kuromimi.hatenablog.com

 

***

 

 図書館の入り口近くはすぐカウンターになっていて、その真ん中にひっそりと男性の司書さんが腰掛けていた。頭には白髪が入り混じり、頬も心なしか痩けている。神経質そうな生真面目そうな面持ちが印象に残った。部屋には常に司書さんのタイピング音が切れ間なく舞っていた。うるさい

わけではない。それどころかいっそう静寂を際立たせている。

 彼は丸メガネの奥から来客を一瞥して微かに頭を動かすと、また何事もなかったようにパソコンへ向き直った。会釈したのかもしれない。あたしも軽く頭を下げつつそっと中に入る。今が文化祭中なんて信じられない人の少なさだった。ここだけ置き去りみたいだ。

 部屋を見回すと、言い訳程度に展示がされていた。「気に入りのフレーズ」コーナー。全校で集めたお気に入りの本の1フレーズを募集した結果を模造紙に張り出しているらしい。そういえば、少し前にそんなものを書く時間があったけれど、あれは困った。本を読まないあたしには一苦労だった。結局書けなくて、でも捨てることもできなくて。いまでも藁半紙は机の奥にくしゃくしゃで眠っているはずだ。

 「あの小瀬夕凪って子、ここにきてないですか。背中まである長い髪の子なんですけど」

 司書さんの顔を覗き込むように尋ねると

 「小瀬夕凪ああ、あの子かな。そんな名前だったの。いつもあそこにいるよ」

  そう言って、無造作に部屋の左隅の方を指差した。棚の向こう側のことを言っているみたいだ。

 「ありがとうございます」

 頭を下げると、司書さんは手をひらひらと振った。すでにその目はあたしを見ていない。言われるままに本棚の列を分け入っていくと、なるほど大きくて分厚い本ばかりだ。陵の言っていたことは正しかったらしい。

 背の高い書架と書架の狭間はまるで深い森のように薄暗い。すうっと体温が吸われて寒気がするような。

 「大型本のコーナーを左

 気がつくとあたしはお守りみたいに陵の言葉を唱えている。本当に不向きなことを引き受けてしまった。何かに急かされるように足が早まる。密林の切れ間には光の帯が横たわっている。いつの間にか、あたしはあそこにさえ行けば、という思いに支配されている。

 光の中に踏み入った瞬間、世界が一気に色彩を帯びた。そうしてそこで歩みが止まった。もう何処へもいけない。目の前の光景に一瞬で取り込まれてしまった。

 まず、光の中で長い髪がセピア色に透けるのを見た。美しい糸の束を辿ると横顔がある。こちらからだと逆光で彼女の姿は影になっている。それでもなお、透き通るように白い肌。そのただなかで唇だけがほの赤く色づいていた。表情はどこか中性的で華奢な少年のようにも見える。

 数瞬の間あたしにはそれが誰だかわからなかった。美しく浮世離れした何か。そんな印象だけが深く強く脳裏に植え付けられてしまってくりかえし何度も眺めているような。操られるように自分の口から声が漏れた。

 「夕凪……

 その時あたしは場違いにも、昔とある美術館を訪れた時のことを思い出していた。そう、これは「あの感じ」に似ていた。芸術を目の前にその世界へ呑み込まれてしまうときの没入感。溺れているような沈み込むような。総毛立つあの感覚に。理解を直感が追い越してゆく。あたしの全てが一心に開くのが分かった。あの少女に向かって。

 夕凪は陶酔的な表情を浮かべて窓の外を眺めていた。その儚げな様子がなぜかしきりに胸を押し潰す。大きな欠落の気配が彼女の周りを覆っている。喪失の予感が加速する。それは息を呑むような不快の絶頂だった。今立っている場所すら覚束なくなるほどの不安。

 その時、どこか下方から音がした。足に何かが当たる感触で我に帰る。見下ろすといつのまにか手にしていたはずのビニール袋が床に落ちていた。

 正気に戻るにつれ、あたりの音が帰ってくる。中庭のほうから微かにバンドの演奏が聴こえた。演奏しているのはアジアンカンフージェネレーションの「オールドスクール」だった。真悠のバンドに違いない。ダンス部の副部長をやっている友人はとても器用で音楽に関することなら、やってできないことはないくらいだった。この曲は確か彼女の一番好きな曲だったはず。真悠と仲良くなったのもこのバンドがきっかけだ。

 この音は夕凪に届いていないのだろう。そう見えた。憂いのある表情でどこか遠くを眺めたまま。あたしは夕凪から視線を外さないままそっとしゃがみ込むとビニール袋を持ち上げた。途中派手な音がしたけれど、やはり夕凪は振り向かない。声を掛けようとして躊躇う。目の前の光景に侵し難いものを感じる。ゾッとするほど端正なこの均衡を崩せない。

 ところが、不意に少女は振り向いた。その瞳は何も映していない。夢見心地に濁っている。ゆっくりと瞬きする様がコマ送りされていく。

 ーーー目が、充血している。

 あたしは一歩後ずさった。夕凪が突然手を伸ばしたからだ。腕はまっすぐあたしに向かって突き出される。彼女の爪が右手の甲をかすった。

 「まって!」

 夕凪の口から叫びが漏れる。請うような、縋るような。大きな双眸が激情に揺れていた。溢れそうなほど見開かれた目から感情が迸り空気を伝ってあたしまで揺さぶられる。

 これは、誰だ?

