KUROMIMIには本が足りない。

小説が大好きなヲタク。漫画を漁るようにして読み、小説にどっぷり浸かって癒されるのが常。小説も書きます。「クロミミ」でリップスでも投稿中。

ニワカだけど伊坂幸太郎を語らせてほしい。

たのむから、お願いだから、

ニワカだけど伊坂幸太郎を語らせてほしい。

 


ひさびさに伊坂幸太郎を読んだら最高すぎた。

 



今回語るのはこちら。

 

 

伊坂幸太郎

グラスホッパー

角川文庫刊行

 

 

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グラスホッパー』のあらすじはこんな。

 

 

 

「復讐を横取りされた、嘘?」元教師の鈴木は、妻を殺した男が車に轢かれる瞬間を目撃する。どうやら「押し屋」と呼ばれる殺し屋の仕業らしい。鈴木は正体を探るため、彼の後を追う。

  一方、自殺専門の殺し屋・鯨、ナイフ使いの若者、蝉も「押し屋」を追い始める。それぞれの思惑のもとにーー「鈴木」「鯨」「蝉」、三人の思いが交錯するとき、物語は唸りをあげて動き出す。疾走感で溢れる筆致で綴られた、分類不能の「殺し屋」小説!

 


(『グラスホッパー』角川文庫 カバー裏あらすじより全文を引用)

 

 

 

この作品を改めて読んで、やっぱり伊坂幸太郎ってすごい。って思った。

 


もちろん文章とかも素敵なんですけど、それよりも何よりも人物造形がすごい。

 


グラスホッパーに出てくる人物はみんなかっこいいんだけど、どこか人間臭い。人間の性を描くのが上手いとでも言おうか。人間の持つ、どうしようもなさ、みたいなもの。

 


だから、キャラが上滑りせず自分に引き寄せて入り込んで読んでしまう。気がつくとそこはすでに術中。深く惹かれてしまうのです。

 

 

 

最も印象に残った部分をとりあえず引用。

殺し屋・蝉とその雇い主の岩西との会話。

こいつら、魔王とかにも出てきた気がするんだけど…気のせいかな??

 

 

 

 

 

 

 


「おまえさ」岩西がふいに、口を開いた。「前から思ってたんだけどよ、いつも何考えながら、やるんだ?人を殺すときに」

「どういう質問だよ」

「殺す時は、言い訳を考えたり、理屈を考えたり、念仏を唱えたりするのかよ」

「するわけねえだろうが」

「何も考えずに、殺せるのかよ」

  今更なんだそりゃ。長年バッテリーを組んでいたキャッチャーから「ところでおまえの球種っていくつあるんだ」と訊ねられたような不意打ちを蝉は感じたが、それでも答えを探した。「俺は頭が悪いからよ、難しいことから逃げるのは得意なんだよ。数学の定理とか、英語の文法とかあるじゃねえか。ああいうのを黒板に書かれても、さっぱりわからねえんだよ。だからそういう時は、考えるのをやめるわけだ。それと同じだよ。人を殺すのがいいことなのか、そういうのはかんがえねえんだよ。仕事だから、やる。それだけだ。ああ、例えば、あれだな」

「何だよ」

「例えば、車を運転している時に、交差点の信号が黄色から赤になりかけたりするだろ。でもまあ、どうにかなるんじゃねえかとアクセルを踏んで、渡ることってあるだろ」

「それで、自分よりさらに後ろの車もついてきた時ってのは、驚くよな」

「まあな。で、そうした時に前がつかえて、交差点の真ん中めでとまることってあるじゃねえか。他の車の邪魔になるわけだ。そういう時、ちょっと悪いな、って思うだろ?」

「そうだな、ちょっとは思うな」

「それと似てる」

「はあ?」

「道、塞いじゃって申し訳ない。でも、そんなに迷惑じゃないだろ、勘弁してくれよ。そんな気持ちで殺すわけだ。それに、俺が殺す相手ってのは、会ってみるとむかつく人間ばっかりなんだよな。うるせぇし、鈍いし、身勝手だ。罪悪感なんて感じる必要もねえ」

「おまえは才能があるよ」岩西が酔っ払いがそうするように、高い声で笑った。

 

 

 

(『グラスホッパー伊坂幸太郎  角川文庫より一部を引用)

 

 

 

この蝉の結論が、私の中でストン、と腑に落ちてしまいました。何故でしょう?

 

 

 

それは、この蝉の明確とは言えない気持ち、状態がひどく身に覚えがあるものだったからではないか、と思っています。

 


日本人は基本的にロジックより感情を優先する民族です。そして、個人よりも集団が強い。だからなのか、一度仕事という大義名分を与えられると、それ以上の理由づけを必要としない。仕事という、外に理由を求める。そういう性質を我々はもともと持っているのではないか、と思う。理由がなくても、理屈が合わなくても、私たちは生きていける。

 

 

 

 


これが西洋なら話は違ってくるかもしれません。彼らは、基本的にロジックと個人主義にいきている。きっと、彼らは自分の理由を求める。だからこそ西洋では哲学が発達したのです。これはドストエフスキーなどを読んでいても感じることですが。皆、自分の哲学に従って生きるのです。行動の理由は常に自らの内にある。

(このような日本人と西洋人の違いについては、河合隼雄さんがいつだったか対談で触れられていましたが。)

 


日本人的な性質をまざまざと浮き彫りにしてしまうこの会話文にはゾクゾクきました。

 


でも、凄いのはここだけじゃあ、ない。

 

 

 

会話文のリアリティもすごい。

 


このやり取りを読むだけで、岩西が蝉にとってどういう存在かがわかる。

 


ここでの蝉の言葉は「加工」されていないように感じる。思ったことが素のまま外に出ている。私も家族やごく親しい友人の前でのみ、こういう会話をしてしまうことがあるのです。そういう時の語りは会話というより「独白」に近くなります。だから、噛み合わなくなったり相手を戸惑わせたりしてしまう。それは、外に出すものとして「加工」されていないから。

 


自分を真に語ろうとする時、どうしても自分自身との深い対話が必要不可欠となります。

 


自分と対話し、その感覚に最も近い言葉を探すことに集中するので、意識は内に向く。そういうときの独特な感触をこの会話文は持っている。

 

 

 

自分の心の中身をそのまま話す。そういう状態って、ひどく無防備だとおもいませんか?

 

 

 

つまり、こんな自分をさらけ出すような話題の答えを真面目に語ってしまうほど、蝉は岩西を信頼している、心を許しているということなのです。

 

 

 

会話文を通して、それと気がつかせることなく人物間の関係性や人物像を描き出す。この手法はとんでもなく難しい。なのに、さらっと伊坂幸太郎はやってのけてしまう。いや。しびれますね。カッケー。

 


よもや、半ば独白のあの空気感を再現しうる作家がいようとは。

 

 

 

続きの『マリアビートル』を読むのが、ますます楽しみです。

 

 

 

今まで伊坂幸太郎は『ゴールデンスランバー』『死神の精度』『フィッシュストーリー』『陽気なギャングが世界を回す』

 


あたりを読んできましたが、これは『ゴールデンスランバー』以来のあたりを引いた予感。

 

 

皆さんもおすすめあったら好きなだけコメで語ってください。

 


それでは、長々とありがとうございました。

 

 

 

 

小説 (仮題)反対の笑み⑴

  その男は、少し違和感のある微笑でこちらを見つめ返していた。「違和感」というのは何も、目の前の男の笑みがぎこちなかったという意味ではないーーー。むしろ、穏やかに何の問題もなく男は笑っていた。違和感を覚えたのは、違っていたからだ。つまり、自分が鏡を見たときにそこに映る顔と今対峙している己の顔とが。

 男も自分のクローンなのだと聞かされていた。顔の造形は全く同じなのに、中身が違うだけでここまで違って見えるものなのか。

   そう考えるうち、気味の悪いものがどこかからかどくどくと湧き上がってきた。まるで、二人で一つの肉体を取り合っているみたいじゃないか?

