KUROMIMIには本が足りない。

KUROMIMIには本が足りない。

活字がないとダメ系ヲタク。小説・音楽・詩・ときどき映画。自作の小説も書いてます。

小説・海のなか(1)

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登場人物名にミスを発見したため、再投稿させていただきます。

 

 

第零話   プロローグ

 

 

 

あれからもう随分と永いあいだここにいるような気がしている。

いまが一体いつなのか、もうわからない。

それほど時間が経ったのだ。あの時から。すべてを曖昧にさせるほどの永い、永い時が。

わからないことだらけだ。

私は誰なのか。

私の名前はなにか。

私を知っている人はいるのか。

そして、私は生きているのか。

ここに来る前に私は多くのものを失ったように思う。失ったものについて考えるたび奇妙で空虚な喪失感がどこかで渦を巻く。でも、それだけだ。この胸には悲しみも喜びも苦しさも、何もない。

ただ確かなことはひとりの少年がこの場にいたということだけだ。

わたしはもう彼の表情を思い出すことができない。

ただ、これだけはわかる。

彼は私を残して消えてしまったのだ。

ここには誰もいない。名も知らぬ何かが漂い、出口を求めてさまよっている。

もしも。…時折考えることがある。

 

もしも、誰かが来てくれたなら

そのこは私の終わりになってくれるだろうか。

次の私になってくれるだろうか。

いつかのわたしのように。

 


わたしはそのときをずっと待っている。時間の止まったこの場所で。

ずっとずっと待ち続けている。

 

***

 

第一章  海の中

 


『はやくきて、夕凪』

  高校二年の夏のある朝、不思議な声が感覚を撫でていった。

  瞬間、すべてを忘れた。これから海に行くことも、となりの友人の存在も、いま駅のホームに立っていることさえも。

   妖しく、美しい声だった。一度聞いたら忘れられない危うい響きが、まだ耳の奥ではリフレインしていた。

『まもなく、列車が参ります。危ないですから黄色い点字ブロックの内側まで下がってお待ちください』

  唐突に澄ました文句が現実感いっぱいに耳に飛び込んできた。駆け込んでくる電車の列に不思議な残響が連れ去られていく。あっと声が出るほどあっけなかった。

  なにかを忘れているような気がした。罪悪感がちくりとする。とても大切なことだったような気がしたのに。不意に隣を見ると愛花と沙也が陵を挟んで話していた。今日も何にもない普通の日なんだろう、と安心している自分がいる。

  「なあ、夕凪はどう思う?」

陵がくるっとこちらを振り向き尋ねた。自分の顔のこわばりを感じる。なんの話をしていたのか、全然分からなかった。そもそも会話に加わっているという意識すらなかったのだから、当然といえば当然だった。悪い予感がじわじわと這い上がってくる。今日だけはうまくやろうと決めたのに。

  慌ててわたしは口を開いた。

「陵、ごめ…」

  大きな音を立てて電車が滑り込む。わたしの小さな声は散り散りになってしまって、言った本人ですら、発声したかどうかもおぼつかない。そっと伏し目がちに様子を伺うと、誰もこちらを見てなどいなかった。どうやら答える必要は無くなったようだ。

  すっと視線を下げる。小さなひとつひとつに傷ついている自分に嫌気が差した。別にいじめられたわけでも意地悪されたわけでもない。ただわたしが重要でないだけ。いつも、どんな時でも。

 電車が起こした強い風に煽られて、麦わら帽子が飛んでいきそうになる。慌ててぎゅっとつばを下げるととたんに視野が狭くなった。

「夕凪」

名前を呼ばれて顔を上げると陵が心配そうな面持ちで見つめていた。

「電車出るよ、早く」

   泣いているように見えただろうか。そっと目元に触れてみる。しかし涙の気配もなく乾いていた。そうしてそうか、と密かに結論した。

きっと、すべてを諦めているから濡れないのだ。

わたしは薄く苦笑して電車のステップを踏んだ。

『ドアが閉まります。ご注意ください。』

間延びしたアナウンスが後を追って聞こえる。

 


***

 


列車内はがらんとしていた。日差しだけがさんさんとさして空白を強調しているみたいだ。なんだかさみしい。まるで言い訳しているみたいだ。適当な席に腰を降ろすと、愛花と紗也はまた陵を囲んで話しはじめた。今度は好きなバンドのハナシらしい。愛花が嬉々として熱弁している。わたしも今回はちゃんと話を聞いておこうと耳を傾けていたけれど、ふと気づく。そういえば、わたしはあんまり音楽を聴かない。この話題に入り込むのはむずかしい気がする。異国語のような三人の会話が少し遠くで聞こえた。いつもわたしはこうだ。みんなの時間とわたしの時間は速さが違う。一人だけ停滞している。そして、わたしを置き去りにしていることにすら、きっとみんな気がついていない。

 楽しそうな三人を横目にふと思う。そういえば、なぜ私はここにいるのだろう。陵だ。陵がわたしを誘った。いつもそういう気の使い方をするのは決まって陵だった。今日この場に来たことをわたしははやくも後悔し始めていた。ひどく自分を滑稽に感じる。誰もわたしを疎む素振りすら見せないことが、余計にわたしを辛くさせた。わたしを今この場につなぎ止めているのは陵の誘い。それだけだった。

『夕凪もいくだろ?』

   そう言って笑った陵の顔が過ぎる。口に苦いものが広がる。何度もぶり返すようなあの味。わたしはこの迷路からもう抜け出せないのかもしれない。麻痺してしまっているから。窓にだらしなく頭をもたせかけたまま、そんなことばかりを考え続けていた。

電車の中にもたまに視線を向けてみるけれど、誰とも目が合わない。お互いに目をそらし合って俯いている。みんなひとりぼっちみたいに見える。それを眺めている私もなんだか粘土でできた人形みたいににぶい。意識も宙に浮いたままひどく曖昧だった。窓から見える風景はあまりにも単調で眠くなった。電車の振動がゆりかごのようにわたしをあやす。電車がひとつ身体を揺するたびに、わたしの意識は曖昧になってくる。柔らかな繭に包まれて、わたしの瞼は少しずつ閉ざされる。