 「夕凪……!?」

 腰掛けていた椅子が大きな音を立てて後ろに倒れた。と同時に夕凪が一つ身震いした。浮遊する魂が身体へと還った。彼女は腕をさっと引くと、今度は自分の肩を抱いた。俯いたその表情は読めない。誰にも縋り付くことのできない手が震えている。先刻までの彼女の目には何かが見えていたようだ。幻をみたのかもしれない。寄って立つ誰かの姿を。沈黙があたし達を取り巻いた。けれど、目の前の少女が押し殺した嗚咽が聴こえる気がした。夕凪の睫毛は意外なほど長く、落ちた影の昏い色が青白い頬を染めていた。それからどれほどの間その様を眺めて立ち尽くしていただろう。

 「シフトだから、いくね」

 気がつくと夕凪はすぐ横をすり抜けていく。あたしは動けないまま、夕凪の遠くなる足音を聞いた。すれ違いざまに見た夕凪の瞳は、潤む気配すらなく乾きり、ぎりぎりと痛いほどに張り詰めた色をしていた。

 思っていた。ただの平凡で地味な引っ込み思案の女の子だと。けれど、一方で違和感があった。夕凪に出会ってからずっとこの胸が騒いでいるから。たった今その理由がわかった。彼女は脆くも弱くもない。ただ、恐ろしく一途だ。

 ーーーー彼女は泣かないのではない。泣けないのだ。焼け付くようなあの瞳はまだ鮮明に刻まれていた。

 足音の余韻が消えてしまってから、夕凪の腰掛けていた木製の椅子にストンと座る。眼下にはだだっ広い校庭が太陽に照らされ白く光っていた。窓辺は風が強く吹いている。上昇気流に前髪が吹き上げられていくのを感じる。眩しさに目を細めながら視線を遠くに投げると、家々の向こう側にか細い線のような海が見えた。もう海は鮮やかな色を翳らせている。夏は去った。どうりで今日はやけに涼しい。いやらしいほどに。

 夕凪はここに座って一体何を考えていたのだろう。同じ場所にいても何一つわかる気がしない。結局あたしはあの子の何かが欲しいんだろうか。こんなところまで来てしまって。ーーーここに来る前の問答の続きを、いつのまにかあたしは考えている。今まではそれが陵だと思っていたのだけれど。あの子を好きな陵が欲しいんだと。けれど今、わかった。どうやら違ったらしいと。

 あたしはずっと夕凪が奥底に秘めているものに嫉妬していたみたいだ。そして陵に対しても、きっと。彼らの欲するひたむきさに焦がれていた。あたしはずっと怖かった。何かを本気で欲しいと言うことが。臆病なあたしは失う時のことを考えてしまう。恋心と羨望はよく似ている。多分この思いはこれ以上育たない。だって気がついてしまったから。あたしには他にもっと見なくてはならないものがある。

 すると、不意に今更気がついたのか、と頭の片隅で一馬が皮肉な笑顔を見せた。こうなることがあいつに読まれていそうな気がしてならなかった。

 あいつに言わなきゃならないことが、あるみたいだ。そろそろ口にしてみてもいいのかもしれない。この胸の内を。あいつはきっと呆れるだろう。あまりにわがままな言い分だから。けれどきっと許してくれるだろう。あいつはあたしの兄貴分なのだから。

 覚悟しろ。一馬。

 見上げた澄んだ青空は少しくすんだ美しい色合いをしている。今夜、一馬にメールをしよう。あいつは呼び出しに応じるだろう。今回はきっと、壊れない。あたしが壊させない。

 「あ、鱗雲」

 あたしの嫌いな寒い季節がやってくる。

 

***

「好き」では足りない何か。

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この間、ある人に

 


あなたは本が好きなの。

 


と問われた。

 


その時、出てくるはずの「はい」は出てこなかった。言葉が口を離れる瞬間、これは違うと気が付いてしまったから。

 

 

 

「好き」では決定的な何かが足りない。

 


わたしは結局

 


「そんなこと、考えたこともなありませんでした」

 


そんなふうに答えていた。でもこれが一番正しい。少なくとも実感に沿っている。

 


わたしにとって本は読書は文字を追うことはどうやら「好きなこと」ではないらしい。

 


あえて言うなら、

 


「わたしと切り離せないもの」

 


だろうか。

 


読書することや文章で表現することに対して抱く感情は、多分家族に抱くそれと似ている。

 


複雑怪奇で他人には理解しがたく、面倒だ。

 


まるでわたし自身のように。

 

 

 

わたしはわたしを一言で説明することなどできない。しようとも思わない。

 


本を読み味わうこと、文字の群れを弄ぶこと。

 


それらはもう立派にわたしの一部なのだ。

 

 

 

 


「好き」の一言では溢れ落ちてしまう核心に手を触れるためにわたしは本を、表現することをここまで愛するのかもしれない。

 