  取り憑かれたような嫌悪が私の視線を自然、下へと向けさせた。クローンに考えを読まれるのではないか。馬鹿げた考えが過ぎる。

  感情を持て余しながら、思い出していた。ここにくる前に話されたことを。

  ーーーー彼らは、つまり有能な戦士なのです。

  ーーーー気にすることはありません、彼らはクローンなのですから。

  男ーーー「S5」(エスゴ)は私のクローンだということだった。 ただし、彼だけが、というわけではない。私のクローンはもともと五体いたらしい。すでに四体は戦死してこの世界にはいないのだが。S5はクローン最後の生き残りというわけだ。

  ひどく滑稽に感じる。なぜ私はここにいるのだろう。つい昨日まで、私は自分にクローンがいることも、さらに言うならこの国が戦争をしていることすら知らなかったというのに。

  目の前の男の目は、私を哀れんでいるようにも、蔑んでいるようにも見えた。

  その目の奇妙な冷たさに同調している自分に対する心地よさと気味の悪さが、同時にジリジリと胸の内を満たしていった。   

 

※※※

 

KUROMIMI的激推しメン! その2海外文学編


文学2  海外文学編

 


それでは、語っていきましょう。前以て言っておこうと思うのですが、前回よりも固めのものが多くなっていると思います。しかし、おもしろいものもいっぱいありますので、最後までお付き合いいただけると幸いです。どれも有名作ばかりです。

 


以下、

 


作家名

作品名

感想など。

 

 

 

 


レイ・ブラッドベリ

 


今回ご紹介するのは、いずれもハヤカワSF文庫から出ている新訳です。

この人は、アメリカのSF作家。高校一年の時に出会いました。このあと紹介するものの他にも色々書いていますが、わたしは特に「華氏451度」という作品が大好き。焚書について書いた名作。映画化も大昔にやっていますが、味があってすきです。

 


黒いカーニバル   

伊藤典夫   訳

 


この短編集はわたしが初めて読んだブラッドベリ作品でした。完璧にジャケ買い。しかしよかった!!今でもこの出会いに感謝しています。わたしが人生で初めて読んだSFでもありました。

 


※彼のSFはサイエンスフィクションとスペースフィクションどちらも含みます。

 

 

 

わたしはこの短編集の中でも特に「青い壜」という短編が大好き。あまたの男たちが青い壜を奪い合うという話。詩的で美しすぎる描写に何度も何度も読み返しました。そのあといくつもブラッドベリの短編を読みましたが、「青い壜」を超える短編はついぞなかった気がします。この短編集には他にも「黒い観覧車」や「みずうみ」などの名編もたっぷり。一読の価値ありです。

 

 

 

今回は触りだけ「青い壜」を引用したいと思います。

 

 

 

 


おそろしいような気持だった。今度こそ見つけてしまうのではないか。それが不安だった。捜索は、見つかった瞬間に終わり、人生は無意味になってしまうのだ。彼の人生に目的が生まれたのは、そんなむかしではない。金星と木星のあいだを往来する船乗りたちから、〈青い壜〉の話を聞いた十年前からなのだ。彼の内部に燃えあがった炎は、それから一度も消えたことはなかった。計画的にことを運べば、壜を見つける希望だけで、充実した生涯をおくれそうだった。あと三十年はそれで保つだろう。あまりあくせくせず、じっくりと腰をおちつけていさえすれば。

レイ・ブラッドベリ『黒いカーニバル』所収「青い壜」より一部を抜粋)

 

 

 

 

 

 

フィリップ・K・ディック

この項で扱うディック作品は全てハヤカワSFから出た新訳のものとする。

 


このひとこそ、ザ・SF。

ディックといえば、皆さんもご存知の「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」で有名。ブレードランナーという題名で映画化もされてますね。映画は二つとも見ましたが、どちらもなかなか良き映画に仕上がっている模様。わたしの大好きな斗司夫(ヲタキングの岡田斗司夫さんです)の評価も上々でした。

 


しかし、わたしはこの作品よりも他を推したい。電気羊が微妙だったというより、この作品が素晴らしすぎるのです。

 


それが、こちら。

 

 

 

高い城の男

浅倉久志  訳

 


誰が何と言おうと、至高のSF。第二次世界大戦の結末を全く逆転させ、日本、ドイツ、イタリアが勝利した後の世界を描く。しかもそこに白人黒人黄色人種の人種差別問題も絡む、という複雑さ。この難解な世界を全くリアリティーを損なうことなくディックは描き切ってしまうのです!

 


実際にありそうな差別や偏見。そこに、現実の私たちが抱える問題をも孕んで世界は構築されていきます。この圧倒的筆力と構築力には読んだものを圧倒する力がある。

 

 

 

 


他に類を見ない素晴らしい構成力をディックは持っていると思います。

 


これぞSF。死ぬまでに読みたい一冊に推します。ぜひお読みください。

 


一例として、わたしの好きな部分を抜粋します。文章の雰囲気だけでもわかればな、と思います。

 

 

 

ジョーの謎めいた渋面を見て、彼女は背筋が寒くなった。こんな男を泊めるんじゃなかったわ、と彼女は思った。もうこうなっては手遅れだ。もう追い出せないのはわかってるーー向こうが強すぎる。

何か恐ろしいことが始まりそう、と彼女は思った。彼からそれが出てくる。そして、あたしはそれに手を貸しているらしい。

 


フィリップ・K・ディック「高い城の男」より一部を引用)

 

 

 

 

 

 

トマス・ハリス

 


この人のクールな文体は大好きです。内容とぴったりマッチ。ここでいうハンニバルシリーズは全て新潮文庫から刊行されたものを指しています。

 


羊たちの沈黙

菊池 光  訳

 

 

 

ハンニバルシリーズ第1作。わたしが珍しくちゃんと読めたサスペンスですが、正直ハンニバル・レクターという探偵役のキャラクターの魅力が素晴らしすぎたが故です。恋に落ちそうなくらい狂った素晴らしい紳士。大好き。映画化もされていますが、ハンニバル役をつとめられた俳優のアンソニー・ホプキンスが大好きすぎてもう片時も目が離せない。あの人以外でレクター博士を想像できません。おじさま大好き💕うはーーーたまらん。

 


ホプキンスは他にもカズオ・イシグロが原作小説を描いている「日の名残り」という名映画(原作も良かったよ)にて超絶ステキな不器用可愛い執事様の役もやっておられます。みんなで、アンソニー・ホプキンスを愛でようぜ!!

 

 

 

ちなみに、レクター博士にきゅんきゅんしたいなら、こちらがオススメ。

 


ハンニバル上・下

高見 浩  訳

 


ハンニバルシリーズの第2作目です。

レクター博士の狂いっぷりと能力の高さに圧倒されます。

 


マジカッケェレクターカッケェ!!←語彙力w

 

 

 

ちなみに、この後もハンニバルライジングに続きますがわたしは挫折しました。絶対に理由づけして欲しくなかったレクターの狂気に理由づけがなされてしまうからです。このヤロー!トマス・ハリス!このヤロー!