——ああ、みんな水着の話とかしてくれないかな。そうすればわたしだって話せるのに。

膝の上に置いた堅いビニールバックを抱きしめると、情けない音できゅうきゅう啼いた。いつの間にか、窓からは青い海が見えていた。澄んだ青は見つめていると、吸い込まれそうなほど深い色だ。波の表面は滑らかで美しい絹のように見えた。

「あっ海!」

「わあっ、きれい!」                       

愛花と紗也が席から立ち上がって窓に張り付く。はしゃいだ声が虚ろな車内に弾ける。照りつける日差しが白く目に突き刺さって、わたしは思わず目をほそめた。

        ***

 水着に着替えてみると、なんだか急に恥ずかしくなってきてしまった。おなかのあたりがすうすうして落ち着かない。

となりで堂々としている紗也と愛花がうらめしく思える。ほんとうに海に来るのはいつぶりだろう。少なくとも中学校に上がるよりも前のはずだ。急に、あの頃のわたしの形が遠くなって分からなくなってしまう。あのときのわたしと今のわたしは別物になってしまったのだろうか。知らず知らずのうちにそんなことを考えている自分に驚く。わたしは一体なにが欲しくてこんなことを考えたのだろう。今さら昔のことなんか考えたりして。いままで考えたこともなかったのに。なんだかしっくりこない。自分以外の誰かが『わたし』になりすましているみたいに。

「夕凪! 」

 気がつくと三人の背中は遠くにあった。愛花が頭上にバレーボールを掲げているのが小さくみえた。みんな笑っている。それだけで許された気がした。

「いまいく」 

   駆け寄っていくと既にバレーボールは始まっていた。宙を舞うボールにわたしはおびえてしまう。昔から運動が苦手だった。ましてやバレーボールなんて今までただの一度もボールをまともに上げられた例しがない。いつもわたしのボールは地面に落ちるか、あさっての方向に飛んでいく。足は地面に張り付いたみたいに動かないし、手は冷えて感覚が鈍い。楽しそうに遊ぶ三人のことが、まるで別の世界の人みたいに遠く感じられる。心がみるみる惨めな色で塗り込められていく。ああ、どうしようもない。

「夕凪」

  呼ばれて顔を上げると、ひときわ高いボールが白い太陽に呑みこまれながらわたしめがけて落ちてきていた。遮るように、空に手をかざす。けれどボールはそんなのお構いなしにすり抜けてわたしの額にぶつかり、海の方へと跳ねていった。

「っあ! 」

   痛みで涙が滲む。泣いていると思われるのは嫌だった。俯いて素早く踵を返すと、海に着水したボールを取りに走る。早くしないと、どんどん沖に流されてしまう。

「だいじょうぶー?」

みんなの声が背中に追いつく。振り払うように無理矢理明るい声で返事をした。

「平気、平気!」

もっと速く走らなきゃ。気がつかれないように。一目散に海に入るとツン、と潮の香りがする。顔についた水滴が容赦なく塩辛かった。喉が痛み始める。息がうまくできない。身体もいうことを聞かないみたいだ。

  いや、本当はちがう。ーーー私自身が拒絶しているのだ。あの場に戻ることを。その時、身体の芯が冷えていくのを感じた。なぜ、戻らなければいけないの。戻っても与えられるのは苦い蜜ばかりだ。その時、左足を強い力で誰かが摑んだ。

「えっ?」

「何か」から逃れようと足をばたつかせても、びくともしない。どんどん海の中に引きずり込んでいく。

「たすけて」

    息苦しい小さな声が漏れる。同時に視界がエメラルドグリーン一色に染まる。美しさにくらくらと目眩がした。息を吐き出すと大きくて緩慢な水泡が生まれて、胸がきりきりと苦しくなった。泡の行く末をぼんやりと目で追いながら、頭の片隅で思う。これで自由になれるのだろうか。いっそその方がいいのかもしれない。だって今何も、誰も浮かんでこない。誰にも会いたくない。何も欲しくない。あの世界にあるものは何も。

    だんだんと目の前が暗くなっていく。わたしはその瞬間全てをあきらめた。それきり意識は途絶えた。

 


***

 


   どこかからかやってきた潮の流れがわたしの頬を撫でた。曖昧な意識でも海中が穏やかなのが分かった。ああ、この場所はわたしを拒絶しない。すべてから逃れられる。自分のゆっくりとした呼吸を感じる。呼吸?わたしは海で溺れたはずなのに。疑問がわたしを少しずつ覚醒させた。身体の中心から徐々に感覚が広がっていく。誰かがわたしの髪を優しく梳いている。慈しむような手。不思議と怖いとは思わなかった。それどころか、手から与えられる感触にもっと身を委ねていたいとさえ思った。そう。わたしはどこかでこの感覚を知っている。小さい頃だ。それも、こんな場所でじゃない。もっと身近な。でもだめだ、思い出せない。

     手が優しければ優しいほど切なくなった。こんな安堵は地上に戻れば二度と手に入らないだろう。瞬間大きく心臓がはねた。胸をつく懐かしさがこみ上げる。いや、これは懐かしさなんて生易しいものじゃない。渇望だ。内から突き上げる感情に思わず目を見開き、身体を起こした。すると、すぐ近くから少年のような声がした。

「やっと起きた。気分はどう」

    声のする方を振り向くと、頭がひどく痛んだ。視界が歪み、ぶれる。わたしは呻くように訴えた。

「あたま・・・いたい」

「そうか。久しぶりだから身体が馴れていないのかもしれない。大丈夫。そのうち馴れる」

 見知らぬ少年はいいながら、そっとわたしの頭を撫でる。その手の感触には覚えがあった。少年はほんの少し髪に触れてすぐに手を離してしまう。まるで何かを恐れているようだ。壊れ物を扱うような恐れが僅かに触れた手から伝わってきた。ややあって、わたしは尋ねる。