あの時 好きと言ってしまわなくて よかった。

 


世界の奥行きを言葉で識る。

 


この世の複雑さが わたしを救ってくれる。

 


それが今ならよく分かる。

何かを愛するということ。

 

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新しい地に引っ越してから、もうすぐ四ヶ月が経とうとしている。転職してからは先日半年が経過した。

 


私が引っ越した先は言ってしまえばかなりの田舎だと思う。前住んでいた場所より県の中心地にいくには倍以上の時間を食うし、人口も全国のワーストに入るくらい少ない。これからもきっと減るんだろう。取り立てて誇れるいいところがあるかと言われるとすぐには答えられない。

 


まあ、それはわたしがまだこの地を知らないから、とも言えるだろうが。

 


ここまでかなり辛い言葉ばかりを連ねてきたけれど、別に私は不満があるわけではない。むしろ逆だ。

 


私がずっと不思議なのは、

 


なぜこの場所を気に入っているのだろう。

 


ということだ。

 


思い返すと、今住む土地を初めて訪れた時から多分ここが嫌いじゃなかった。

 


昔からそういうことは肌でわかる質だ。

 


並べ立てたように、この土地は条件的には決して良い場所とは言えない。

 


それなのにどうやらわたしはここが好きみたいだ。少なくとも、故郷と同じくらいには気に入りはじめている。

 


逆に前まで住んでいた土地をわたしは好きではなかったみたいだ。

それが引っ越してみて初めてわかった。

 


あの場所も人もわたしの肌には馴染まなかった。

どうしようもなく。

 


一年半身を置いても愛することが出来ないままあの場を去ってしまった。あの場所で唯一愛したと言えるのは、きっと自分の暮らしたせまいアパートメントの一室だけなのだろう。

 


 あの場所に対して未だに懐かしさも恋しさも抱くことができないのは私が薄情だからなのか。そんなくだらない物思いで頭の片隅を悩ませることがある。

 


そう言う時は決まって、生ぬるい絶望が胸の奥に揺蕩いわたしを憂鬱にした。

 


土地を愛することは人を愛することに似ている。

 


わたしが 好ましい と感じる時

 


大体そこに理由はない。

 

 

 

わたしが 嫌いだ と感じる時

 


大体そこにある理由は後付けだ。

 

 

 

全ては直感が決める。そうやって生きてきた。

 


だからこそ、怖くもある。

 


わたしは愛しすぎてはいけない。

 

 

 

強すぎる「好き」はいろんなものを駄目にしてしまう。事実、駄目にしてきた。

 

 

 

わたしの「気持ち」は強すぎるから。

 


昔から何度も言い聞かされたことだ。

 

 

 

 


だからこそ、今日もそっと愛しんでいたいと思う。

 


その愛が確信に変わらないくらい かすかに。

 


壊れてしまわないように。

小説・海のなか(19)

 

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前話はこちら。

 

 

 

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***

 


 なぜ、あんなことを言ってしまったのだろう。

自分の言葉を反芻するたびに嫌気が差した。

 『夕凪、あたしが探してこようか?』

 自分でやったことのはずなのに。あんなことをしてしまった自分がわからない。あたしは夕凪を避けていたはずなのに。あの子に会いたくない、はずなのに。

 こういう時がある。勘ではまずいとわかっている。悪い予感に急かされながら、それでも選んでしまう。まるで愚かさに毒されているような。

 あたしは束の間のスリルを欲しがっているんだろうか?過ちは蜜のように甘い。それは痛いほど知りつくしたあたしの悪癖だった。

 それとも陵の手助けをして印象をよくしたかった?あのやりとりに味を占めたから。

 ああ。本当にいやらしい。

 そうは思いつつも陵との会話が頭を離れなかった。あの充足感が忘れられない。

 けれど、ふと気づく。こんなに満たされていいんだろうか。あたしはもっと欲しがるべきだろう。だって陵が好きなのだから……。

 その気付きは身体の暖かさを一気に抜き去っていった。

『あたしは悪くない』

 手に力が籠ると、ビニール袋がガサっと音を立てて傾いだ。慌てて水平に持ち直す。中にはお昼ご飯に買ったお好み焼きと唐揚げが1パックずつ、それから揚げパンが二つ入っている。あとで沙也と合流して一緒に食べるつもりだった。

 図書室は1号棟の最上階、3階の一番奥にある。あんなに騒がしかったのに、今は耳鳴りがするほどしんとしてどこか息苦しい。誤魔化しの効かないような孤独があたりに立ち込める。自分の足音をこんなに大きく感じるのはいつぶりか。

 あたしはほとんど本を読まない。漫画すら読まない。唯一読むのはファッション雑誌くらいなものだ。兄の唯河は漫画もゲームも好きみたいだけど、あたしは特に影響されることもなく育った。兄は兄であたしと趣味を共有することを早々と諦めたから、それも大きかったのかもしれない。あたしが妹でなく弟だったなら、少しは違ったのだろうか。そんなことを時々考える。

