一日目の宿は、湯布院の「やまなみ」でした。綺麗だし、おしゃれだし、別館には源泉掛け流しの内湯があるし。
最高やんけ。
朝ご飯も美味しかった。
だんご汁と温泉卵が美味しすぎる…!
無茶苦茶おすすめです。
ストーリーズでもより詳しく内観など紹介してます。
クロミミははてなブログにて、「KUROMIMIには本が足りない。」を更新中。昨日、新しいエッセイ「無口の余白にあるもの。」を更新しました。結構いい感じにかけた。よろしければ、ご一読ください。
九州旅行 一日目 夕食編
この日の夕食は、期せずして7000円のフルコースを食べることに。
最初は値段の高さにばかり目がいっていましたが、食べ終えてみると納得のお値段どころか、あれ???これめっちゃ安くね??ってなる。ふしぎ。
満足感のかたまりでした。
こちらのコースをいただいたのは、
湯布院 六所通りcoji coji 伊料理店
初めてこんな高級かつ遊び心に溢れる食事をしました。素敵な時間だったなあ。
シェフが可愛らしいさを体現したような素敵な男性で、本当に大好き。たくわえたお髭が可愛かった。
このシェフが仕入れから全てをお一人で手掛けています。
多分こんなこと、この先一生ないかもと思う。そのくらい特別なコース料理たち。
一生の思い出に残る食事でした。
ご来店の際は、二日前までにご予約が必要です。ご注意下さい。
なお、都合により、写真の順番はコースの順番とは異なります。すみません。
#湯布院グルメ
九州旅行中 一日目のお昼は、大分の
寶屋本店 へ。
もうここのちゃんぽんがありえんほどうまくて今までの人生で培ってきた語彙があらかた吹き飛ぶ威力だった。
とにかくすごかった。
もうあれはちゃんぽん超えてる。
たからやのちゃんぽん、という別の何かだ。別ジャンルの食べ物なんだよあれは!!!!!(唐突に高まる感情)
とにかく一緒に食べた唐揚げ定食も激うまだった。
行くのです。そして食らうのです。さすれば皆々幸せになるのです…。
食い倒れ九州旅行 一日目おやつ編へ続く。
#グルメ #大分#たからや#ちゃんぽん
九州旅行中です。
一日目は湯布院。COMICO ART MUSEUM YUFUINへ。
もーーー最高すぎる。草間彌生(撮影禁止だった残念。)とか村上隆とかの作品がてんこ盛りで楽しすぎた。ちょうど誰もいない時間帯で貸切状態でした。最高すぎる…。
建築物としても隈研吾の作品で、一見の価値ありです。完全予約制なので、お気をつけてお越しください。
この日のコーデは後日まとめて描く予定。
それでは本日のお昼へつづく。
クロミミははてなブログにて、「KUROMIMIには本が足りない。」を更新中。昨日、新しいエッセイ「無口の余白にあるもの。」を更新しました。結構いい感じにかけた。よろしければ、ご一読ください。
最近気がついたのだが、どうやら私は覚悟を決めること、が得意らしい。
私は現在、正規図書館司書である。
特に突出した能力はないし、勉強だってできない。要領も悪ければ、視野も狭い。苦手なことも多すぎて数えきれない。(得意なことは片手で足りる。泣きたくなってきた)
それなのになぜ正規の司書になれたのだろう、と時々思うことがある。幼い頃から司書になりたかった。だから、今見ているのは、都合のいいちょー長い夢で、実は自分は就きたいわけでもない職についてぶうぶう文句を垂れている、という方がしっくり来る。
もしもそんな時が来たら、やっぱりか…。と思いつつ、やれやれ。思ったより自分は司書になりたかったらしいな。本でも読むか。と、深いため息でもつくだろう。
とまあ、こんなことを言い連ねても現在知る限りにおいて、私は正規の司書な訳である。
これは夢じゃない。多分。
じゃあ、なんの取り柄もない私がなぜなれたのだろう。
やっぱり心はいつのまにかこの問いへ戻ってくるのだ。
そこで気づいたことがある。
わたしにはしょうもない得意技が一つあった事に。
それが「覚悟を決める」ことであった。
人生上、何かをしなければならないと分かった時、悩んだりすることがなかったように思う。
するべき事、しなければならない事がたとえやりたくない事だったとしてもなぜか即座に腹が据わる。
そして実行に移そうと全力で努力し始めるのである。
思えば昔から、このような流れで物事に取り組んできたような気がする。
手を抜くことが苦手だ。常にゼロかイチかの単純さで生きているわたしは、曖昧にしたり、いい感じに手を抜いたりが本当に苦手だ。そんなことをするくらいなら、最初からしない方がマシ。(たとえ損をするとしてもだ)
これは間違いなく、生来の気質だと思う。
図書館司書になる際にも、このようなわたしの気質がおそらく役立ったのだろう、と今にして思う。
なぜか。
それは、シンプルに正規の図書館司書の雇用が極端に少ないからである。
当然雇用が存在しない県なんて、毎年珍しくもない。
全国で年間15件出れば御の字だ。
ただでさえ少ない雇用である。受けられる試験は全て受験するくらいの気概がなければ一生正規の司書になどなれはしない。
必要とあれば、本州から出ようが試験は受けに行くべきである。それくらい受験機会は重要である。司書の専門試験を受ける際に最も困るのは、事前に解けるテスト問題の少なさだからだ。司書の試験ではほとんど過去問というものが公開されない。(専門試験のみ)その意味で、受験は落ちたとしても受ける意味は大きい。面接なんて、こなせばこなすだけ上手くなるのだから受けない方が勿体無いのである。
