小説・「アキラの呪い」(12)
前話はこちら。
***
姉が帰省した翌日。壁の向こうから聞こえる物音で目覚めた。壁を挟んだ隣部屋は姉の部屋だ。
「姉さんか…」
夢現だった意識は覚醒へ向かう。低いうめきと共に無意識で呟いていた。同じ家に姉がいることに慣れない。沈黙に満たされていたはずの場所から人の気配がすることにどこか落ち着かなさを感じた。窓の方へと目をやると、朝日がカーテンを白く透かしている。
遅くまで寝ていたつもりはないが、と思いつつ時計を確認する。針は7時少し前を示していた。まだ早朝と言ってもいい時間じゃないか。眉根を寄せると共に、身体を起こした。ならばなぜ隣から物音が聞こえてくるのだろう。そう考えを巡らせる間にも、何かが床にぶつかるような音がしている。早起きまでして一体何をやってるってんだ?うちの姉は。俺はどんどん膨れ上がる違和感に姉の部屋をノックした。しばらく待つが返事がない。もう一度、ドアを強めに叩く。すると、ややあって「なに」と不機嫌な声が帰ってきた。
ドアを開けると、床に座ってナニやら作業している姉の姿が現れた。既にパジャマからジャージに着替え、ご丁寧にマスクまでつけている。
ーーーなんだこれ。
「は…?なに…」
意図せず漏れた声に姉が答えた。
「掃除よ。掃除。不用品の処分。全部捨てるの」
言いながら姉はまた何かをゴミ袋へと放り込んだ。勢いのままに荒々しい音を立てながら袋に入ることを拒んだ何かが転がってくる。拾い上げてみると、盾だ。「青少年読書感想文」の文字が黒々と刻印されていた。
「これ…」
「外れたか…そろそろ新しい袋出すわ。それゴミ袋に入れといて」
姉は未練など微塵もないとばかりにこちらを見もしない。その手は動き続け捨てるものを容赦なく選り分けていた。どうやらほとんどのものを捨てるつもりのようだ。よく見ると、彼女の周りにはパンパンに中身の詰まったゴミ袋が既に数個ある。彼女は一体いつからこの作業に没頭していたのだろう。
言われた通り、盾を袋へと落とすとなぜか罪悪感が疼いた。所有者本人はそんなこと気にもしてないのに。彼女の姿は単に物を捨てているというより、今までの過去を切り捨てようとしているように見えた。水無瀬晶にはそういう冷淡で残酷な部分があった。その冷酷さは今回、自分自身に向けられていた。姉はあらゆる意味で平等なのだ。全てに無関心で冷たい。彼女自身すらその例外ではなかった。なぜそこまで冷淡になれるのか、昔は不思議だった。けれどいつからかわかるようになった。全てをはっきりと選り分けること。その一点が己自身の傷よりも余程彼女の中では優先されるようだった。曖昧な状態は限りない不快感を生じさせるのだろう。それは複雑さを嫌う彼女らしい理由にも思えた。作業を続ける背中に投げかける。
「朝飯は?」
「まだよ」
「目玉焼きとパンなら一緒に作るけど?」
「できたら呼んで」
後ろ手でドアを閉めながら姉の返事を聞いた。なぜこんなことをしているのか尋ねるだけ無駄だとわかっていた。彼女の後ろ姿をこれ以上見ていたくなかった。この家に残っていた姉の痕跡が拭い去られていく。その有り様は直に目にするには、あまりにも胸が騒いだ。姉はこの家を本当に去ろうとしている。予想よりもずっと早く。その事実はどこか不吉な予兆を漂わせながら胸に刻み込まれた。悪い予感の正体はわからない。ただ、俺を不快にさせるには十分すぎた。そして、階段を下り切った時ふと気がついた。俺は今まで信じていたのだ。根拠もなく。あの場所はいつまでも晶のものであり続けると。俺が確かだと思っていたものは想像よりずっと儚い。気づきは俺を愕然とさせた。なぜ俺は信じていたのだろう?姉本人すら信じちゃいなかったものを。その問いはしばらく立ちすくむほど重いものだった。なぜか恥ずかしかった。また自分だけ置き去りにされたようで。
***
アキラの呪い(13)へと続く。
次話はこちら。