 陵と知り合って少し経った頃、本を勧められたことがあった。とは言っても、あたしは読んでいた本について尋ねただけなんだけど。「今読んでるの、どんなやつなの」って。彼があまりにも幸せそうな顔をして文字を追うものだからつい尋ねてしまった。あの眼差しは今も胸の奥深いところにしまってある。まるで宝物みたいに。

 陵は「サンショウウオ」と答えた。「イブセマスジ」とも言っていたっけ。作者の名前がそんな感じだったのを覚えている。昔から人の名前を覚えるのは苦手だ。サンショウウオもイブセマスジも知らないあたしは当然、どんな話、と尋ねた。すると陵はただ微笑んだ。そこでこのやりとりは終わったわけだけど、翌日珍しいことが起こった。陵がうちのクラスを訪ねてきたのだ。手には一冊の文庫本が握られている。ご丁寧に藍色のブックカバーまで掛けてあるのが彼らしかった。

 「昨日のあの本は図書館のだから貸せなかったんだ。同じやつじゃないけど俺の持ってる本にもサンショウウオが入ってるやつがあったから、よかったら……」

 やけに饒舌なのに、どこまでも控えめなその態度に気を取られて、なんとなく本を受け取ってしまった。あの微笑みの裏でこんなことを考えているなんて思いもしなかった。そんな意外性もまた、あたしを惹きつけたのかもしれない。

 『サンショウウオ』をあたしはなんとか読み通したけれど、結局よくわからなかった。あたしが蛙なら、山椒魚を許すことなどしないだろう。そんな底の浅い感想しか抱けなかった。まるで小学生の作文みたいに稚拙で、虚しい。面白いとかつまらないとかそういう簡単な判断すら下せない。ただひたすら理解できないのだった。きっと、陵にはあたしには感じられない何かがわかるのだろう。でなければあんな表情は浮かべられない。その時の気分は、今までの人生で何か大切なものを手に入れ損ねていることに不意に気付いてしまったような感じだった。

 わかりやすく言ってしまえば、羨ましかった。あたしは陵に嫉妬した。同時に惹かれてもいた。ひたむきに向き合える何かがある彼に。

ーーそうしていつしか、あたしは陵に対してだけ湧き出すこの感情に「好き」という名を与えたのだった。

 気がつくと、図書室のドアはもう目の前だった。やはりここはひんやりと寒くて居心地が良くない。嫌なことは手早く済ませてしまうに限る。あたしは一つ深呼吸すると意を決して引き戸に手をかけた。

 


***

 

海のなか(20)へつづく。

 

 

 

 


 

小説・海のなか(18)

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前話はこちら。

 

 

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***

 

 教室を出るとともに、また俺は囚われてしまった。

 あの問題。未来という問題。

  考えたくないと思えば思うほど逃れられなくなる。泥濘に足を取られ、はまり込んでゆく。もう誰のせいにもできない。逃げていた俺が悪い。空っぽな俺が。別に逃げ続けられるとたかを括っていたわけじゃない。

何も考えていなかった。ただ、それだけ。

 これからどうするのか。どうすべきか。どうなるのか。

 もし問いかけたなら、「好きに生きればいい」と親は言うだろう。

 俺は恵まれている。多分。

  だけど、「やりたいこと」がない時はどうすればいいんだ?「好きなことをすればいい」と言うかもしれない。なら、「好き」と自信を持っていえるものがない場合は?そういうやつにとって自由は罰に等しい。

 いままで、なんとなくで生きてきた。

 地元の小・中学校に通って、近いからと言う理由でこの高校を選んだ。これまでを後悔しているわけじゃない。ただ、俺は「自分で選んで」ここにわけではないと言うことにたった今気がついたのだった。それなのに、大学からは急に選べ、という。どうすればいい。

 ……そもそも、自分で選ぶって、なんだ?

 「陵?ちょっと」

 不意に腕を引かれる。怪訝な表情の沙也がこちらを覗き込んでいる。周囲の雑音が次第に戻ってきた。

 「ねえ。たこ焼き買ってっていい?まだ時間あるし」

 「ああ、いいよ。……なあ、奢るから俺も食べていいか」

 「別にそりゃいいけど。いいの?」

 「今月の小遣いあまりそうだからさ」

 「たこ焼き8つ入り一つ」と言って屋台の売り子に200円を渡すとパックに入ったたこ焼きがすぐに手渡された。50円お釣りも帰ってくる。

 「たこ焼き好きだっけ」

 沙也にパックを手渡しながら問いかけると、

  「まあ、割と」

 答えつつ沙也は一個頬張った。彼女の口元に青のりが付くのを気にしながらポケットを弄る。

 「でも、タコは嫌いだろ」

 「たこ焼きは別。見た目がダメなんだよね、イカもだけど。食べるんでしょ?冷めるよ」

 俺はたこ焼きを一口に食うと、ポケットティッシュを差し出した。

 「のり、ついてる」

 「ん?あ、ほんとだ」

 口の中のものを飲み込んで、また次を放り込みながら、ふと思う。沙也はこの先どうするつもりだろう。沙也って女の子は昔から食べ物でも人でもなんでも白黒はっきり好き嫌いを言う。言えてしまう。幼なじみとしては、そう言うところが怖くもあり、誇らしくもある。俺には決して持ち得ないものだから。