 


あっ、でも番外編のレッド・ドラゴンも読んでないや・・・テヘペロ⭐︎←古い。

 


最後に、大好きな一部を引用したいと思います。

 


「たいがいの人間はチョウを愛し、ガを嫌悪する」ピルチャーが言った。「しかし、ガの方がもっとーー興味深い、人を楽しませる」

「ガは有害だわ」

「有害なのもいる、たくさんいる、しかし、ガは多種多様な生き方をしているんだ。ちょうど俺たちのように」次の階まで沈黙が続いた。「ガの一種は、実際には一種以上いるが、涙だけで生きているのがいる」ピルチャーが口を開いた。「それしか飲み食いしないんだ」

「どんな涙?誰の涙?」

「俺たちくらいの大きさの、陸棲の大きな哺乳動物の涙だ。昔のガの定義は、<あらゆる物をゆっくりと、静かに、食べ、消耗し、あるいは破壊するもの全て>だった。ガは、破壊を意味する動詞でもあったのだ・・・きみが始終やっているのは、こういう事なのかーーーーバッファロゥ・ビルを追う?」

「できる限りやってるわ」

 


トマス・ハリス羊たちの沈黙」より一部を引用)

 

 

 

 

 

 

ウィリアム・アイリッシュ

 


幻の女   

 


ここでは、ハヤカワミステリ文庫の黒原敏行の訳です。

全く無罪の男が、自分の妻を殺した無実の罪を着せらる。その罪をなんとか死刑執行までに晴らさねばならない。男は無事死刑を免れるのか?

 


読む人を酔わせる甘い名文。この冒頭部がとてつもなく有名。今回は、ハヤカワミステリの新訳から引いています。ご了承をば。

 

 

 

ーーー夜は若く、彼も若かったが、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。

ウィリアム・アイリッシュ「幻の女」より冒頭部を引用)

 


この文章は前回ご紹介した、穂村弘も名文としてあげています。大好き。ただし、ウィリアム・アイリッシュの著作でこの「幻の女」以外を探すのはとても難しい。ほとんどの本が新たに刷られていないからです。インターネットでも高額な古本以外出てこない。とりあえずわたしは東京に行く際は神田の古書店街でウィリアム・アイリッシュを探すことに決めました。

 


めちゃくちゃ面白いので、ぜひ読んでみてください。最近読んだ本の中では3本の指に入ります。

 

 

 

 

 

 

ドストエフスキー

 


ロシア文学の代名詞。この人のはどれも光文社の古典新訳文庫で読んでいます。亀山郁夫の訳で。この人の訳はかなり思い切っていて面白い。原典主義の人が読んだら怒りそうだけどwでもいいんだ。大好きだから。

わたしは今まで、4作ほど読んできましたが、この人の作品大好きです❤️本当に文学のくせしてエンタメしてんなって思う。なぜなら、キャラの個性が濃ゆすぎだから。

 


360度どこをみても、女にだらしないクズとか、宗教に恋しちゃった狂った天使とか、人を操ることで自分を満たすクソインテリとか、女二股かけておきながら、そのどちらからも借金して返さない貴族男とか。ありえないクズに惚れるめちゃくちゃ魅力的な高慢美人とか。娼婦のようにコケティッシュな令嬢とか。どこみても、男は呑んだくれとクズとロクデナシと狂った奴しかいない。女はすごい魅力的。老若問わず。強い意志を持ったかっこいい女性が多いかも。でも男はフラねぇんだよな、あんなクズなのに。フシギー。

 


しかもそいつらがしっちゃかめっちゃかに己の哲学や論理を振りかざしながら自分勝手に動く。もうめちゃくちゃ。正直、話の筋がどうとかわかってなくても面白い。このめちゃくちゃを外野から物知り顔で眺めるのが読者の特権なのです。野次馬の立ち位置が読者。

 

 

 

共感しようだなどと思う方が間違っている。だってみんな狂ってるんだもーーん。

 


ふふ・・・愚か者めが。

とニタニタしながら読もうぜ。

 


ちなみにわたしはドストエフスキーの中では

「悪霊」か「カラマーゾフの兄弟」が大好き😘

今度、「白痴」も読みたいなあ。

 


キャラクターとしては、「カラマーゾフの兄弟」のミーチャか、「悪霊」のヴェルホヴェンスキー(息子)が好きです。ヴェルホヴェンスキー(父親)のだめっぷりも超ツボだけど。

 

 

 

是非一度お試しあれ。

 

 

 

 


スコット・フィッツジェラルド

 

 

 

グレート・ギャッツビー

村上春樹  訳   (村上春樹 翻訳ライブラリー)

 


この作品は、二回映画化されています。わたしは古い方の映画化が好み。途中でてくる車の再現具合とか、役者の感じが断然好みだから。華やかさの中に漂う退廃がより再現されている感じがします。

 


ギャッツビーというのは人名。ギャッツビーは大金持ちで、毎日のように盛大なパーティーを屋敷で開いている。というのがこの物語の始まり。なぜ、ギャッツビーはそんなものを開くのか?

 


限りない煌びやかさの中に、孤独の影が落ちる。そんな物語。この人の友人の視点で、全てが語られる。最後まで読めば、なぜこの小説が友人視点で語られねばならなかったのかがよく分かる。

 

 

 

高校2年の頃、これを読んで号泣した思い出があります。ネタバレになりすぎるので、詳しくは伏せますが。

 


ちなみに、ハルキはこの作家が大好きです。だから訳しちゃったらしい。

 


一度は読んでみてほしい名作。

 

 

 

 

 

 

ゲーテ

 


ファウスト  池内紀

 


一度は読んでほしい戯曲。悪魔と契約して全てを手に入れようとする男・ファウストの話。

 


これを読んでいると考えさせられます。誰にでも手に入らないものがある、できないことがあるから不幸せだと思うことがあるのでは?しかし、実際はそうじゃない。充足しない状態知っているからこそ、自分の充足を私たちは認めることができる。知らなければ、いつまでも充足せず不幸なまま。だから、充足しようとさらなる欲望を満たそうと躍起になる。と、丁度こんな風に、欲望の奴隷になってしまうのではないでしょうか。わたしはファウストをそういう人間だと思った覚えがあります。←言ってて訳わかんなくなってきたな。

 

 

 

戯曲って、結局は劇なので口に出して読むことが考えられているんですね。なので、めちゃくちゃ言葉のリズムがいい。詩みたいなものです。なので、多少意味わかんなくても読めてしまいます。わたしは戯曲だと他にもハムレットなども読んだとこがありますが、それもそう。いまは、ロミオとジュリエットを読んでいます。次は、マクベスを読みたいなあ。

 

 

 

よかったら、読んでみてください。

 

 

 

 


〈番外編〉

 


ビアス     著

 


悪魔の辞典

西川正身  編訳   岩波文庫

 


いろんなことを皮肉たっぷりに面白く論評した、まさに悪魔が書いた辞典。

 


たとえば。次のような言葉を、悪魔の辞典ではこう解釈。

 


いんちき

政治屋の言明、医者の学問、評論家の知識、俗受けを狙う説教師の信仰、一言で言えば、この世の中。

 

 

 

食人種

素朴な好みを失わず、豚肉以前の時代に特有な天然の食べ物を固守し続けている旧派に属する美食家。

 

 

 

過ち

当方の犯す違反の一つであって、他人様の犯す違反の一つとは区別されている。というのも、後者は犯罪であるからだ。

 


安心

 


隣人が不安を覚えているさまを眺めることから生ずる心の状態。

 


ビアス悪魔の辞典」より引用)

 


めちゃくちゃおもろい。読んでみてください。

ちなみに、食人種のところで、あ、これレクター博士のことやん。て思いました。美食家とは。ビアスったら、わかってるぅ!!←

 

 

 

 


それでは、この辺で終わりにしたいと思います。すみません。ずいぶん長くなってしまいました。皆様も、自分の好きな本などございましたら、是非コメント下さいませ。

 


あと、海外文学を読まれる際はどなたの訳かもとってもとっても重要なので、気をつけてください。初心者🔰の方は、岩波文庫は避けるのが妥当です。わたしは割と好きですが。こないだ、ミルトンの失楽園を立ち読みしたらよかったので。

 

 

それでは、今回もありがとうございました。次回もよろしくお願いします。

 

 

 

 

クロミミ的小説 激推しメン!