「・・・髪を触っていたのはあなた?」

「ああ」

   少年は返事すると、何かもの言いたげな目をした。視線がぶつかる。その時初めてわたしは彼の姿を正面から見た。決して華やかではないが、目を惹く憂いを帯びた端整な顔立ちをしている。彼の白い肌が暗い海の中で浮き上がって見えた。まるで光を放っているようだ。少年の艶のある黒髪がより一層肌を白く見せている。こんな人間を今まで目にしたことがなかった。そしてその特異な印象は、単に優れた容姿のみに原因するわけではなさそうだということが一目で見てとれた。わたしは固唾を呑んで、目の前の人物を食い入るように見つめた。少年はわたしの視線に気がついているのかいないのか、微笑みかけた。

「夕凪、君はちゃんと生きてる。ただ、ここで息ができるように少し仕掛けはしたけれどね」

「・・・あなたは誰?」

 こんなに何かを知りたいと思ったのは初めてかもしれない、と心の中で思った。そうだ、こんな場所に人がいるはずがない。ただの人が。それに彼は人というには奇妙で、そして美しすぎた。急に怖くなった。この場所で息ができるようになったわたしもまた「ただの人間」ではないのか。指先が急に冷えてたまらなくなった。

「僕は青。ここにずっと棲んでいる。夕凪、安心するといい。君は人間だよ。どうしようもなくね」

 わたしの心を読んだような言葉に息が詰まった。見透かされている。

   青に「夕凪」と呼ばれるたび、どこか喜んでいる自分がいる。目覚める間際の感情が何の前触れもなく甦る。まるでずっと欲しかったものが今目の前にある、とでもいうように。わからない。わたしは知らなさすぎる。さまざまなことを。

「そういえば、わたしの名前・・・」

「ああ。君のことは昔から知っている。君が幼い頃から」

青はわたしと同い年くらいに見えるのに、その目はひどく大人びていてアンバランスだった。彼は慈しむように言った。

「・・・・・・大きくなったね、夕凪」

 また、ちりちりと理解できない感情が胸を焦がす。胸の上でぎゅっと片手を握り締めてわたしはいった。

「ここは、海の中なの?」

「そうだよ」

「帰らなきゃ」

 自分の言葉が空々しく耳に響く。本当にそうだろうか。あの時あんなにも簡単に全てを手放したのに。なぜ今になって。あの世界もわたしを必要としていないのに。出口の見えない問答がわたしを支配する。地上にわたしの心を繋ぎ止めるものはほとんどなかった。今会いたい人がいない。両親とは疎遠だし、心から友達と呼べる存在もいなかった。それなのに今、身体いっぱいの喪失感で息が苦しいほどだった。身体中で心臓の音を聞きながら、わたしは理解する。本当に全てを失ったのだと。あそこしかわたしの帰る場所はない。希薄な関係性とちっぽけな世界がわたしの全てだった。そして、今度はそれすら失ったのだ。

 「ふううっ」

 無様な声と一緒に涙が溢れる。けれど、すぐにもっと濃い塩水に紛れてわからなくなってしまう。わたしの悲しみを逃す手立てはなかった。海の中で泣くことはできない。だから、苦しみが癒える事もきっとない。わたしの方を一瞥すると、青はつぶやくような声で言った。

「…帰って欲しくないな。だってずっと待っていたんだからね」

「待っていた」という言葉にギクリとする。喜びと恐れのようなものがない交ぜになって押し寄せる。足を掴んで引きずりこまれた時の恐怖が何処かからか滲んできた。わたしを溺れさせたのはこの青という少年なのではないか。不意に疑惑が頭をもたげた。なぜこの可能性を一度も考えなかったのだろう。いや、考えたくなかったのだろうか。もう、恐怖と喜びの境目がわからない。

「君が初めてこの場所に足を踏み入れた瞬間から、僕は君を感じていた」

   青の声色は穏やかだった。しかし、その背後には押し込められた隠しきれない思いの気配が漂っていた。

「どのくらい?」

    別に、問いの答えが知りたいわけではなかった。未知の感触に腹の底が疼いた。本当は怖くて仕方がないのに、どうしようもなく引き寄せられる。青のガラス玉のような瞳にわたしが映り込んでいた。もう一度繰り返す。今度はゆっくりと噛みしめるように。

「どのくらい、まっていたの」

  その時初めて青の笑みが溶けて消えた。真顔になった彼の顔は作り物めいていて、まるで精緻な人形のようだった。彼の赤い唇が滑らかに動く。

「千年」

「千年まっていた」

「僕は千年の孤独に耐えて、君を待っていた」

   それきり青は何も言わなかった。青の存在は知らぬ間に消える泡のように儚かった。それなのになぜか彼の言葉はわたしの心からいつまでも消え去らず残り続けた。もしも、青が想像もつかないほど昔からここにいるなら。彼の時が止まってしまっても何もおかしくない気がした。子供が子供のまま永い時を生きてきたかのように、青の印象はちぐはぐだった。

 ああ、どんどん正常がわからなくなる。わたしはいま、自分で考えているのか。それとも、考えさせられているのか。

「嘘だよ」

唐突に青は言った。嘆くような微笑みを浮かべている。

「え」

「此処には朝も夜もないから。時間の流れがわからない」

  そして、青は切ない表情をした。唇は微笑みを浮かべていたが、目元には憂いと遠い昔への郷愁が影を落としていた。青の言葉をめちゃくちゃに否定したくなる。そんなわけがない。どうやらわたしは想像以上に、彼の言葉を信じたがっていた。皮肉な笑みが口の端に漏れる。きっとわたしは「だれか」に待っていて欲しかったのだ。会いたい人がいないから。今までそんなこと考えもしなかったのに。それだけのことでわたしの心には苦いものが溢れた。つづく青の声はわたしの中の汚濁をかき消すように透き通って聞こえた。

「でも、これだけは信じて」

「僕はずっと君を待っていたんだ。気の遠くなるような永い時間」

    耳元で海の渦巻く音がする。わたしの安息が終わりを告げようとしていた。乞うような気持ちで少しでも長く今が続けばいいと本気で願ってしまう。こんな都合のいいこと、長くつづくはずがないのに。