「なあ」

 「ん?」

   見ると沙也は今度こそ青のりがつかないようにしようと大きな口を開けていた。

 「あー、そのー」

 自分でも嫌になるくらい俺は口が上手くない。いきなり進路のことなんか、どうやって切り出せばいいんだ?言い淀んでいると、沙也は上目遣いに軽く睨んだ。

 「さっさと言えば」

  幼なじみは昔から短気だ。言葉はきついが決して怒っているわけじゃない。ただ、迂遠な言い方を好まないだけで。その証拠に長い付き合いのなかでも沙也が本気で怒っているところを多分ほとんど見たことがない。

 「ええと。沙也はさ、卒業したらどうしたいとかもう考えてるの」

 「なぁに、いきなり」

 「いいから教えてよ」

 少し考え込むような沈黙の後、

 「ま、大学には行くと思う。まだ絞れてないけど。学部は悩み中。でも、経済とかいいよね」

 予想外に真面目な回答が返ってきて面食らう。口に出してここまで言うのだから彼女の中ではもっと沢山の計画があるに違いない。沙也とはそういう子だ。できないことは言わないし、口にした以上絶対にやる。プライドが高い、とも言うけれど。

 「まあ、そうだよなあ。ウチの高校、普通科だし」

 口にした言葉はふわふわとして中身が伴わない。空気を噛むような気味悪さだ。すると、少し前を歩いていた沙也はくるりと踵を返した。

 「また鬱陶しい感じでうだうだ悩んでるんでしょ。もはや趣味じゃないの?あんたも飽きないよね、ほんと。そんなずっとジメジメしてて疲れないわけ?」

 言うだけ言うとまた幼なじみは背を向けた。

 「仕方ないだろ、こういう性格なんだよ。俺だって嫌だ。こんなの」

 投げ捨てるような響きが宿るのを止められない。沙也は時々こんな風に説教臭くなる。まるで姉みたいだ。だからなのか、俺はこういう時いつも反論できない。幼なじみに説教されるなんて御免だ。兄妹なんて一人で充分厄介なのだし。

 それにしても沙也は普段から多弁というわけでもないのに、一度スイッチが入ると口が良く回る。感心してしまうくらいに。

 「今からそんな悩んだって仕方ないじゃん。今はやりたいことだけやってなよ」

 『やりたいこと』

 「やりたいこと、ねえ……

 悩むなと言われたばかりでまた悩みはじめているのに気がつく。これでは趣味と言われても仕方がない。

 「正直、副会長が文化祭そっちのけで悩んでるとかシャレになんないから。今は今のことだけ考えてよね。なんとかなるよ。進路のことなんか」

 「無責任なこと言うなよな。ったく」

 聞こえないくらい小さな声で毒づくと、沙也は パタリと足を止めた。

 「はあ?無責任?いい加減なことなんか、わたし言ったことない。そんなこと、陵だってわかってるでしょ。できると言ったらできる。少なくもわたしはそう思ってる」

 そうしてまた前に向き直るとずんずん進んでいく。その力強い足取りが眩しく見えた。

 「……ありがとう」

沙也はもう振り向かない。

 「ばかじゃないの」

 前をゆく沙也に駆け寄る。そっと盗み見た横顔は凛として美しい。それだけで、少し自信が湧いてくるから不思議だ。

 信じてみようか。沙也の信じる俺を。まだ先は長いのだから。

 並んで歩く速度はいつのまにか合わさっていった。

 

***



海のなか(19)へつづく。

 

小説「海のなか」まとめ3

 

 

 

どうも。クロミミです。

さてこのまとめ記事もとうとう三回目。

先日17回目の更新をいたしました連載小説「海のなか」。読んでる人がいるのないないのかもよくわからんが、いると信じて小説の内容を今回もざっとまとめてみたいと思います。

 

てか、更新のたびに文字数の違いエグくてごめんなさい。前回更新は特に多くなってしまって気がついたら6000字近かった。だって話の区切りがなかったんだもんよ。出来るだけ1500から2000をひとつの回として更新したいものよと思っておる次第。

 

キャラクター解説については前回のまとめ2で詳しく行なっておりますので、そちらをご参照ください。

 

 

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今回は「海のなか」の13から17をざっくりまとめつつ、振り返りたいと思います。

 

海のなか(13

 

12から引き続き、夜の海辺の船着場にて。一馬と愛花はともに時間を過ごしていた。

鋭く核心を突く一馬の問いに対する愛花の答えとは!?

