KUROMIMIには本が足りない。

KUROMIMIには本が足りない。

活字がないとダメ系ヲタク。小説・音楽・詩・ときどき映画。自作の小説も書いてます。

小説・「アキラの呪い」(11)

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前話はこちら。

 

 

kuromimi.hatenablog.com

 

***

 

 

 

  予告通り帰省した姉をみて、俺はほっとため息をついた。正確には、その手首を観察していた。最近彼女のリストカット跡はかなり薄くなってきている。それでもよく見れば分かってしまう程度には残っていた。今、傷はリストバンドに覆われて見えない。どうやら隠す気はあるらしい。胸を撫で下ろしながら、ふと疑問が芽生えた。なぜこんな心配を俺がしているのだろう。バレて困るのは姉さんじゃないか。なんだか釈然としない気分でもう一度傍に立つ姉に目をやった。姉は帰って早々母から小言を食らっている最中だった。

 「帰る前に一報寄越せって前から言ってるでしょう。昼ごはんの都合があるんだから。ったく、電話したってでやしないし」

 「…忘れてた。ごめん」

 「はあ。もう聞き飽きたわ。謝るくらいなら、最初から連絡くらいしなさい」

 「わかったよ」

 今にもため息をつきそうな声で姉は言った。その右手は乱暴に前髪をかきあげている。ストレスを感じた時の癖だった。そういう仕草をすると、ますます中性的な印象だ。姉がもし男でも違和感なく生活できるだろう。たびたびそう思わせる程度には社会的な女性像と彼女はかけ離れていた。我が姉は他人の目をこれっぽっちも気にしない。そして、いかなる社会的規範も彼女にとっては意味がなかった。だから女性らしく振る舞うことにも、逆に男性的に振る舞うことにも興味がない。それでも法を犯さない程度の良識はあるから、なんとか社会生活を営めているんだろうが。これがいわゆる教育の成果、というやつなのかもしれない。まあ、それさえも積極的にリスクを負う理由がないから、程度でしかないに違いない。それでもトラブルが避けられるのなら御の字だ。

 「で?昼ごはんどうするの?」

 母が問うと、面倒そうに姉は

 「食べていいなら食べたい。もう終わったなら、カップラーメンでも食べるわ」

   「まだ食べてないから一緒に食べましょ。パスタ、好きでしょ。きのこたっぷりのやつ」

 姉へ問いかける母の声には弾むような明るさが隠されていた。きっとこの帰省に合わせて姉の好物ばかり作ろうと張り切っているのだろう。母が考えそうなことだ。もしかしたら、父も結託して色々と計画しているかもしれない。仮にそうなら、連絡も碌にしないで帰ってきた姉に対するあの態度も納得だった。張り切って準備した矢先、台無しになるかと気を揉んだのだろうし。無論、そんな親の心情をあの姉に察せるはずはないが。ただ、なんとなく姉にとってはあまり嬉しい事態とは言えない予感がした。その感覚は懐かしさも伴っていた。この類の違和感は姉と同居していた頃にはよく感じていたからだ。

 「…うん」

 そう返事した姉の表情から感情は読めない。パスタもきのこも彼女の好物なのは確かなはずだが。むしろ、その表情はキャップの陰でわずかに翳って見えた。それが単に帽子のせいなのか、感情の発露なのか俺には判断つかなかった。

 帰省したばかりの彼女はキャップにパーカーというラフな格好をしている。化粧気のない顔だが、不思議と血色は悪くない。もっとだるそうというか、疲れて帰ってくると思ったのに。姉は移動することそのものに抵抗を覚えるタイプだった。帰省しないのもそれが大きな理由だろう。

