KUROMIMIには本が足りない。

KUROMIMIには本が足りない。

活字がないとダメ系ヲタク。小説・音楽・詩・ときどき映画。自作の小説も書いてます。

詩・地獄を生きる

 

地獄を生きようと思う

 


それを選ぶ権利がある

 


自由を生きようと思う

 


自由という地獄を

 

 

 

 


この地獄をわたしだけはどこまでも知ろう

 


まだこの先があると分かっている

 


ここには底がない

 


私の欲望の深さと同じに

 

 

 

 


味わったことのない幸と不幸

 


それだけを飽くことなく

 


食べ続ける

 

 

 

地獄を骨の髄まで味わって

 


それだけのために生きる

 

 

 

虚で生々しい味の

 


私という 底のない地獄を

 

詩・さみしいひとびと

 

ひとはみんなさみしい

 

 

たとえ

 

さみしいと 気がつかなくても

だって私たち ひとりひとり違うんだもの

 

さみしいを 愛する人もいる。

さみしいを 味わうひともいる。

 

さみしいってだめかしら。

 

わたしは さみしいが すきなのに

 

 

 

ひとはみんな 恋しい

誰もが誰かを求めていて

 

でも誰を求めているのかは分からなくて

好きだと思うひとに幻をみて

 

満たされた瞬間は一瞬

お腹はいつも すいているのに

 

欲しいものがあるのかも わからない。

本当はね。

 

わたしたち みんな虚像

わたしたち みんな 変わってしまう

 

当たり前だけど

 

何もかも台無しになって

何もかも消えてしまっても

 

変わった道筋は 残る

それが生きると言うこと。

 

 

誰もが忘れない わたしになる

そうして明日を迎える。

 

 

 

 

なぜ肯定されると思えるんだよ。

よく、

「わたし、〜なんだよね。本当だめだわ」

「わたしなんて…だから」

 

などと口にする人に出会う。

そういう人は往々にして

「そんなことないよ」という返しを期待してそう言っている気がする。こういう人に出会うたび、

 

「お前は肯定してもらえると思っているのか」

 

と思ってしまう自分がいる。そんなことないよ、と思ってもいないのに言わされる茶番感に耐えられない。

 

そもそも、人からの肯定を期待してそんな行動が取れる人って、実はものすごく自己肯定感が高いのでは?と思ってしまったりもする。

 

わたしは自己否定をあまりしない。なので自己肯定感が高いと思われがちだが、じつはそんなこともない。

 

わたしはわかっている。

自分がどれだけクソ野郎でクズでどうしようもなくて人の心のわからない人でなしか。

少なくとも、他人よりは。

 

だから、自分を肯定してくれる他人の存在に期待しない。

 

こんなわたしを肯定しろなんて、そんな酷なこと他人様に言えるわけがない。

 

だから、わたしは自分を否定しない。

せめて自分だけは自分を肯定してやろうというなけなしの意地なのである。

 

とりあえず、何が言いたいかというと。

 

わたしが自己否定を口にしたとしてもフォローしないで欲しいってことだ。大体、自己分析の結果を口にしているだけのことが多い。たまたまわたしがクズすぎるせいで、自己否定のような内容になっているに過ぎない。

多分、わたしは別に凹んでないし。

凹んでても大体寝れば治る。

 

フォローされても困ってしまうから。

 

こういうことを思うのってわたしだけなんだろうか。

 

 

 

自分の力で人生は切り開くべきか。

どうも。

クロミミです。

 

今回は最近思ったことをつらつら描いてみたいと思います。わたしはごく最近まで自分の力で思うように人生を作り上げられることが理想だと思ってきた部分がありました。

 

それって本当にいいことなのでしょうか。

「全てが自分の思い通りになる」

というと、一見いいことのように聞こえます。しかし、裏を返せば全ての出来事が自分の想定内でしかない、ということになる。

 

わたしはある段階から、そういうことをある種

「つまらない」

と感じるようになりました。多分ここ数年くらい。

 

だからこそ思うのです。

思い通りになることこそがいいことではない、と。

予測できないこと、力の及ばないことがあるからこそ人生は面白い。そう思うようになりました。

 

以前のわたしの記事

 

 

kuromimi.hatenablog.com

 

 

 

をみて、自分で人生をコントロールしていてすごいとおっしゃってくださる方がいます。とてもありがたいし、嬉しいことです。

わたしも自分の思い通りにことが進んで嬉しいとおもっています。しかし、わたしは同時にこうも思う。

 

わたしがわたしの人生をコントロールしなくてはならなかったのは、わたしの狭量さが原因であると。

 

わたしは我儘ですから、自分の気が済むまで自分の思い通りにやりたかった。その結果人生の舵を自分で握ることになった。

 

逆に、他者に人生の大部分を預けて幸せになる方もいると思います。

 

わたしはそういう方こそ、すごいと思う。

そういう人ってすごく器が大きいんだと思う。

だって、与えられた状況を受け入れて自らの幸福に変換できるんだから。

 