 

 

海のなか(14

 

ここから第六章。

103日の夕凪の日記より。

最近はもっぱらあおと過ごしている様子の夕凪。しかし、そんな彼女の心には彼女自身すら予期せぬある変化が訪れていた。

 

 

海のなか(15

 

ところ変わって高校の文化祭当日。開会式の最中、陵はいろいろなことを思い巡らせているけれど

 

 

海のなか(16

 

文化祭開会式直後。

いきなり愛花にメイクされてしまう沙也。戸惑いながらも沙也は、何故か愛花のことが憎めない。

 

 

海のなか(17

 

人混みをかき分けて道ゆく陵。彼は沙也のいる2A組の喫茶店をめざしていた。たどり着いた先で陵はある人物の変化を目にして

 

 

 

私としては、かなり17とか頭を悩ませながら書きました。結構今後の進行に大切な心の動きとかをめっちゃ練った気がします。(ま、全部の回に言えるけども)

 

小説書いてて思うのは、どこまで描くかが難しいってこと。てか、書いててあ、お前そんな性格やったの!ってなることもしばしば。だからこそ面白いんだけどね。

 

物語自体は今やっと3分の1終わり頃に差し掛かろうかというところ。起承転結の承に入ったところって感じかな。てなわけで、まだまだ続きます。多分ノートに書いてた頃より長くなるからね。

 

こないだざっくり字数計算してみたら、一回の更新が平均2000文字だとしても34千はいってるっぽい。小説が一冊大体78万文字らしいのであと倍ちょっと?いやーーおわんねーわこの話倍書いたくらいじゃ。予定ではあと6万文字くらいの手応え。

 

てなわけでまだまだ続きます。だって長編だし?気ながーにお待ちください。これからはもうちょい更新頻度上げたいと思ってます。

 

忘れたら、まとめ記事読んで思い出すのだよ、諸君。

 序盤がオムニバス形式だったのと比べて最近の中盤は少し繋がりつつあるからな。文化祭編始まったし。ぜひ三つのまとめをご活用ください。

 

それでは〜。

 

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小説・海のなか(17)

 

 

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前話はこちら。

 

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※※※

 

 こういうことは苦手だ。俺は再確認する様に噛み締めた。我ながら、とことん裏方気質というか。こういうことはきっと佐々木なんかに向いているに違いない。けれど、悔いてももう遅い。断りきれなかった俺が悪い。クラスメイトに少し抜けると伝えたら、この看板を押し付けられてしまった。

「ホットドッグ〜、ホットドッグはいかがですか〜2年B組のホットドッグ。中央広場にてやってまーす」

 お決まりの台詞を口にしつつ、看板を高々と掲げることも怠らない。我ながら健気だと思う。そうでも思わなきゃやってられるもんか。自分の生真面目さにややうんざりしつつ、宣伝文句を機械的に垂れ流す。

 正直、うちのホットドッグの売れ行きは芳しくない。マスタードやケチャップはわかるとして、だれだよチョコレートなんかかけようなんて言ったやつは。あんなうまいかどうかもわからない代物に金を払おうという奴の気が知れない。

 「ホットドッグ〜おいしいホットドッグ〜」

 人混みに投げやりな声が吸い込まれていく。

 もともと180センチ近くある身長に加え、こんな看板まで持っていたら、目立つのは当然だった。自然、猫背になってしまう。

 また見知らぬ女子と目が合った。慌てて笑みを取り繕うと、顔をそらす。気まずいことこの上ない。宣伝に歩き始めてから、もう何度かこういうことがあった。小さな囁きがすれ違う度に聞こえる。そんなに俺はどこかおかしかっただろうか。俺は頭を心持ち上向きにした。こうすれば、ほとんどの女子はつむじの集団でしかない。こんなことなら着ぐるみでも着たかった。そうすれば誰も俺だとはわからないだろうし。

 隣のクラスのくせにどうしてこう模擬店の配置が遠いんだ。隣でいいじゃないか。やっぱり昼間を避けていくべきだった。まあ、出来ないんだけど。入場チケットが必要だから、そこまで外部者は多くないはずだが、うちの学校は生徒だけでも700人以上いる。これだけごった返してもおかしくはなかった。今も生徒会メンバーの誰かが校内を巡回しているはずだ。俺が沙也のクラスを目指しているのも生徒会の仕事のためだった。

 各教室でいろいろな出し物が催されていた。プラネタリウム、お化け屋敷、カフェ、射撃……。中には図書委員会主催の古本市もある。今年もあるのか。まだチェックしていない。油断すると手が伸びそうになるのを抑えつつ、目的地を目指す。一度手をつけてしまえば、切り上げるのは容易ではないだろう。時間に遅れるわけにはいかない。足早に古本市を通り過ぎて、階段を上がっていく。2年A組は2階の端で、階段を上がってすぐのところに位置している。

 階段を上がり切ると、ようやく一息つけた。一階に比べて二階は人がまばらだ。きっと有志バンドを目当てにみんな階下へと降りて行ったに違いない。開いているドアから中の様子を伺うと、この喫茶店にもそこまで客はいなかった。おそらくピークの時間がまだ先なのだろう。

 「いらっしゃい。陵、どうしたの?」

 ウェイトレス姿の妹尾さんが近づいてくる。いつもながら目を引く容姿だ。彼女が一歩踏み出すたびに背中でポニーテールが揺れた。この子の前では気後れしてしまう。それは、大きな瞳がそうさせるのかもしれない。心の底まで覗かれてしまいそうな目をしているから。