文学1   日本文学編

 


今回は、読書好きを自称するわたしが大好きな本や作家たちについて語っていきます。

 


付き合ってくださる奇特な方を募集中です。

よろしくお願いします。

 


ATTENTION!

 


今回、壮絶に長いです。まじで。でも頑張って書いたから読んでやって欲しい。

 

 

 

本当は一回にまとめようかと思っていたのですが、集めてみると厳選したはずなのにまあまあな冊数になってしまいました。

 


そのため、日本文学と海外文学に分けて全二回でお送りします。その後、気が向いたら多分漫画編もやろうかな、なんて。

 

 

 

軽いものから順に、作者ごとに紹介。行きます。

以下、

作者名

書名

感想など

 

 

 

桜庭一樹

 


GOSICK   

 


初めて読んだのは多分高校一年くらい。アニメ化もされた名作ライトノベル。この方は、結構エンタメが強いと見せかけつつの文学ミックスが最高。一度読め。そしたらもう、桜庭ワールドから抜けられなくなっちまうぜ。ヒロインのヴィクトリカがまたかっこよくて可愛いんやな。一弥の成長や男らしさにも惚れ惚れ。ひとりの男の子が男になる過程を見守るんや!!ミステリー苦手なわたしでも読めたミステリー。ほぼ全巻持ってます。何回読み返したやら。オトナも読めるラノベ

 

 

 

私の男

 


直木賞受賞作。これが直木賞は納得できない。だって、ゴリゴリ文学やんお前!!!短編じゃないから芥川賞じゃないし新人でもないから無理だけど、これは間違いなく文学。エンタメではない。秀逸すぎる文章に酔いしれろ。禁断の関係と愛欲を描く名作。いろいろ桜庭一樹は読んできたけど、この作品が一番好き。一番推せる!!!!

 


いまは、「桜庭一樹読書日記」という桜庭一樹のエッセイが大好きでちょこちょこ読んでる。シリーズでかなりの冊数出ているのでよみであり。なごむ。この人マジでめちゃくちゃ本読むやん。遅読派のわたしとしては羨ましい限りです。

 


桜庭一樹の中では、眠欲と食欲と読欲が並列で成立してそう。この人の、ひらがなの使い方が好きだ。この人に関しては他にもお勧めが10冊はある。マジで。気になる人は、コメントで聞いてください。

 

 

 

 


私の男は、ぬすんだ傘をゆっくりと広げながら、こちらに歩いてきた。日暮れよりすこしはやく夜が降りてきた、午後六時過ぎの銀座、並木通り。彼のふるびた革靴が、アスファルトを輝かせる水たまりを踏み荒らし、ためらいなく濡れながら近づいてくる。

桜庭一樹『私の男』より冒頭部を引用)

 

 

 

 


舞城王太郎

 


とにかく好き嫌いが分かれる作家だと思う。

 


煙か土か食い物

 


デビュー作。やっぱり一番いい気がする。家族が巻き込まれる系のミステリーだが、基本的にはトリックとかわかってなくても大丈夫。だって舞城王太郎だから。

冒頭部が好きなのは他の作品だったりする。(挫折本だけど。)あとで引用したい。

この作品を読んで、いける。と思ったらあなたには舞城王太郎があいます。そのくらい、エッセンスが詰まってる。

 

 

 

好き好き大好き超愛してる。

 


愛について書いた短編集。エロとグロが絶妙。

恋人の体の中に虫が住んでいる、みたいな状況に置かれる主人公。とかぶっ飛んだ内容だったりするのでびっくりしないで欲しい。

 


あえて言おう。

 


考えるな!感じろ!!

こいつの文章はほとんど詩みたいなもんだかラァ!!

 


次の引用を読めば、舞城王太郎がどんな作家かすこしはわかるのでは?

 

 

 

 


今とここで表す現在地点がどこでもない場所になる英語の国で生まれた俺はディスコ水曜日。Disとcoが並んだファーストネームもどうかと思うがウェンズディのyが三つ重なるせいで友達がみんなカウボーイの「イィィィィハ!」みたいに語尾を甲高く「ウェンズでE!」といなないてぶふーふ笑うもんだから俺は…いろいろあって、風が吹いたら桶屋が儲かる的に迷子探し専門の探偵になる。

舞城王太郎ディスコ探偵水曜日  上」より冒頭部を引用)

 

 

 

米澤穂信

 


氷菓古典部シリーズ)

 


たぶん、このあと紹介する北村薫の先生とわたしシリーズのオマージュではないかと。日常にあるほろ苦さを描いた青春ミステリー。省エネでばかりはいられない、折木の人間臭さ。折木への福部の苦い思い。割り切れない感情を繊細に、しかし軽いタッチで描いた良作。京都アニメーションでアニメ化もなされているが、これも秀逸。「愚者のエンドロール」という第2巻はかなりほろ苦なので注意。

 

 

 

高校生活といえば薔薇色、薔薇色といえば高校生活、と形容の呼応関係は成立している。西暦二〇〇〇年現在では未だ果たされていないが、広辞苑に載る日も遠くはあるまい。

しかしそれは、全ての高校生が薔薇色を望むということを意味しているわけではない。例えば、勉学にもスポーツにも色恋沙汰にも、とにかくあらゆる活力に興味を示さず灰色を好む人間というのもいるし、それは俺の知る範囲でさえ少なくない。けど、それって随分寂しい生き方だよな。(米澤穂信氷菓古典部シリーズ第1巻より引用)

 

 

 

 

 

 

 


小川洋子

 


この人の作品は基本どれも大好きだけど頑張って一冊に絞った。褒めて欲しいくらいだ。

 


小川洋子に関しては完全に文学畑の人だなって思います。同じ岡山県民として誇らしいです。(小川洋子岡山県出身)

 

 

 

薬指の標本

 


珠玉の短編集という言葉が一番似合う短編集。

このひとは、本当に名前のつけられない関係を描くのが上手い。奇妙なエロと危うさを孕んだ関係、とでも言おうか。だから、直接エロを書くと急にヘタクソになる。「ホテルアイリス」とかね。とにかく、この作品はお勧め。表題にもなっている薬指の標本が一番好き。去年の年越しはこれを読んでいた。

 

 

 

 


むき出しにされたわたしの足は、彼の手の中にあった。彼があまりにもしっかりとふくらはぎを握っていたせいで、わたしは身動きできないでいた。タイルのつぎめに指先を引っ掛けたまま、ただじっと底に落ちた古い靴を見ているしかなかった。それは片方は逆さまになり、片方は横向きに転がり、羽根をむしり取られた二羽の小鳥の死骸のように見えた。

小川洋子薬指の標本』より「薬指の標本」より一部を引用)