「僕は此処で待っている」

「また会えるのをたのしみにしているよ。夕凪」

   どんどん耳鳴りが激しくなっていく。それに合わせて心臓が自分のものではないように乱暴に早鐘をうつ。

   目の前の青の姿が見る影もなく歪み、マーブル模様になる。青の言葉ばかりが幾度も耳の奥で響いた。

『まっていた』

    頭のどこかがキリキリと絞り上げられるように痛む。もう、何も見えない。耳は青の言葉を再生し続ける。

『まっていた』

  その言葉を最後にわたしの意識は再び途切れた。

   次に目が覚めると、目の前には病院の白い天井があった。わたしは海に行った日の二日後、浜に打ち上げられているところを救助隊に保護されたそうだ。目覚めた時には、溺れてから四日が経過していた。周りはまるでわたしが生き返ったかのように扱った。大人たちは口々に何があったのか聞きたがった。けれどわたしは決して青のことを誰かに話そうとはしなかった。話したところできっと信じられないだろう。わたし自身あの体験を一種夢のように感じていた。

   それでも、あれは本当にあったことだ。それを証し立てるように、事件以来わたしの左足には薄い青色の痣が残った。この痣だけがわたしと青とを結んでいる。

 あざに触れるたび、青の声が蘇る。

『千年』

『千年まっていた』

それはまるで、絶え間ない誘いのように。

 

 

 

『海のなか  2』へつづく。

 

***

 

 

次話はこちら。

 

kuromimi.hatenablog.com

 

 

 

 

他にもこんな小説を書いています。

 

kuromimi.hatenablog.com

kuromimi.hatenablog.com

 

 

ジェンダーの消えた世界で

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フェミニズムは気持ち悪い、と昔から思っていた。

 

同じようにマスキュリズム(男性に対する性差別撤廃を目指す考え方)も気持ち悪いと思っている。


最近特にフェミニズムを意識することが多くなった。

書籍を見ても「世界を変えた100人の〜」というものを近年多く見かける。大体そう言う書籍は「女」に限定された偉人たちが選ばれている。

 

このような書籍の登場は、女性の地位向上やマイノリティーな属性を持つ人々の存在に、注目が集まっている世相を反映しているのだろう。

 

だが、わたしは思うのだ。

 

男が優位な社会だからと言って、女性の地位向上を叫び続けるだけでは、いずれ逆転現象がおこるだけではいのかと。


男尊女卑が女尊男卑に入れ替わるだけではないのか、と。

 

無論、こんな議論は今までにし尽くされていることは知っている。だが、それでもわたしにはフェミニズムのような考え方に違和感がある。

 

わたしは女だからと言って丁重に扱われることを望んだことなどない。だからといって女だからと軽んじられる覚えもない。


わたしはただ、フラットでいたい。


わたしの望む社会とは、ジェンダーの失われた社会なのだ。

 

皆が男であるか、女であるか、その中間であるかまた、それ以外であるかを全く意識することなく振る舞う世界。ただ、肉体的性差のみが存在する世界。

 

そう言う世界でなら、わたしは心地よくいられるのだろう。

 

おそらくはフェミニズムやマスキュリズムもそのような世界を目指してーーー「男女平等」目指して生まれた思想なのだろう。

 

きっとこの文章を、フェミニストなどが読めば

 

今はまだ男女が不平等だからそのように感じる。平等になるためには、まず女性の地位向上を目指す必要がある。

 

と言うかもしれない。

だが、それで本当に「ジェンダーの喪失」に到達できるのだろうか。

 

わたしはそれを考えるたび、胸の悪い予感がするのだ。このままでは理想に遠く及ばぬ、別のものが出来上がってしまうのではないか。意趣返しのような新たな差別が生み出されるだけではないのか。


フェミニストやマスキュリニストは、平等になったその先をどう考えるのだろう。


わたしの理想と彼らの理想は全くの別物なのだろうか。


わたしは「ジェンダーの消えた世界」に到達するための術を知らない。

もしもそれを知る人がいるなら、それは世界を変える人なのだ。

 

#フェミニズム #フェミニスト #マスキュリニスト #マスキュリニズム#思想#男女差別
#男女平等#コスメ好きさんと繋がりたい #おしゃれさんと繋がりたい #本好きな人と繋がりたい #思想家 #イラスト好きな人と繋がりたい

「役立つこと」は揺るぎない価値か?

 


「役立つこと」は揺るぎない価値か?

 

 

 

先日私は「読書の効用」についての投稿を描きました。その際に、こういうことに役立つよ〜。こんなことができるよ〜。って描いたわけなのですが。

 


今回はそんな論の根幹を揺るがすような話をしたい。

 


私は昔から、これやっとくと役に立つよ!と言われても全くピクリともこないタチだった。

 


「で?役に立つから、なに?」って感じ。

 


そう。役に立つというセールス文句はほぼわたしには意味がないものなのです。

 


私が何かをするのであれば、それは得をするからではない。ただただ「楽しそうだから、面白そうだから」。もっというのであれば、私は何か外的要因によって「私が何を選ぶのか」を左右されることを許せない。

 


多分、私と同じ感覚で何かを選ぶ人もいるのではないでしょうか。

 


では、なぜ先日の読書論投稿を〜に役立つという観点で書いたか?

 


世の多くの人が、行動の結果得る具体的な利得を重要視していることを私は知っているからです。

 


ただし、実際のわたしが読書を愛する理由とは食い違う。

だってわたしは得があるから読書をするわけじゃない。

理由は単純、ひたすら面白く楽しい行為だから。その一点に尽きるのです。

 

 

 

それでは、あの投稿で描いた読書の利点は嘘だったのか?と言われると絶対にそんなことはない。

 


楽しくて読書をつづけていたら、私はできることがいつのまにかたくさん増えていた。それらをわかりやすくまとめたのが、あの文章なのです。

 

 

 

だから実際には

 

 

 

利点がある→読書をする。

 


読書をする→能力が身に付いていた。

 

 

 

なのです。

 

 

 

結局何がいいたいかというと、読書は得なんか無くてもやりこめば、めちゃくちゃ楽しい行為だということです。

 

 

 

ただ得があるからする、なんて勿体無い!