 「沙也いるかな。生徒会の巡回当番でさ」

 俺は、手で促されるまま手近な椅子に腰掛けつつ言った。

 「ああ。サヤね。そういえば、そろそろシフト終わるんだったっけ。ちょっと待ってて呼んでくる。あ、そうだ」

 愛花が少しこちらに顔を寄せた。ちょっとドギマギしてしまう。

 「サヤ、可愛くなってるからね」

 突然囁かれてびくつく俺を置いて、彼女はさっさと厨房へ向かう。同級生との距離感ってこんなもんだっけか。いやいやそんなわけないだろう。自分の社交性のなさを改めて思い知らされていると、キッチンの出入り口からウェイターが現れた。

 「お客様、ご注文は?」

 その声には慇懃無礼という言葉がぴったりだ。

 そこには仏頂面の三つ編み少女が立っていた。お揃いのエプロンがヒラッと揺れるのが目に入った。普段の姿からかなり様変わりしていて少し自信がない。でも、この声を間違うほど俺の記憶力あやしいわけでもない。

 「沙也?」

 「陵に決めさせるといつまでもうだうだ悩みそうだったから、テキトーにコーヒー持ってきた。砂糖とミルクは?」

 たしかに俺は優柔不断だが、流石にムッとした。これ、絶対タダじゃないだろ。他の奴なら奢ってもらえる可能性を期待するかもしれないが、金にうるさい彼女に限ってあり得なかった。

 「あ、ミルクだけ」

 沙也はエプロンのポケットからコーヒーフレッシュをひとつ取り出すと、コロンと机に置いた。

 「じゃ、ごゆっくり。あと5分で上がるから待ってて」

 沙也はさっきから全く目を合わせようとしない。この場を早く去りたいと言わんばかりの素っ気なさだ。まあ、単に応対が雑とも言うが。

 「あ、うん。……なんか、今日顔違うね」

 すると、舌打ちでもしそうな歪んだ表情で幼なじみは俺を見下ろした。

 「……つーか、なんであんたわざわざこんなとこまで」

 「妹尾さんから聞いてないのか。生徒会の当番」

 「そんなもの愛花から聞かなくたってわかってるし。あと15分後でしょ。そうじゃなくて、予定じゃもうちょっと遅くくるはずだったじゃない」

 その声には何故か剣がある。

 「なんだよ、早く来ちゃわるいのか」

 すると、沙也は何やらボソボソ恨言のようなものを呟きつつ、さらに眼光を鋭くした。

 「とにかく、あと5分後!私は着替えてくるから!いい!?」

   叩きつけるように言って去っていこうとする沙也に

 「もったいない。似合ってんじゃん。そのまま行けば?」

 すると沙也は鬼の形相で振り返った。せっかくメイクしても形なしと思えるほどの表情だ。

 「行くわけないでしょ?!会長にでも見られたら面倒くさいことこの上ないに決まってる」

 「ああ。あいつ喜んで写メ撮りそう」

 想像しただけでちょっと面白くて笑える。実際に起こったら厄介ごとでしかないんだろうけど。

 「もう少し考えてモノを言いなさいよね」

 「すいませんでした。あ、そうだ。沙也。夕凪、見なかった?」

 「え、なんかあったの?」

 「それが、このあとシフト入ってんのにいなくてさ」

 「ふうん。…見てないな」

 「ならいいや」

 実際、夕凪がいないからと言ってさほど困るわけでもなかった。準備期間中ほとんど居なかったのだから、当てにされるはずもない。シフトもほぼ居ない前提で組まれている。そんな空気を感じるたび、なんだか胸がざわついてしまう。たしかに夕凪はいるはずなのに。いつのまにか居なかったことになってしまうような、そんな予感。そう。俺は自分の気持ち悪さを少しでもマシにしたいだけだ。

 キッチンスペースへと去っていく沙也の後ろ姿を見ながら、コーヒーを口に含む。微妙に薄くてお世辞にも旨いとは言えない。家で淹れたインスタントコーヒーと同じ味がする。もう一口啜りながら、もしかしたらメーカーまで被ってるかもしれないな。などと推理しつつ的外れな視点で味を楽しんだ。ミルクをもらったが無駄になりそうだ。これならストレートの方がマシだ。

 それにしても、沙也は2年になってから少し変わったみたいだ。今まではなにがあってもあんな格好しなかっただろう。俺みたいなやつと違って沙也はこういうお祭りごとを積極的に楽しめるタイプだった。ぱっと見ではそう思われないらしいけど。最近まで自分のミーハーさを認めようとしなかったのに。何があったか知らないが、今年に入って漸く認める気になったらしい。きっかけが何にせよ、いい傾向だ。