 珍しいこともあるもんだと思ったのも束の間、姉がこちらを振り向いた。

 「なに?さっきからジロジロと」

 「ああ、いや。別に」

 「視線がうるさいのよ。鬱陶しいったら」

 姉は不快そうに目をすがめて俺を睨んだ。

 「帰省すんの珍しいと思って。ただそれだけ」

 ヘラヘラ笑いを貼り付けてそう返すと、相手は一層不機嫌面になった。

 「あっそ。荷物置いてくる」

 手をひらひら振ってバックパックと手提げ袋を手に姉は階段を登っていく。子供部屋は2階にあるのだ。小柄な後ろ姿は重さのためかふらついていた。

 「荷物持とうか?」

 問いかけると、

 「いい、一人で」

 すげない答えが降ってきて俺は一人肩をすくめた。断られる気はしていた。登っていく背を見送りながら、姉が誰かの手を取る日は来るのだろうか。そんな感傷が過ぎった。

 その後昼食を摂りながら、今後の予定について母は話し始めた。

 「父さん、今日の仕事休めなかったけど早引きするらしいから久々に外食でもしようかと思ってるんだけど」

 きっとこれは親父の発案だろう。彼は家族で何かしら出かけたがる節がある。内心抵抗があることは否めない。だから俺も両親から提案を普段は拒んでいた。ところが、親は姉の帰省をチャンスと捉えたようだ。ここぞとばかりに予定をねじ込んできた。小旅行でないだけマシか。そこは譲歩したのかもしれない。俺は姉が提案を拒まないかと期待して、隣の席に目を向けた。姉こそこういう提案は鬱陶しがるはずだ。

   「いいよ、行こう」

 「えっ?」

 思わず声が出た。姉が鋭く睨めつけてくる。予想が外れたことに動揺しながら俺は顔を伏せるしかなかった。今までこういった類の予測が外れたことはあまりなかった。今日の姉は何かが違う。確かにそう思うのに、理由はわからないままだった。

『一体なぜ』『なにを考えてるんだ』

 答えのない問いを姉に投げかける事もできないまま、俺は一人燻ることになった。

 結局、夕食は焼肉屋で外食を摂ることになった。親父はというと仕事が終わらなかったらしく仕事先から焼肉屋へ直で合流した。焼肉は久々だ。親同伴という点を差し引いても肉が食べられるのならお釣りが来る。両親は興奮気味に色々注文していた。ホルモンを食うと親父は腹を下しやすくなるはずだが、忘れているのかどうなのか、機嫌良く酒と一緒に食べている。母もその様子を横で見ているだけで止めはしなかった。

 それだけ二人とも「家族全員で食事したい」と思っていたのだろう。その姿を目の当たりにすると、少々後ろめたい気もした。定期的に姉と会っていることを親には話していない。特に秘密というわけでもないのだが、彼らの前で姉の自殺未遂に繋がることには極力触れたくなかった。俺は嘘が上手くない。拓人曰く、嘘を吐こうとするとあからさまに不自然になるらしい。それなのに、そんなに感情豊かな人間だと自分では感じたことがないから不思議だ。だから、嘘を吐くことは人生の早い段階で諦めた。嘘がつけないなら、嘘をつかなくていい状況を作り出すしかない。それが20年余りの人生で得た学びだった。

 姉はというと、両親に話しかけられる以外は黙々と食べていた。そもそも焼肉になったのは彼女が「肉が食べたい」と言ったからだった。にも関わらずその顔に浮かぶ表情に悦びの色は薄い。どうやら今回は完全に親に付き合っている感覚らしい。やはりこういう場はそんなに好きではないのだろう。食事中、姉は親からたくさん質問をされていた。新しい職場はどうか。親しい人はできたか。一人暮らしは楽しんでるか。寂しくないか。(両親は「寂しい」と言って欲しかったのだろう)家事はちゃんとできてるか。休みの日はなにをして過ごしてるか。などなど。あげ出したらキリがないほど、両親はかわるがわる姉に尋ねていた。無論二人が質問魔というわけではない。姉がは自ら語ることをしないから、必然的に相手は尋ねたいことを質問するしかない。これは誰と会話していても同じことだった。しかもほとんどの会話はワンラリーで終わってしまう。きっとうちの姉は会話を楽しむという感覚すら知らない。それはたとえ家族であっても変わりないことだった。それでもこうして誰かの会話に長く付き合う姉の姿は相当稀なものに違いなかった。俺は思わず彼女の口の動きを目で追う。やっぱり今日の姉はおかしい。

『なぜ』

 拭いきれない違和感は結局解けることなく胸の奥に溜まっていった。そしてそれは、深夜までしこりとして残り続けていたのだった。その日は家族にとって「良い日」のはずだった。けれど俺にとっては、安穏としてどこか胸の騒ぐ夜だった。

 


***

 

アキラの呪い(12)へとつづく。

 

 

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