 

 

 

 


北村薫

 


空飛ぶ馬(先生とわたしシリーズ第1作)

 


デビュー作。最近読み始めて、古典部シリーズがこの作品のオマージュであったことに気がついたw

順序は逆だが、こちらも好き。たぶんこっちのほうがより機知に富んでいる印象。いろんな文学作品が登場するので、読んでいるだけでさらに本が読みたくなる。日常に潜むほろ苦さを描く女子大学生と落語家先生のミステリー。結構オトナ向けの気もするので、今であえて良かったかもしれない。古風ながら小気味好い人物間のやりとりがクセになります。取り敢えず、一冊は読み切ろう。この本は開始30ページでは測れない。

 

 

 

 

 

 

桐野夏生

 


グロテスク

 


突き抜けた悪意が最高にカッコいい名作。女のおぞましさと欲をこれでもかと描く。気持ち悪いしグロいのに、なぜか怖いもの見たさで読んでしまう。かなり精神にくるので、心身ともに大丈夫な時にお読みください。みんな嘘つきで、みんな本当。何が真実かなんて、もうどうでもいい。きっと、読んだ人はそう思うんじゃないかな。シンプルな悪意にもはや憧れてしまう。

 


でも、一度読んだら病みつきに。桐野夏生は麻薬みたいなアブなさと中毒性が魅力。わたしは今、これを読み終えて残虐記を読んでます。

 

 

 

 

 

 

 


上遠野浩平(かどのこうへい)

 


ブギーポップは笑わない

 


かなり前わたしが幼い頃から続いているラノベ。今30巻くらい出てるはず。最近読んだラノベの中では一番好き。近々アニメ化も控えていて楽しみ。いま、全巻集めようか本気で悩んでいる。厨二感がいい。文体もラノベにしてはなかなか練れてる。最近割とみないダークな世界観が逆に新しいのではと。人物造形がなかなか独特でわりかし好きです。

 


他にもラノベだと、入間人間西尾維新がすきだったりするのだが、やはり好きなものは通ずるものがあるのか、それぞれの好きな作品がオマージュの関係にあったりする。

 


ブギーポップのオマージュ

西尾維新の「戯言シリーズ

 


戯言シリーズのオマージュ

入間人間の「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん

 

 

 

どれもすきです。ライトノベルで他のものというと、西尾維新の「物語シリーズ」や野村美月文学少女シリーズや、衣笠彰梧の「ようこそ実力至上主義の教室へ」や成田良悟の「デュラララ !!」なんかも好き。個人的には「デュラララ !!」はイザヤ派。シズちゃんも大好きですが。あの厨二感がたまんないよね?

 

 

 

村上春樹

 

 

 

世界の終わりとハードボイルドワンダーランド

 

 

 

ハルキ作品の中で最も好きなのがこの作品。ぜひ一度読んで欲しい。個人的に村上春樹はぴったりハマるわけではないけど、絶対に読むべき作家の一人だと思う。この人の文章には力があるから。

 

 

 

 


梨木香歩

 


家守奇譚

 


近代文学風味に、妖怪たちの世界を語り部の小説家視点で描く。しばらく梨木香歩は読んでなかったけど、また読んでみようかと思った良作。作中を流れる絶妙な気だるさが良い。つぎは「ぐるりのこと」か「りかさん」を読もうかな。

 


小野不由美

十二国記シリーズ

 


このシリーズは挿絵も大好き。全巻持っていて、小学生から中学生にかけて、どハマりしました。大人でも読める。しかし軽い読み物。優れたファンタジーだと思っています。キャラがみんな濃くていいよね。延麒が大好きです。あいつかわいいよね。

 


穂村弘

 


この人も、小学生くらいに一度読んでて、また最近読みはじめた人。かなり良い。元々は詩人なのだが、エッセイがいい。鋭い言葉の感覚とに痺れる。しかし、それ以上に、あったかな作者の人間性が滲み出てて、たぶんもう穂村さんの著作を読んだやつはもれなく癒される。たぶんマイナスイオンでてっから!!

 


こないだ、「君のいない夜のごはん」というタイトルの本をよんだのだが、このタイトル、わたしは大好きだ。君のいない晩御飯とか、君なしの夜のごはんでもいいんじゃ?って思っちゃうんだけど、そうじゃない。君のいない夜、と書かれることで、この部分が強調される。しかも、夜「の」ごはん。君がいない夜に食べたごはんはどんな味だったんだろうなあ、なんて、わたしは考えちゃう。ごはんってひらがななとこがまたいいよな。わたしは完璧に君イコール奥さん(穂村さんは既婚者)だと思ってます。まじ羨ましいな奥さん!!結婚したい。ほむほむと。(穂村弘のニックネームはほむほむ)

 


ここで、引用を一つ。ほむほむは癒し系だけど、ちゃんとかっこいいんやで。

 

 

 

 

 

 

ところが、前項で述べたように近年の若者たちの言葉は「ありのままの君でいいんだよ」「しあわせは自分の心が決める」的な「共感」寄りにシフトしているようにみえる。これは何を意味しているのだろう。そうならなくてはサバイバルできないほどの生存のための状況が厳しくなっているということか。だが「驚異」を求めて無謀な賭けに出る者がいなくなると世界は更新されなくなる。彼らの言葉の安らかさは、より大きな世界の滅びを予感させるのだ。

 


穂村弘「整形前夜」より一部を引用。)

 

 

 

それでは、この辺で。

皆様も、おススメの本や漫画がありましたら、ぜひ教えてくださいね!ジャンルは問いません。

 

 

十八年ぶりの待望の新作…とな?!

今回はこちらについて語ります。

 

 

十二国記   

白銀の嘘(おか)玄(くろ)の月

小野不由美

これは新潮文庫

 

 

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こちらのシリーズについてはすでに#クロミミ的ブック   で熱く語ってますが、わたしが小学生の頃から愛してやまないものの一つです。

 

 

 

十二国記は、上橋菜穂子獣の奏者と肩を並べるファンタジーの傑作だとわたしは信じています。

 


ちょうど、小学校六年の頃に読み始めたのですが、我ながらなかなか良きタイミングでした。

 


なぜならその頃「春望」という漢詩にハマっていたから。

 


国破れて山河あり

城春にして草木深し…で始まる、あの春望。

個人的に、芭蕉の「奥の細道」の序文(月日は百代の過客にして 行き交ふ人もまた旅人なり…)と並ぶ名文だと思っています。

 

 

 

ともかく、漢文にハマっていたわたしには、この中華ファンタジーはハマりにハマり…。全巻読破するのにそう時間はかかりませんでした。

 


そもそも、十二国記というのは、異世界を舞台にした至高のハイファンタジー作品です。

 


その世界では、人は木ノ実から生まれ、12の王によって12の国がそれぞれ統治されている。神である王は死なず、老いず、その治世は長いと何百年にもわたる…。

 


そんな世界の王の一人として選ばれてしまった普通の女子高校生、陽子。王を選ぶ獣、麒麟は突然現れて、陽子に告げた。

 


「あなただ。お探しいたしました」

 


と。

 

 

 

こちらは、

そんな十二国記の十八年振りに出た待望の最新作。

 


もうこの時をどれほど待ちわびたことか。

 


しかも、大長編ときた。最高ですね。

 


小野不由美は他にも有名どころだとゴーストハントシリーズを読んだことがあります。(基本ホラーが苦手なので、ほかの作品はきびちぃ…)

 

 

 

何年も読んでいなかったはずなのに、全然内容を忘れていないのは、やはり優れた作品だからかもしれません。

 