 


是非読書そのものの面白さを発見して欲しいのです。

小説・「海のなか」(27)

 

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前話はこちら。

 

kuromimi.hatenablog.com

 

 


第八章  「夢中と現実」

 

 

 

 


 瞼が上がると、「ああ、これは夢だな」という冷めた自覚が生まれた。飽きるほど繰り返した夢だった。

 夢の中で、わたしの胸は締め付けられるように苦しい。目の前には残酷なほど美しいブルーが広がっている。口から吐き出された水泡がゆらゆらと漂うのを目で追った。

 青と再会したあの日から、毎夜海に溺れる夢を見た。いつも同じ夢だ。そして、苦しい夢だった。

 夢は夜毎妙な生々しさを伴ってわたしの中に舞い降りる。現実の海底で得られる青の優しさが現実味を欠けば欠くほど、夢は追い立てるように色濃く細密に迫ってきた。

 ふと、水中の息苦しさも忘れて視線を横へ向けた。ーーーいや、向けようとした。何かに頬が触れてそれ以上顔を動かすことができない。触れたそこからは確かな体温と拍動を感じた。青にはないものだ。気がつくと、誰かの腕でわたしは力一杯抱きしめられているのだった。苦しいのはそのためだ。よく目を凝らすと、身体を包むその手には深い皺が刻まれ、幾分骨張っている。手の甲には血管の青白い跡が見える年老いた腕だった。

 一目見て、この腕をわたしは知っている、と思った。懐かしい腕だ。

 けれど、思い出せない。

 『思い出してはいけない』

 頭の中で唱える声した。

 ああ。これ以上はいけない。行っては、いけない。

 『絶対に手を離しません』

 幼児(おさなご)の声がして、そこで意識は暗転した。

 


***

 


 目覚めると、夢そっくりに息があぶくとなって昇っていく。海面は暗い。ここへ来た時は夕暮れだったのに、もうすっかり夜になったようだ。額に載せられた冷たい手に右手を重ねると、声が聞こえた。

 「起きたのかい」

 わたしは重ねた手の滑らかな肌触りを味わいながら、またゆるりと瞼を降ろした。今は気怠いこの瞬間を味わっていたい。青の冷たい膝の上でゆっくりと寝返りを打った。

 「うなされていたみたいだね」

 青は答えを急かすことなく、指でわたしの髪を梳いている。再会した時からそうだった。青はわたしの髪に触れたがった。まるで家族が娘にそうしてやるように。

 頭を触られていると、気持ちよくていつも眠ってしまう。今や、この場所ほど深く眠れる場所をわたしは他に知らない。青の手に触れている時だけは安心できた。彼の優しさを確かなものだと錯覚できたから。

 「夢を見てたの……」

 発した声は広がって、どこかへと吸い込まれていった。

 「どんな夢?」

 「あまり、思い出せないの。でもこんな海のなかだった気がする。とっても苦しくて、それで…」

 後の言葉は続かなかった。目覚めた瞬間にはたしかに覚えていたものは、知らぬ間に闇に紛れてしまった。後には「夢を見た」ということと海の青だけが残って、記憶の上澄みを漂っていた。

 「それで?」

 青はわたしの顔を覗き込んで先を促した。見上げると、まともに目があった。この人はあの夢に出てきたのだろうか……。

 「わからない。思い出せない。いつも」

 言いながら、思い出せなくていいような気もした。夢の余韻に怯えの気配を感じたから。

 「いつも?何度も見る夢なのか」

 「同じ夢を見たってことだけ、覚えてる」

 「ねえ、夕凪」

 「なあに?」

 仰向けで見上げた青の前髪は海流に弄ばれてふわふわと遊んでいる。その下の目は今まで見たことのない、光を湛えてわたしを見つめていた。

 「夢を忘れない方法を知っているかい」

 「夢を……忘れない」

 おうむ返しするわたしの輪郭に青は優しく両手を添えた。それだけでもう身動きが出来なくなった。見据える瞳はまだ妖しい光を宿したままだ。

 「夢日記をつけるんだ」

 青は囁いた。

 妖しさに魅せられて呼吸もできない。気がつくとわたしはまた、おうむ返しをしている。

 「夢日記……」

 「そう、夢日記。枕元に紙と書くものを置いておくといい。目覚めてすぐに、書けるように」

 青はそこまで言うと、またわたしの頬をそっと撫ぜた。触れられたそこから総毛立つような感覚に襲われ、わたしは目を見開いて硬直する他なかった。

 「繰り返せば覚えていられるようになるよ。全て思い出したら語っておくれ。待っているから。何度も見るってことは、きっと君が覚えておくべき夢なんだ」

 歌うように語りかけながら、繰り返し繰り返し青の手は私の額を往復する。その動きに合わせて、また瞼は重くなっていった。

 あの日、どうやって帰ったのかをわたしはどうしても思い出せない。ただ一つ、思うことがある。

 


 ーーー青。

 あの人はやはり、私にとって「恐ろしい」ものなのだろうか。と。

 そんなふうに、ふと、初めて出会ったあの日を思い出してしまうのだ。

 


***

 

 

海のなか(28)へとつづく。

 

 

 

 

初めてフォロワーをブロックした話。

 

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どうも。クロミミです。今回はなんとなくアンチを産みそうな話をしたいと思います。

 


前もって言っとくぞ。

 


反感をもってイライラしたらコメしてもいいけど、面白くない批判コメは削除します。悪しからず。

 


実はこないだ初めてアンチコメを頂きまして。それを読んで色々考えてたら、コメした方のいろんな内面が見えてきてすごい楽しかったので備忘録的にここに書きます。

 


お見苦しいかもしれません。そうゆうの嫌って方は今すぐ閉じるのだ…。

 


わたしは現在様々なsnsで投稿を行なっています。リップス、インスタ、note、はてブsnsを初めて既に3年ほど経っていますが、幸運なことに悪質な批判を受けたりすることもなく今まで平穏無事に過ごしてきました。(まあ、批判される程話題を注目されたこともないので、当然と言えば当然でしょうが。)