わたしは現状に常にも不満を持って生きるたちですが、現状を受け入れてその上でどう生きていくのか遠考えられる人間になりたいな、と最近は感じています。

 

幸せになるルートって全然ひとつじゃないと思ったらなんだか気が楽になった夕べでした。

小説・海のなか(13)

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前話はこちら。

 

 

kuromimi.hatenablog.com

 

 

「で?なんかあったわけ。じゃなきゃここにおれを呼んだりしねぇだろ」

 一馬は海風に目を細めながら言った。その横顔を心底にくいと思う。ただ自分に会いたくなったから、とは考えないんだろうか。

 もう、あたしは理由がないと一馬と会えない。昔は違ったのに。いつもいつも呼び出すのはあたしからだ。だからあたしはいつも不安になる。一馬から会いたいと言われたことは一度もない。一馬は会いたくもないのに付き合うようなお人好しじゃないとわかっている。それでも馬鹿馬鹿しいと思いながら考えてしまう。

 本当にあたしは必要とされているのか、って。

 一馬にいつか「会いたい」と言わせたい。

 こんな思いも、傲慢だろうか。

 心の片隅で一馬を見るたび密かに思うことがある。一馬の中であたしがいつでも一番であって欲しい。そんな幼稚な思い。これをひた隠さなければならない。一馬にだけには隠し通さなければ。脆い関係はあっという間に変質してしまうから。そうしたらきっと友達でさえなくなる。あたしたちは一度失敗した。次はきっと、ない。

 そんな危うさを一馬と別れたあの日からずっと味わっていた。

「…そーいえば、サヤと今度の文化祭でウェイトレスやることになった。衣装は金ないから布だけ買って家政科の子に縫ってもらおーと思って」

「似合いそうだな、ウェイトレス」

 一馬の声がわずかに笑みを含む。

「でしょ?あたしもそう思った」

 一馬の方をなぜか見れないまま、半ば上の空で茶化して言った。言いながら、何かに急かされるような落ち着かなさを味わっていた。自分が言葉と共に吐き出した笑い声の空々しさがたまらなく嫌だった。

 「サヤって高校で新しく出来たっていうトモダチ?」

「面白いんだよねぇ。あの子」

 「話だけ聞いてると、ちょっと珍しいタイプだよな。いっつも愛花がつるむタイプと大分違う感じで」

 「そう?」

 「そうだよ。いっつもつるむのってもっと派手めだったり…なんかそういう女子だろ。サヤって優等生みたいじゃん」

 「ふうん、女子のことなんか見てたんだ」

 スルッと自分の口から出て行った言葉にドキリとする。なぜ、こんなことを。

 「そりゃ、見てりゃわかるさ」

 あたしの内心を知ってか知らずか一馬は眉さえ動かさない。少しは乱れればいいのに。

 「ま、そうかもね。新鮮っていうか。かっこいいんだ。ほんとにさ」

それからしばらく、何故か沈黙が訪れた。一馬が何も言わないのに焦れたあたしは軽く奴の肩を叩いた。

 「ちょっと、なんか言ったら?」

 「ああ…悪い。驚いてて」

 一馬は珍しく間の抜けた表情をしている。いつもの鉄面皮が嘘みたいだ。

 「は?意味わかんない」

 「あのさぁ、多分羨ましいと思ってるんだろ?その、サヤのこと」

 「え」

 思わず声が出る。私が羨ましいと思う?誰かのことを?

 「そうなの?」

 「いや、自分のことだろ。俺に訊くなよ。少なくとも俺にはそう見えたって話」

 「羨ましい、ねえ…」

 そうなんだろうか。この感覚が。

 「ま、いい傾向なんじゃねぇの?愛花って他人に興味ないもんな。それに友達多いけど自分からはあんまり作らねーじゃん」

 そんなことない、と言おうとして咄嗟に反論できなかった。たしかに、そうかもしれない。でもほかに二つの例外があることにも同時に気がつかないわけにはいかなかった。

 「何よその言い草。保護者みたい」

 「なんだよ、ありのままを言っただけだろ」

 そう言うと、一馬はパンツに付いた砂を払って立ち上がった。

 「そろそろ帰るわ。朝練あるしな」

 「早寝とかますますじじくさい」

 「言ってろ、馬鹿」

 まだ立ち上がらないまま、あたしはただあいつの背中を見送る。こうして去るのもいつも一馬からだ。

 「ねえ、一馬」

 呼び掛けた一瞬、気がつかなければいいのにと思う。きっと次の一言で何もかもが変わる。そんな予感が胸をついた。一馬が振り向く動作がスローモーションのようにゆっくりとコマ送りされて見えた。

 「あたし好きな人ができたみたい」

 「なんで、俺に言うわけ?」

 いつもと違う呆れたような、嘆くような響きがその声には含まれている。その口は薄く笑いを浮かべていた。一馬が嘲るような笑いを浮かべるのをあたしは見たことがなかった。

 「そりゃー、ほら。保護者には報告しなきゃじゃん?」

 「誰だよ」

 一馬の声ははっきり聞こえた。あたしの茶化した声が散り散りになるほど重く鋭い。こんな時に限ってあいつは無表情だった。

やっぱり嫌いだ。こんな奴。

 「陵」

 あたしが告げるのを待って、一馬はまた歩き出した。もう振り返らない。手さえ振らない。

 本当はまだ続きがあったのに。あいつは待たなかった。仮に待っていたら、あたしは続きを言っていたのだろうか?