だからこそ、今住んでいる県どころか市から出たくない。などとほざいていては絶対無理。司書の雇用の少なさでは10年経とうがその市に一件も雇用がない可能性は十二分にある。(実際わたしは十年間雇用がなかった市を複数知っている。そういう県すらあるだろう。)そうして、来るべき「その時」を待っている間に我々は年を重ねて受験資格を失ってしまう。
だからこそどれだけ試験に落ちようが、歯を食いしばって耐え、何度も食らいつく執念が必要だとしみじみ思う。臨むものは飽くまで追い求める貪欲さが必須なのだ。
多分、他の人よりわたしが優っている部分があったとすれば、それはおそらくこういう必死さだけなのだろう。
まあ、最近はそういうわたしの性質を見抜かれて、上司に言いように使われている気がしないでもないが。
「こいつ、頼んだらすぐ覚悟決めてやるわwwwじゃあこれもこれもこれもいけるやろwwww」みたいな。
みなさまの特技はなんだろうか。
わたしはかつて、無口な子供だった。
友人に話しかけられてもうまく答えられず、口を閉ざした。周囲の言葉は理解し難く、隔たっていた。まるで私以外が宇宙人であるかのように。まあ、他の人にとってはそんな私こそが宇宙人的であったかもしれない。
ところがある時から、わたしの口からはいくらでも言葉が出て行くようになった。考えているわけではない。気がつくと口が勝手にしゃべっている。(おしゃべりな人には共感してもらえるだろうか。)いまや、多弁であることがわたしの特徴である。
だからこそ思う。あの頃のわたしはなぜあんなにも語ることを避けていたのか、と。一体、どちらがわたしの本質なのだろう。仮にどちらも本質というのであれば、いつからわたしは変質したのだろう。あの頃のわたしはいまだわたしの中に存在しているのだろうか。
とはいえ、やはり自分のことなので話せるようになった原因に心当たりはあるのだ。
おそらくわたしはある時から諦めた。自分の感覚や欲求を正確に言葉へと変換することを。心のありようや感じ方を言葉として放出することは、大きなパズルのピースを探し出すのに似ている。当然、会話からは置いてけぼりを食う。そんなことをしていては、最初の一語にたどり着く事すらままならない。「普通」になりたいなら、諦めるしかなかった。そして同時に悟ったのだ。周りの誰も「本音」など求めていないということに。多分会話というのは、心地良いリズムで型を一緒に演じることに似ている。そしてそこに本音は必要ない。必要なのはキャラクターに合わせた演技のみである。
だからこそ、わたしはおしゃべりになった。多弁であることは仮面を常に被り続けることと同義だから。話し続けるもののその奥にある真実などそうそう覗き込むものはいない。攻撃は最大の防御、というやつである。
ところで、幼い私が無口だったのにはもう一つ理由がある。理由と言ってもシンプルだ。
「わたしの中に語るべきものがなかった」ただ、それだけ。考えれば考えるほど、この一点に問題は集約する。幼い頃のわたしには本当に語るべきことを持たなかった。あの頃のわたしは世界に興味がなく、また自分自身にも興味がなかった。幼い時分には、楽しいことも辛いこともあった筈だ。悲しいこともあったと思う。だが、それらを私は覚えていない。あらゆる出来事は私の中をただ通り過ぎていった。観測者を持たない出来事は記憶されない。なかったことと同じになってしまう。大人になった私に残されたのは、「あの頃私は孤独だったような気がする」という薄ぼんやりとした実感だけだった。そこに付随する感情はない。寂しいとも悲しいとも嬉しいとも気楽だとも思っていなかった。
こうした幼少期のありようを思い返してみると、なかなか面白いなと思う。できることならもう一度体験して小説にしてみたいくらいだ。しかし、それはきっと無理なのだ。常々「昔から変わらないね」と言われるわたしでも、決定的に変質してしまった部分はやはりあるらしい。
わたしは年を経るにつれ変質し、自分の本音に言及することのない凡庸な大人の一人となった。それなら、吐きだされない本音はどこに行ってしまったのだろう。心に溜まった澱は今もどこかに眠っているのだろうか。わたしはその逃げ場こそが、小説を描くことなのだと思う。小学生の頃から小説は描いているが、年を重ねるごとに小説を描くという行為の面白さが増している。それは昔よりもっと心の底に踏み込んで描くことができるようになったからだろう。(うまく描けているかはこの際、傍に置く)このような面白さを味わうことができるのは、小説の世界と現世とがわたしの中できちんと分離しているからだ。日頃踏み込めない境地へ辿り着けるのが小説を描くことの醍醐味だ。今ここで描いていることもいつかは昇華され、小説になる。その道程を見送ることが今は何よりも楽しい。
過去の出来事をあまり覚えていられない私にとって、小説を描くことが過去を記憶する術であるのかもしれない。人生上、私の中にずっと残る唯一のものは、本に関することと物語だけだから。
わたしはこれからも小説を描くだろう。それは誰のためでもない。自分を救うため、わたしは筆を執るのだ。