 


わたしは少し前、ある投稿を行いました。その投稿はわたしの人生観の転換を書いた内容でした。生き方をえらぶため、悩んだその過程で、「このままつまらなく生きていくだけなら、死んだ方がマシだ」と思ったこともあり、このような表題をつけました。詳しくは、お読みいただければよくわかると思います。

#クロミミ的人生観

 

kuromimi.hatenablog.com

 


この投稿に初めての批判コメが付きました。

 


内容的には、わたしは今コロナ関係のボランティアをしてその実態を目の当たりにしている。ボランティアは大変だが、始めたことに後悔はない。コロナで明日の命が危ない人もいるのに死ぬなどと軽々しくいうのはいかがなものか。あなたの投稿に傷つけられた。

 

 

 

というもの。

 


わたしは彼女のコメントにいいねもつけず、読むだけ読んでスルーしました。

 


そこからしばらくはまたいいねをつけたりつけられたりしていたのですが。ある時また再度その方から別の投稿にコメントがありました。

 


今度は7月くらいに投稿した「読書の意義について」持論を展開した投稿。読書にはこんないいところがあるよ!という投稿でした。

 


この投稿については

#クロミミ的読書論

 

kuromimi.hatenablog.com

 


この投稿についたコメントもまた批判的なコメントだったのです。

 


内容的には、

 


なぜ先日のコメントを読んで返信してくれなかったのか。読書が大切と言っているが、他の教養を蔑ろにしているのではないか。あなたはそんなことをするよりもボランティアなどの奉仕活動などをして社会経験を積んだ方が良い。

 

 

 

でした。

 

 

 

ここまでの一連の流れを見てきて、コメントした方に共感する方もいるかもしれません。

 


しかし、わたし個人の意見を述べさせていただけるなら一言。

 


「よほど恵まれた環境で生きてきたのですね」

 


と申し上げたい。

 


きっと彼女は最初の生き方の投稿を読んだ際、ボランティアに疲れ、苦しんでいたのでしょう。きっと後悔もしていたのでしょう。でなければ赤の他人であるわたしに「後悔していない」と弁明する意味が分かりませんから。

別にそれはいいのです。後悔すればいい。なんならやめたっていい。どちらにせよボランティアをすることは尊いことです。やめることでその尊さが霞むことはない、と考えます。

 


 ただ、その正しさを盾に「傷ついたからフォローしろ」と言われても困ります。わたしは親でもなければ友達でもない。なんなら知り合いかどうかも微妙。貴方の顔も知らないほどの他人なんですよ?なぜそこまで甘えられるんですか??

 


わたしはそこまで優しくありません。貴方の周りの方々はお優しかったかもしれませんが。

 


正しさで殴らないでください。殴られたほうは痛いものです。わたしじゃなかったらどうするつもりだ。傷ついちゃったかもしれねーじゃねーか。

 


そもそも、なぜわたしの辛さを貴方が推し量って、死ぬとか軽々しくいうなと言えるのでしょう。あなたはスーパーマンなんですか?

 


わたしの心はお見通しなんですか??死に瀕するのは身体だけではないですよ?心が死ぬことだってあります。わたしは実際死に臨んだと言っても過言ではない心境に一時陥ったのです。

 

 

 

 


とまあ、そこまでならまだ「このまで曝け出しちゃうなんて、ガードがゆるい可愛らしい方だな」で終わっていたのですが、後日別の投稿にてかなり前の投稿の返信を求め、また的外れな批判をしてくる。

 


わたしは後者の投稿にて、読書は素晴らしいと言ったけれども、読書以外はそうではない。と言った覚えはない。もちろん読書以外の教養にも素晴らしい点、読書より優れている点が多々あることを認めた上の論理です。読み直してください。

 


その程度しかわたしの文章を読んでいないくせに批判とは何事と言いたい。

わたしを批判したいなら完璧な理論武装で叩きのめしてやるくらいの気概が欲しいものです。そうすればわたしはワクワクしてむしろ喜ぶでしょう。もしくは渋々間違いを認めるでしょう。

 


というか、返信をしてくれって言ってる時点で、自分が赤の他人に八つ当たりしたってことに気がついてませんね?もう少し客観的にモノをみては??

 


とまあそんなことを二ヶ月ほど楽しく考えていました。人によって考え方が全然違うんだな〜と。

 


なお、当該投稿の当該コメントについては個人を特定できないよう、削除させていただいております。ご了承ください。万一個人を特定した場合もそっとしといてください。

 


何が言いたいかというと、初めての批判コメント、なかなか面白楽しかった。ってことです。まあ、めんどくなってブロックしたけど。コメントお待ちしております。

 


人の内面って、結構文章だけでもわかるよね。

 

 

 

 

 

 

それでは。

 

 

 

小説・『海のなか』(26)

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前話はこちら

 

kuromimi.hatenablog.com

 

 

***

 


 今宵も13年前のあの日のことを語らなければならない。忘れないために。そして、叶えるために。

 13年前、あなたはあの子を抱えてここに降り立った。あの時の光景は今でも色鮮やかだ。時を切り取り保存する術があるなら、きっとそうしたことだろう。

 あの日よりもずっと前から、私はここに存在していたはずだ。それなのに、それ以前の記憶は曖昧で灰色の濃淡が敷き詰められたように漫然としている。あの瞬間から私の存在が本当の意味で肉体を持つようになったからかもしれない。

 あの子を抱きしめる、あの人の腕。優しく嫋やかな曲線。それを見た瞬間内部で何かが弾けた。あの時芽生えた感情を当時は理解できなかった。  

 けれど、今ならわかる。

 ーーーあれは、激しい羨望。

 わかった時には遅すぎた。何もかも全て。あなたもあの子もとうに「いなくなって」しまった後だった。あの日から私は待ち焦がれるようになったのだ。幻のような訪れを。

 様々なものを長い時の中で喪った。何を喪ったかも分からないほど多くのものを。あの日から私の持ち物はあの日の記憶と感情。ただそれだけ。あの日が今の私を構成する唯一の要素になった。全てを塗り替えてしまったのだ。あの子と再会する、その時までは。