 するとその時、近くから声がした。

 「うちのコーヒーのお味はいかが?」

 いつの間にか、妹尾さんが傍らに立っていた。いつの間にか制服姿に戻っている。

 「おいしいよ。これっていくら?」

 「150円。嘘つかなくていいよ。どーせインスタントだしさ。それだけじゃ味気ないでしょ。これあげる」

 彼女は手にしていた小皿を俺の前に置いた。小皿の上にはこんがり焼けたスコーンが鎮座している。横にはご丁寧にクリームまで添えられていた。

 「え?俺頼んでないよ」

 すると彼女は微笑を浮かべつつ

 「大丈夫。これ失敗作。余らせてもどーせあたしか沙也が持って帰るだけだからさ。タダだよ」

 たしかにそう言われてみれば、確かに少し形が歪だったけれど、それでも十分美味そうだ。

 「本当にいいの?」

 「いいのいいの。あ、味は保証するわ。なんたってサヤが作ったし。あたしも食べたし」

 そう言って妹尾さんは心持ち胸を張って、しししっと変わった笑い声を立てた。

 「ん?なんで沙也が作ったら保証になるのさ」

 「そりゃ、料理得意だからでしょ。あの子お昼手作りじゃん。あたしよく分けてもらうけどおいしいよ。…まさか、知らなかった?」

 少し呆れたように彼女は言った。

 「うん……全然知らなかったみたいだ」

 「そういえばさ、沙也、どうだった?」

 少し身を乗り出して彼女は言った。

 「ああ。いつもとは違った。意外だったよ。あいつがあんな格好するなんて」

 「ふふん。似合ってたでしょ」

 何故か誇らしげにする妹尾さんを見て、ピンときた。

 「もしかして、妹尾さんが?」

 見上げた顔がニヤッと笑う。

     「そっ。あたし、前から思ってたんだよね。サヤにはあーいう格好も似合うってさ」

 「ありがと。あいつ素直じゃないし頑固だからあんなだけど、多分めちゃめちゃ喜んでるから」

 言いながら厨房の方に目を向けると、制服姿の沙也が出てくるところだった。

 「ね、素直じゃないよね〜。ま、そこが可愛んだけどさ」

 「妹尾さんも制服、よく似合ってたよな。なんか、様になってるっていうか」

 「そう?照れるな〜」

 意外にも彼女はすこしはにかんで見せる。こう言うことは言われ慣れてるモノだと思っていた。

 「ほんとだよ。なんか慣れてる感じしたから、今までバイトとかしたことあるのかと思った」

 「あー、短期なら何度かね。でも、本格的には大学入ってからかなぁ」

 大学、という言葉に引っ掛かりを感じてしまうのはどうしようもないことだと思う。高校に入ってからずっとそうなのだから。今更意識するなと言われても無理がある。けれど、俺はまだ慣れていない。進学という事実の現実味に。

 「陵は、もちろん進学するんでしょ?」

 「まあ、多分……」

 「だよね。頭いいし」

 曖昧に答えてはみたものの、中身のあるものでは到底なかった。今まで自分の行く末についてきちんと考えたことなんて、多分ない。大学名を書く必要があるから偏差値を調べて適当なモノを書く。けれど大学で何かをしている自分についてはこれっぽっちも想像が湧かなかった。勉強をしているのだって、する必要があるからしているだけで、別にしたいわけではない。考えれば考えるほど自分の中に空いた穴を見つけて踏み入っていくような寒気を覚えた。

 「陵、お待たせ。行こう。遅くなるし」

 沙也に声を掛けられて初めて、ようやく俺は物思いから覚めた。いつの間に近くにいたんだろう。

 「サヤ、お疲れー」

 「そっちもお疲れ。じゃ、生徒会行ってくる。後で、出店どんなの出てたか教えて。後で回りたいからさ」

 「おっけー任せて。なんか良さげなのあったら買っとくわ。後で食べよ」

 「え、いいの?ありがと。じゃ、割り勘にしよ。選ぶの任せていい?」

 「任せて。勝手に決めていいんでしょ?」

 「愛花のが、美味しいもの詳しいじゃん」

 「オッケー」

 妹尾さんとの流れるような会話はあっという間に終わった。こういう会話に憧れるけど、俺にはきっとできない。きっと話し出す前に考えすぎてしまう。

 「それじゃ、行こうか」

 小銭を置いて立ち上がると、呼び止められた。

 「夕凪、あたしが探してみようか」

 妹尾さんからの突然の申し出に少し体が硬くなった。

 「え、いいの」

 「ま、お察しの通りこれからシフトないし。どうせお昼買いに店巡るからさ。そのついで」

 「そりゃ、すごくありがたいけど。ほんとに?」

 「うん。なんか心当たりとかあるの?」

 心当たりは一つしかなかった。あの場にいた夕凪が俺の中には焼き付いていた。初めてあの場所にいるのを目にしてからもう、一年近く経っている。あれから何度もあの場所で彼女を見た。奇妙な確信があった。きっと今日もあの場所にいると。

 「図書室にいると思う。大型本の棚の奥を左手に曲がった角の椅子……いや、でもやっぱり俺がいくよ。悪いしさ。急げば多分、間に合うだろ」

 「何言ってんの、生徒会の仕事はどうするの」

 妹尾さんはそう言って軽く俺の肩を叩いた。

 「がんばれ、副会長。で、夕凪のシフトは何時から?」

 「たしか、12時15分から」

 「後15分じゃん。急がなくちゃね。とにかく、あたしに任せなよ」

 その時初めて、俺は愛花と接した気がした。幼なじみの友人としてではなく。妹尾愛花その人と。

 「ありがと。今度なんか奢るよ」

 「期待しとく」

 愛花は強気な笑みを浮かべて、手を振った。

 


※※※

 

海のなか(18)へと続く。