 

 

大人になった今でもすごいと思わされるのは、想像以上にきちんと政治面まで作りこまれたどこまでもリアルな世界観。

 


人々の精神のあり方まで、その世界の形に合わせて現実とは全く違う「あたりまえ」や「常識」がそこにはあります。

 


やはり、素晴らしいものの前にはひれ伏すしかないようです。参りました。

 


今月は一巻二巻が発売され、

来月には続く三巻と四巻が発売されます。

 

 

 

この期に読んでみてはいかがでしょう。

 


素晴らしい沼ですよ。

 


ちなみにどの辺が素晴らしいかというと、シリーズが長いところ。(長編好きにはたまらない。いつまでもたのしめるので)

 


そして、一つ一つ少しずつ繋がった、オムニバス形式なところです。この形態をとっているお陰で、とっても気軽に読める。第一巻の「月の影 影の海」は上下巻で完結しています。

 


本気出せば、多分大体の人が一冊を三日で読める軽い読み物に仕上がってます。なのに最高のファンタジー。なにこれ。最高。←語彙力ww

 

 

 

一応刊行順に読むのが一番楽しい気がします。

 


是非お買い求めください!!!

そして、わたしと語りましょ????

 

 

 

ちなみに、大昔にアニメ化もされてます。この間嬉しくて全話見直したけど、やっぱ結構よかったなぁ。アニオリは絶許ですが。

 


アニメからはいるのもいいとおもいます、はい。

ユーチューブに全話転がってますよ。

 

 

レッドデータガールという、セカイ系。

どうも。クロミミです。

 

今回ご紹介するのはこちら。

 


RDG(レッドデータガール)

萩原規子

銀のさじ文庫刊行

 

 

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ちなみに、こちらの作品はアニメ化もされています。

 


RDGは『十二国記』とは異なり主人公・泉水子を中心に展開する和風ローファンタジー作品です。

 

 

 

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解説

 


ハイファンタジー→全くの異世界を舞台にしたファンタジー

 


ローファンタジー→我々の暮らす世界を舞台として、超常的な出来事が起こるようなファンタジー

 

 

 

 

 

 

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あらすじはこんな感じ。

 


歴史ある神社の子、泉水子(いずみこ)は引っ込み思案で、いつも人の後ろで俯いているような少女だった。中学三年生になった今でもそれは変わらない。

 


誰かより優れているところなど、何一つないーー。

きっと泉水子自身もそして周りも、泉水子に関してそんな評価を下すだろう。

 

 

 

しかし、ある日彼女の世界は大きく変容していくことになる。泉水子が前髪を切ったその日から…。

 


それは不吉さを孕んで、泉水子を苛むことになるのだった…。

 


変化は不思議な人々との再会をも呼び寄せた。

相楽(さがら)親子との出会い。事あるごとに泉水子を詰る昔馴染み、相楽深行(さがらみゆき)の存在。だが、それは後に起こる大きな出来事の前触れに過ぎなかった。

 


水子は…彼女は本当に、「普通」なのか?

彼女は何を知らないのか?

彼女は一体「何者」に「なれば」いいのか?

 

 

 

今、泉水子の謎に満ちた日常が幕を開ける。

 

 

 

 

 

 

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こちらの作品を読むときに注意して欲しいのは、『十二国記』や『獣の奏者』のような重厚な構成のファンタジーを期待した読むと、がっかりすることになる、ということです。

 


わたしも最初はそう思っていました。大した構成じゃないなー。ものたりないなって。

 


しかし、同時に違和感もあったのです。あの児童文学の名作、「空色勾玉」シリーズを描いた作者が、そんなことを許すだろうか?と。

 

 

 

そして、気がついたのです。

 


そもそも自分の読み方が間違っていたということに。

 

 

 

この作品はファンタジーであると同時にいわゆる「セカイ系」であることを念頭に置いて読まなければならない。

 


ネット上でのRDGの評価が賛否に二分されているのも、この作品の特性ゆえではないか、と考えています。

 


いわゆるファンタジーの王道を期待してRDGを読む人はこの作品を酷評することになる。

 


セカイ系の有名作品としては、エヴァハルヒが挙げられます。中心人物の心情の変化を起点にして、物語世界全体が変化するという構造を持つ物語。これがいわゆる「セカイ系」であるとわたしは理解しています。

 

 

 

そう。RDGも、セカイ系なのです。

中心人物=泉水子の心情の変化が物語世界の変化を引き起こしている。

 


このような構造を持つこの作品は、「獣の奏者」のような、大きな構造を持つファンタジーとはなり得ません。本質から違うのです。

 

 

 

水子の心情が鍵となるため、全編を通して泉水子の内的な変化が緻密に、丁寧に描写されていくことになります。そして、この繊細な心情描写こそ、RDGの最大の魅力なのです。

 


このような物語のあり方は、ファンタジーというより、どちらかといえば純文学的であると言えるのではないでしょうか。

 


この視点で捉えていくと、RDGはとても不思議な作品であることがわかると思います。

 


出来事ではなく、個人の内面の変化を緻密に描くことに主眼を置く、文学的性質を持ちながら、しかし味付けはしっかりとファンタジー

 


だから、この作品を読むときに読者に求められる姿勢はたった一つ!キャラを愛で、その喜怒哀楽や思考を共有することです。

 


これさえできればRDGは楽しめる!

 


しかし、普通のファンタジーは政治面や構造、世界観を楽しむものではないでしょうか?

 


では、なぜこのような楽しみ方の違いが生まれるのか。

 


通常のファンタジー、とくにハイファンタジーはどちらかというと大きな構造を持ちやすいため、(一から世界を構築するから、どうしてもその世界に関する記述が多くなる。また、その場面設定でしか起こりえない心の動きや社会状況などを通して普遍的なものや風刺を描く事がハイファンタジーの一つの目標となりがち)社会などを巻き込んだ「出来事」で物語が動いていく傾向にあります。

 


ところが、前述したように当作はそうでない。

だからこそ、『RDG』はファンタジー特異点と言えるのです。

 


もちろん、この作品の魅力は緻密な心情描写だけではありません。魅力的なキャラクターのやりとりにもきっと夢中になってしまうはず。

 

 

 

この作品の少年少女の魅力は、極めて特異な状況に置かれているにもかかわらず、その心情の動きは紛れもなく、等身大の青少年のものである点。

 

 

 

個人的には、ヒーロー役の相楽深行(さがら みゆき)が自分の特異な立場に葛藤する様子がとてもとっても、いいなって思います。はい。萌える!!!

←死語ww

 

 

 

 


キャラがしっかり立っているので、普段本を読まないよって人にも是非挑戦してほしい作品です。いっそ構造なんぞ気にせず、思いっきりキャラに萌えつつ、キャラ読みしてほしい!

 


是非、ご一読を。

 


アニメ化も漫画化もされてますので、そちらから入るのもいいと思います。文庫化もされてますよ!

 

 

 

特に、陰陽道や九字や陰陽五行、山伏、天狗(つまり民俗学系)に興味がある人には、めちゃくちゃおすすめです!