 ずっと胸が疼いている。きっと何かが欠けているからだろう。それが何かは知れないが。

 同じ欠落の気配はあの子からもした。再会した時、一眼で分かった。あの子は私と同じだと。再会した時、気がつくとわたしは目覚めたあの子に微笑みかけていた。まるで空いた穴を埋めるように。その時、過去と現在が重なり合った。そうして私は決意したのだ。もう二度と間違えない。必ず手に入れてやる。

 わたしの欲しいものをあの子は持っているはずだ。彼女は忘れているだけ。ーーーあとは思い出すだけ。それこそが私の望みを成就させてくれるはずだ。

 


『はやくきて、夕凪』

 

 

 

第七章 おわり。

海のなか(27)へとつづく。

 

次話はこちら。

 

 

kuromimi.hatenablog.com

 

 

 

「本当に欲しいもの」を探して。

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最近ふと、向田邦子を読んでいる。

はっきりとした契機はなかったように思われる。

そもそもわたしは今までの人生上でまともに向田邦子作品に触れたことがない。高校だか中学だかの授業で「字のないはがき」を読んだきりである。

だから、これが人生初向田邦子ということになる。

ひとまず読んだのはこの二つ。
「伯爵のお気に入り」
「海苔と卵と朝めし」

読んでみると今とは違う女性像や男性像が浮かび上がってきて面白い。そんなことを思いながら軽い気持ちで読み進めていた。祖母や祖父はこのような世界観を持って生きていたのだろうか、と。ふた世代も離れるとその有り様はまるで別世界である。

彼女の文章は不思議なほど肌に馴染んだ。なぜだろう。向田邦子は今で言うジェーンスーのような立ち位置だろうか、と思う。

わたしはジェーンスーも好きだが、何故かスーさんの文章を読んでいるとどことなく後ろめたい気分になる。基本的に彼女は自分の闇を描かない。描いたとしても見苦しさはない。それが心地よいのだが…わたしは自分が責められているような気分になるのだ。

向田邦子は違う。
彼女の文章はどことなく仄暗い。だからわたしは安心して呼吸できる。わたしはわたしのままでいいのかもしれない、と。彼女の闇に勝手に救われる。

この両者は女性エッセイストとしての描き方がとても似ているように思える。けれどわたしに与える影響は真逆なのだ。

ジェーンスーは眩しい光を発してわたしを照らしてくれる。向田邦子は夕べの窓際のように安らぎを与えてくれる。光と闇どちらもなくてはわたしは生きていけない。これはあらゆることに言えることだが。

こんな印象を抱きながらわたしは初めての向田邦子を楽しんだ。だが、これだけならこれから先も長く読み続けようと思うことはなかっただろう。

わたしの心を鷲掴んだのは「伯爵のお気に入り」に収録された「手袋をさがす」というエッセイだった。

向田邦子はエッセイなのに虚構性を感じさせる読み味がクセになるのだが、これは際立って作り物感があった。

これはわたしにとって最上の褒め言葉だ。エッセイも一種の虚構である。虚構性を感じさせるということはそれだけ異化がしっかりとされた素材だからだ。ここまで虚構を感じさせるエッセイにわたしは触れたことがないかもしれない。

「手袋をさがす」というエッセイはこんな感じ。

向田邦子は若い時分、冬場なのに外で手袋を付けず素手だった時期があったらしい。寒くないわけではない。これだという気に入った手袋がないからだ。気に入らないものをつけるくらいなら、寒さを我慢するというわけだ。彼女はいまでも本当のお気に入りになれる「なにか」を探し求め続けている…。


このような向田邦子の在り方はわたしとそっくりだ。わたしも「わたしを真に満たしうる何か」を探し続けて今まで生きてきた。

次々に色々なものが欲しくなる。
本、仕事、洋服、アクセサリー、コスメ……キリがない。己が欠落を埋めるため、わたしは日々、様々なものを欲し続けている。

わたしは月のように満ち欠けを繰り返しながら形のない満たされた瞬間を追って生きてきた。月がそうであるように、心にも満ち欠けがあることは、当然なのに。欲深いわたしは幻想を諦めきれない。内面の不完全さをこの歳になってもなお、受け入れられないのだ。

終わりのないループに飲み込まれながら、本当に欲しいものがわからなくてもがき続けている。そんな無様さを憎みながら愛している。

全てのものは何かの代替品だ。本当に欲するものがわからない限り。

向田邦子もそうだったのだろうか。


そう考えたら、とっくにあの世へと逝ってしまったはずの女性が、肉感を帯びてわたしの前に立ち現れたのだった。

悩み深い部分で誰かと共鳴する。

それはある種、神に向けた祈りや告解に近いのではないか。

向田邦子が今なお愛され続けるのは、こうした面があるからかもしれない。


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小説・「海のなか」(25)

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前話はこちら。

***

 

 

kuromimi.hatenablog.com

 


 付き合い始めたからといって、ほとんど変化はなかった。変わったことといえば、必ず待ち合わせて帰るようになったこと。それから時々手を繋ぐようになったこと。それだけだ。付き合っていると見せかけるために必要なことだった。

 行為に意味などない。そう言い聞かせていても、心が揺れてしまう時が殊更辛かった。愛花との関係が偽りだと痛感してしまって。

 時折愛花の何かもの言いたげな視線を感じたが、無視し続けた。曖昧な関係を曖昧なままにすること。それが俺の目的だった。目的は達したはずだった。それなのに、どうしてかちっとも達成感がない。嬉しいとすら、思えなかった。代わりにやってきたのは、強烈な虚しさと後悔だった。