いや。どちらにしてもこの続きは言えない。言えばこの関係は破綻してしまう。どちらにせよ、必ずやってくる終わりを少し先延ばしにしているだけなのだ。このまま緩やかに壊れて行くくらいなら、せめて自分の手で壊す。そうでもしなければ、抜け出せなかった。その程度にはこの関係を心地よく感じていたから。

あいつが答えを知ることはない。

知るときは本当に終わる時だ。

あたしは黒い水にやるせなさを沈めていくように、組んだ腕に顔を埋めた。

 


※※※

 

 

第五章おわり。

海のなか(14)へつづく。

幸せに「他者に認められる」は必要か。

自分の価値は一体だれが決めるだろう。

他人だろうか。社会だろうか。

あるいは

自分か?

 


結論は人それぞれ違うと思う。

 


私の回答は後者になる。

 


私の価値を決めるのは自分だ。

 


しかし、この言葉を額面通り受け取るとやや語弊があるかも知れない。

 


なぜならわたしにとって自分とは、常に自身を評価し続ける他者に他ならないからだ。

 


私という他者は常にわたしを値踏みし、監視している。

 


一番厄介な他者を満足させ続けることこそ、私自身の幸福につながるのではないか。

ここ数年ほどはそんな仮説に基づいて私は生きてきた。

 


だからこそ、就くことの難しい希望職を目指したし、そのための努力し続けた。

 


ただ、これはあくまで仮説であってそのうち私の幸せが変質しないとは言えない。いや。するだろう。

 


生きている以上、永続的に変化しないものなどない。

 


重要なのは幸福追求をやめないこと。

そして誰よりも自身を知ることだ。

 


私は何もこの場で自分の幸せは自分で決めるべきだ、などとありきたりのことを言うつもりはない。

 


要は、どこに自らの幸せがあるのか。

考えて、探ることから始めるべきだろう。

 

 

 

では、どうすれば自分は幸せになれるのだろうか。

 


これは、「自分は誰に一番失望されたくないか」を考えるとよくわかるのではと思う。

 


以前私はこのような記事を書いた。

 

 

kuromimi.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

この記事の出来事こそ、

私が誰に一番失望されることを恐れているかに気がついた瞬間である。

 


私は私に失望されるのが一番怖い。

それこそ死を呼び寄せるほどに。

 


裏を返せば私は他者からの評価をそれほど重要視しない傾向にあると言うことだ。

 


たとえ

素晴らしいと褒め称えられようが、

お前はクソだと罵られようが

 


飛び抜けて有頂天になることはないし、ましてや自殺しようだなんて微塵も思わない。思ったこともない。

たぶん、一日二日喜ぶか腹を立てるか落ち込むか、その程度の出来事でしかないだろう。

 


私はあの出来事から知ってしまった。

 


私しか私を殺すことはできない

 


ということを。

 


要は自分は何を重要視するか、という話だ。

人から評価されることを大切にする人はそのように行動するのが相応しいし、他者に尽くす事が自らを幸福にするのであればそうすべきだ。

 


ただ、ここで一つだけ明言しておきたいのは、決してその幸福の形が一般的に言われる幸せとぴったり一致することはほぼないだろう、

という事だ。

 


無論、たまたま一般的な形と一部が合致することはあるだろう。しかし、それは偶然に過ぎない。

 


世間的な幸せとの合致を幸福追求の完成形と見るのはいかにも考えが足りない。と言わざるを得ない。

 


もし、世間的な幸せが幸福の完成形であると宣う人がいるのならば、きっとそれは自分を知らない人だと思う。

 


生きる、とは自分を知ることだ。

 


私は私を知り、世界を知って生きていきたい。

 

 

 

皆さんは幸福についてどう考えるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

詩・空洞の記憶

 ある夜

 


 音楽を聴いて歌っていると

 


 あの部屋の味がした。

 


 かさかさと乾いたひとりの 贅沢な味が。

 


 その時やっと思い知ったのだ。

 


 『もうあの場所には戻れない』

 

 

 

同時に 虚しかった

 


きっと私はすぐに忘れてしまう

 


わたしはわたしの薄情さが憎かった。

 


けれど 薄情さを快いと感じてもいるのだ

 


どこまでも身軽でいたいなら

 


それがいちばん

 

 

 

 


今までに繰り返した

 


『また会いにきます』

 


の中身は空洞

 


言うたびに薄く脆い何かが

 


胸の奥に溜まっていくような

 

 

 

会いたい人は いない

 


会えない人は いない

 


あの世よりも遠い この世を感じて