 

 

 

この作品の挿絵が好きすぎて、高校時代に模写していたのはいい思い出。今回、簡単にですが模写してみました。下手くそですが失礼します。色鉛筆がなかったので、モノクロです。

 

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この絶妙の表情メッッッチャすこ…。再現できん。おワタ。シャーペンじゃなくて、鉛筆で書けばよかったなぁ。

久々に書くと、巫女服むずい…。

日本の服ってこうして書いてみると、直線的なラインなんだな〜って思います。その方が日本人の肉感の少ない体型に映えるのでしょうね。服って面白いなぁ。

 

 

 

とりま、このほっぺの尊さと、布のおもみとしなやかさを、どうやったら描けるようになるのか、皆目わからないクロミミでした。

 

 

 

それではまた。

好き勝手に語って、スミマセンでした。

 


#考察系投稿

 

 

 

 

小説 異域にて。

異域にて。

 

 

    祖父が死んだ、と聞いたのはずいぶん夜遅くのことだった。 もうすぐやってくる「昨日」と「今日」の狭間に滑り込むようにしてその報せは届いた。内容の意外さにわたしの心は束の間空虚になった。

  死を告げた母の目はこぼれ落ちそうに震えている。充血した瞳がにぶい驚きを遅ればせながら引き出す。母の瞳からいずれ溢れるものを思うとわたしの心はしずかに沈んだ。

   眠気でまだうっすらと霞がかる頭で母の顔をみて、どうしようもない気持ちになる。わたしはまた味わうのだ。あの孤独を。いつかの葬式の光景が脳裏に翻る。わたしだけがあの目からこぼれ落ちる熱を感じることができない。遠い昔の残酷な気づきがまたやってくる予感がした。いや。予感というには厭な確かさを含んでこの感覚は身の内に落ちてきた。確かな実態もないのに、降る雨のように逃れ難い。わたしは片隅で疎ましさと同等の懐かしさを噛み締めていた。それは、みずみずしい果実のように香り高くわたしを掻き乱した。

『やっとこれで楽になれるだろう』

いつのまにか言い訳のように頭をよぎったのは、祖母のことだった。もっとも、本当の主語は違うのかもしれない。不意に誰かが言っていた言葉を思い出す。

「人間は若い時はリアリストだが、老いるにつれロマンチックになる」

あの言葉はどうやら本当だったらしい。そのときは自分が残酷なのか、若さが残酷なのかわからなかった。わたしか若さが残酷なのは確かだった。けれど一方で、別の思いもひっそりと頭をもたげた。

   わたしがわたしを実際以上に残酷にしているーーー。こういう時はいつもそんな感覚にとらわれる。目覚めたまま無自覚にみる、ひどい悪夢にうなされているような。本当は悪夢だとわかっていながら夢から覚めることをどこかで拒んでいる。わたしは恥知らずにもこの悪夢に毒されている。幼い頃から。誰かの死の味を忘れられないから。昔から、死に近づく時の心情はあまりにも屈折とねじれがひどくて、自分自身のものという感じがしなかった。

どこかで、囁きが聞こえる。

「わたしはやっと、楽になれる」

わたしも若さも、残酷だった。

 


***

 


祖父の葬式が行われたのは、祖父の死を知ってから約1日後だった。何かを焦っていると感じさせるほど事態の進行は急性で、わたしはただ見ているだけだった。

今までほとんど意識したことはなかったが、祖父はクリスチャンだった。知っていたはずの事実をもう一度飲み込む時、一緒に一つの像が心の何処かからか浮かび上がってきた。それはちいさなメダルだった。親指の先程のくすんだ銀色のメダルだ。祖父が生まれたばかりのわたしに贈ったものだった。メダルは伸びきった白いゴムひもに繋がれてどこかにあるはずだった。光を失った銀色のみすぼらしさは心にさざ波を立てた。とっくに手放してしまったのかもしれない。不意に不安な疑惑が芽吹く。小さなゴミ箱の上に落ちていくメダルをできるだけ鮮明に想像してみる。その光景はいつか見たようにはっきりとしていた。不意に掌が失落にざわめいた。小さなメダルをこの手から滑り落としたときのように。あのメダルがどこに行ったのか、わたしにはもう見当もつかない。

  葬儀はいままで出席した式とは違い、キリスト教式で行われた。葬式を取り仕切ったのは、祖父の戒告を世話する予定だった、という韓国人の司祭だった。祖父は戒告を受ける間近だったのだと司祭は言った。大柄でゆったりと動くひとだった。祖父は戒告で何を告白するつもりだったのだろう?司祭の白くて広い背中を目で追いながら不思議に思った。宗教のことはわからない。わたしの通う大学はカトリック系の女子大だったが、わたしは今だに神を信じる気にはなれなかった。なぜ、罪を告白するのだろう。告白された罪はどこへ行くのだろう。通夜の間中、既視感のある問いが渦巻いていた。

  だだ、なぜ神が必要とされたのか、いまならわかる気がした。みんな罪を告白したがっている。綺麗になるために。そのために宗教という入れ物を用意し、神というゴミ溜めを必要とした。もしも神に人格があるとするなら、神はわたしたちを許さないだろう。罪の告白は彼にとって永遠に続くレイプに近いだろうから。

  わたしは神を信じていないくせに、しばしば神について、宗教について考えざるを得なくなった。

『わたしは神から逃れられない』

  不意に生まれる思いは喜びと疎ましさの両方を生んだ。元々わたしは「信仰」を持たない人間だった。人に対しても何に対しても。言い換えるなら、ある種の「無信仰」を信仰したがる嫌いがあった。そして信仰されることも同じように恐れていた。いつでも夢中になるのは実態のない空想のような、現実で直接の力を持たないものばかりだった。だからこそ神という概念をことさらおそれた。実在が怪しいというのに、あんなにも強く人の心を揺さぶる。大学に在籍した数年で思い知ったのはたったそれだけのことだった。

いつも奥底で響いている思いがある。わたしは神が恐ろしい。わたしは空白が恐ろしい。わたしは愛が恐ろしい。だから愛せないし愛されない。わたしは自分を呪うことをやめられない。もう思い出せないほど昔から。

  それでもきっと求めてしまう。どこまでも深く溺れて行ける存在を。この想いが狂信的な信仰とどう違うのかをわたしはうまく説明できない。

式が進行するにつれ、ますます不安にゆさぶっられた。自分は本当に悲しんでいるのかと。11年前の曽祖父のときも、6年前、祖父の葬儀でも泣けなかった。あれは烙印だった。

「お前は欠けている」

    だから、式の最中涙が流れるたびに安心していた。あのとき、ほかに何を考えるべきだったろう?ただ単純に悼むことが一番難しい。他の人はきっとこんなこと考えもしないだろう。きっとわたしの涙の味は他の涙より薄い。口にしみる涙の味は感じることもできないほどあっけなく消えて行った。

そうしてわたしは恐ろしさに背を押されるようにして聖歌を誰よりも大きい声で歌った。「いつくしみふかき」という、有名な曲だった。それ以外にもたくさん歌った気がするけれど、結局忘れてしまった。

きっと同じことを繰り返してしているだけなのだろう。そう、無意味で空虚な繰り返しに過ぎない。6年前のあのときも、ずっと仏前でお経を詠んだ。今でも般若心経を暗記している。今思えば、あれは言い訳に過ぎなかった。でなければ、あんなに心が虚ろになるはずがない。

式が進み、いよいよ献花の時になった。これで「祖父」と会うのは最後になる。そのとき心のどこかがざわめき、また一筋涙が流れた。それは不誠実な涙だった。少なくとも祖父のために出た涙ではなかった。