 俺と愛花の関係はあの時を境に、決定的に変わってしまった。温く柔い関係は触れれば壊れてしまうものだった。俺は、それに気がつくのが遅かった。

 悔恨に苛まれながら、それでもどうしようもなかった。愛花との関係をこのまま進めることはできない。そんなことをしても何も手に入らないことはもうとっくに知っていた。かと言って後に戻ることも、もうできない。俺は愛花を手放すことができなくなっていた。今のままなら、形だけでも恋人として存在していられる。だが、恋人という肩書きを失ったその後は?愛花にとって俺は一体何になるのだろう。元通りに戻れるとは限らない。考えるだけで足がすくむほど恐ろしかった。これ以上、臆病で惨めな自分を知るのが怖い。

 手詰まりだ。なぜ最初に気がつかなかったのか。俺の望みは、叶うはずのないものだと。関係性を永遠に保存し続ける術を俺は持たない。あの頃は、そんな都合のいい方法がどこかに転がっているものと思い込んでいた。今はまだ知らないだけだ、と。そんなわけがないのに。このまま大人になったってそんなもの、この先一生手に入らない。俺たちは生きている。変わるのは必定だ。

 終わりを待ち続けていたら、いつのまにか半年が過ぎて、俺たちは中学3年になっていた。3年になったその日、俺は恋人の役を降りることになった。

 あの日、俺を呼び出して愛花は言った。

 「もう、付き合うふりはやめにしない?元に戻ってもきっと、噂されないと思う」

と。それは遊びの予定をキャンセルするような軽い口調だった。だが、待ち侘びていたものに違いなかった。

 「……そろそろだろうと思ってた」

 返答は予め用意されていたかのようにするりと口から出ていった。そんなはずはないのに。俺は望みながらずっと恐れていた。こんな日が来ることを。

 それからのまいに毎日は、お互い化かしあっているのかと思うほど、元通りだった。あの半年間など存在しなかったようだ。少なくとも、愛花の中では終わったことになっているようだった。いや。それでいい。それが正しい。あの関係は嘘だったのだから。それが解消されたのなら、元に戻るしかない。

 何度言い聞かせても、俺の心が晴れることはなかった。心が楔で打ち付けられていて、同じところに戻ってしまう。毎日呼吸を禁じられたかのように苦しかった。

 高校は地元の工業高校に決めた。もともとそうするつもりだった。いろいろなものを作ったり手を動かしたりするのは昔から好きだった。それでも進路選択の時、愛花のことが頭を過らなかったといえば嘘になる。思えば俺は、彼氏のフリを始めた時から終わりに向けて準備を始めていた。認めたくはないが。

 俺はメールを立ち上げるともう一度文面に目を走らせた。

 『今度の土曜って空いてる?話があるんだけど。昼から会える?待ち合わせはいつものアイス屋で』

   素っ気ない一通のメッセージは愛花から先日送られてきたものだった。頻繁にあいつから連絡があるのは珍しい。つい先日、愛花とは会ったばかりのはずだ。俺はスマートフォンを尻ポケットに仕舞うと、再び歩き出した。

 あの時は今の比じゃない程驚いた。今から1年以上前、高校に上がってしばらくした頃だ。愛花から一通のメールが届いた。

 『明日の夕方、船着場まで来て』

 書いてあるのはそれだけだった。

 あの瞬間の驚きと戸惑いは今でもはっきりと甦る。高校に進学した時に、俺たちの縁は切れたものと思っていた。俺も一切連絡しなかった。このメッセージがなければ、きっとその通りになっていただろう。

 待ち合わせは、よく放課後を過ごしていた船着場だった。暑くない時期は、ここでダラダラと時間を潰すのが常だった。

 当日行ってみると、愛花は既に腰を下ろして待っていた。久しぶりに見るその表情は、俺の知るものとは少し違ってみえた。数ヶ月の間に、愛花の中で何かが起きたことは確かだった。当初、俺は何か用件があるのだと思っていた。それを伝えるため、呼び出したのだと。結局その日、愛花の話が核心に触れることはなかった。高校に入ってからの出来事を語り合っただけ。まるで、空白の時間を埋めるように。

 去っていく愛花の後ろ姿を見送りながら、一つの考えが浮かんだ。愛花が俺を呼び出した理由。

 ーーーただ俺に会いたかっただけ。

 とは考えられないだろうか、と。

 また傷つきたいのか、と冷静な部分が叫ぶ。期待して裏切られるのはごめんだった。けれど、もう一度チャンスがあるなら。再びこの関係を修復することができるなら。そう考えてしまった。

 その日から俺は、決して自分から愛花に連絡を取らないようにした。時には愛花から呼び出しがあっても他の予定を優先したりした。何年か付き合ってきて、愛花の性格をよく知っていたからだ。あんな面倒で厄介で碌でもないやつを、俺は他に知らない。愛花は手に入らないものほど欲しくなるという性質を持っていた。あいつは簡単に手に入るものなんて、欲しがらない。だからこそ、気のない素振りを続けた。「以前は付き合っていたが、今はなんとも思っていない」というふり。どちらにせよ、この演技は必要だった。これからも愛花と関わり続けるのであれば。

 本当はあいつから離れて楽になりたかった。けれどそれを俺自身が許さなかった。呪いのように愛花への想いは、いまだこの胸に居座っている。いつかこの胸中を知ったなら、愛花は俺を手放すかもしれない。得体の知れない強過ぎる思いを宿主でさえ、「怖い」と感じるのだから。

 待ち合わせの店前に人影が見えた。ポニーテールに結った髪が風にサラサラと流れている。その姿を目にした瞬間、声が蘇った。

 『好きな人ができたみたい』

    今日、やっと終わらせられるのかもしれない、この関係を。自分の気持ちがわからない。俺はこの賭けに勝ちたいのか。この苦しみから逃れたいのか。

 愛花は俯き、どこか虚空を見つめていた。そんな何気ない姿なのに、美しくて。一瞬見入ってしまう自分がいる。

 ああ。呪いは解けない。

 生唾を飲み込み、一歩踏み出した。

 呪いがどうあっても解けないのなら。獲物が罠にかかったかどうか。確かめてやろうじゃないか。どうせ、そうすることでしか変われないのだから。

 「愛花」

 愛おしく呪われた名前を、俺は味わうように口にした。

 

***

 

海のなか(26)へつづく。