  指先で触れた祖父の遺骸はわたしの肌を犯すほど冷たかった。あまりにも冷たいので、それ以上触っていられなかった。肌の冷たさを感じたとき、死が立ち上がり目の前を覆った。その感触は生前の祖父とはかけ離れているはずだった。祖父と最後にあったのは、彼が死んだ日の夕方だった。あの時触れたぬくもりの薄い、骨ばった手の感触をまだおもいだせる。それだけに、身体中を感覚が巡り、生と死が曖昧に混ざりあっていた。どうしようもない嫌悪感が腹の底で疼いている。死人の蝋のような肌が昔から大嫌いだった。それなのに、手が離れた瞬間また触れたいと思っている自分がいた。柩に差し入れる花は肌に再び触れるための口実でしかなかった。

   行き場を失った手を彷徨わせながら、再び最後の日の夕方へと心は帰っていく。わたしは祖父を見舞うことを極端に避けようとした。両親にきつくたしなめられても、やめることができなかった。きっとあの匂いのせいだ。芳しく酔うような死の気配。死ぬ前の祖父は濃厚な気配を漂わせていた。目の奥で病にむくみきった祖父の足が鮮明に蘇る。あの時からすでに足だけは蝋のような色をしていたのだ。むせかえる死の匂いに惹かれながら同時に恐れてもいた。惹かれることを恥じながら、恐れることを憎みながら、あの場所にいることがわたしには苦痛だった。

もしかしたら、今わたしはここ数年ついぞ感じることのなかった「死臭」に惹かれているだけなのかもしれない。誘蛾灯に群がる羽虫のように。死をこの手で確かめてみたかった。経験できない未知をもっと味わいたかった。

  棺から手を退けた次の瞬間、自分の手が汚れているように錯覚した。手の先は熱を帯びているのに内側は冷えていった。それからわたしが祖父の骸に触れることは2度となかった。耳の奥では美しい女の声がまだ「いつくしみふかき」を歌っていた。

わたしが黙って柩に視線を注いでいると、祖母が耳打ちした。

「あんたが言った通り、優しいおじいちゃんだった」

一瞬、わたしは答えに詰まった。本当は従姉妹の言葉だったからだ。

「…うん」

やっとの事で嘘をつく。祖母の聡い目を欺くことが苦しかった。すると祖母は

「最後の方は、人に当たったりすることも多かったけどな」

と続けた。わたしの嘘に祖母は気がつかないままだった。祖母はどうやら、わたしが祖父を優しいと思っていない、と思ったようだった。確かにそうかもしれなかった。わたしはこういう時、歯ざわりの良い言葉を使ってもう取り戻せないものを美化するのをことさら嫌った。けれどそれだけでもなかった。祖父にどんな感情を抱けば良いのか単純にわからない。もちろん祖父のことは嫌いではない。けれど一方で、好きとも言えなかった。名前をつけられるほど強い感情を祖父に対して抱いたことがなかったから。生きているころの祖父は家族という記号でしかなかった。いままで、この空白に違和感を覚えたことすらなかった。それが不思議で、わたしは俯いた。

  まだ祖父が生きていた頃のことだ。入院した祖父のお見舞いに行った時、わたしはかける言葉が何も出てこなかった。祖父と話したいことも、話せることも、何もなかった。握ってやれと言われたわたしより大きくぬるい祖父の手を、ただずっと握っていた。あの時の居心地の悪さからのがれるにはずっとそうしているしかなかった。この手を離せばこの場でのわたしの存在意義は失われるように思えた。そして、この状況に知らず憤っている自分もいた。ただしその苛立ちは一切の逃げ場を持たなかったのだけれど。苛立ちが募るたび、誰かに責められている感覚に陥った。あの強迫観念がどこからくるものなのか、いまでもわからない。けれどきっと、あの時わたしを最も責めていたのはわたし自身だったのだろう。腹の底ではずっと自分の声が響いていた。祖父と会うのは一ヶ月ぶりのはずなのに。これまで多くのものを共有して来たはずなのに。心はどこまでも乾いていた。それほどわたしは何も知らなかった。祖父が死んだいまも、祖父の枠組みは空っぽなまま、この先埋まることもない。

また涙がこぼれた。永遠に続く空白に心が竦んだ。すると不意に従兄弟と目があった。その人はさっき泣いていた従姉妹の弟にあたる人で、わたしの兄のような存在だった。わたしはその目元に涙の存在を認め、目を見開いた。滅多になく人ではなかったからだ。従兄弟の赤く充血した目がわたしを責めている。息の詰まる一瞬は濃く、苦かった。

「お前の涙は足りない」「涙の濃度が足りない」ほんの少し後退る。従兄弟の分厚い肩の向こう側では、従姉妹がまた赤い目で泣き腫らしていた。わたしは気がつくと従姉妹にティシュを差し出していた。まるで誰かの目を欺こうとするかのように。まだ「いつくしみふかき」は止まない。わたしは気がつくとまた、横目で亡骸の蝋のような顔をみつめていた。「悲しむ」ことが何なのか、その頃にはもうわからなくなっていた。

「祖父」の棺が閉じられてから2時間後、私たちは彼の骨を取り囲んでいた。遺体が火葬される時、ある一節をわたしは思い出した。筒井康隆の『家族八景』の一部だ。昔見た、ドラマの一部が蘇ったのだった。ある時一人の老女が死んで、葬式が行われた。ところがとうとう火葬される段になって、老女は仮死状態から回復する。しかしもう火葬は始まっていて、老女は生きながら業火に焼かれてしまう。

わたしはふと、祖父が生きながら焼かれてしまっていたらどうしようと思う。けれどそれはありえない。生きている人間の肌はあんなに冷たくはない。

「骨が丈夫だったんだ」

祖父のお骨をみて、誰かが言った。口々に賛同の声が上がる。たしかに、焼かれた後も多くの骨が残っていた。父方の祖父の時はもっと少なかったかもしれない。そんな風に思ったけれど高校一年のあの冬について覚えているのは、お焼香の手の感触と退屈なお経だけだった。過去は遠くちらばって、もう元の形をたどることはできない。それでもかつて握った祖父の骨ばった手の感覚だけは掌に染み付いたままだった。そうしていつまでも縛られていることを忌々しいとさえ感じている。そんな自分への失望が止むことはなかった。

カシャン、かしゃん。

お骨を骨壺に入れていくときには独特の音がした。一本入れるたびに微かな乾いた音が火葬場に響いた。あっという間にわたしの番が回ってきて、長い箸で骨を摘んだ。これが本当に人間の一部なのか、と思った。なんて脆そうな白い塊だろう。差し入れるときに壺の壁面にほんの少しぶつかっただけで、祖父の骨はポロポロと粉に変わっていく。ああこの脆さが、人間の本質だ。死んだら丸裸になってしまう。自分の心の声が腹の深くまで落ちてきて、ずっしりとした。その重みはわたしが夜眠りに着くまでそこに居座ったままだった。あの重み。あれは今どこにあるのだろう。あのまますっかりわたしの一部になっているならいい、といつも思う。いつかわたしがいろいろなことを忘れてしまったとしても、わたしの中に溶けた重みが代わりに記憶してくれるはずだ。記憶の寿命の短さにはきっと、耐えられない。

お骨を収める音がまだ耳の奥に残っている。あの音を思い出すたび、肌が粟だつ。これを書いたのは少しでも永く覚えておきたかったからだ。いつくしみふかきと骨の音。二つの音だけがわたしをあの日に縛っている。きっと忘れないことこそがわたしの弔いなのだ。わたしの涙では弔うことができなかった。この代替行為は時折息がつまるように苦しい。けれども、そこがいい。こうしている間は少なくともあの日を手放さずにいられるはずだから。弱いわたしをわたしは誰より知っている。わたしは結局、失いたくないだけなのだろう。