KUROMIMIには本が足りない。

KUROMIMIには本が足りない。

活字がないとダメ系ヲタク。小説・音楽・詩・ときどき映画。自作の小説も書いてます。

小説・「アキラの呪い」(11)

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前話はこちら。

 

 

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***

 

 

 

  予告通り帰省した姉をみて、俺はほっとため息をついた。正確には、その手首を観察していた。最近彼女のリストカット跡はかなり薄くなってきている。それでもよく見れば分かってしまう程度には残っていた。今、傷はリストバンドに覆われて見えない。どうやら隠す気はあるらしい。胸を撫で下ろしながら、ふと疑問が芽生えた。なぜこんな心配を俺がしているのだろう。バレて困るのは姉さんじゃないか。なんだか釈然としない気分でもう一度傍に立つ姉に目をやった。姉は帰って早々母から小言を食らっている最中だった。

 「帰る前に一報寄越せって前から言ってるでしょう。昼ごはんの都合があるんだから。ったく、電話したってでやしないし」

 「…忘れてた。ごめん」

 「はあ。もう聞き飽きたわ。謝るくらいなら、最初から連絡くらいしなさい」

 「わかったよ」

 今にもため息をつきそうな声で姉は言った。その右手は乱暴に前髪をかきあげている。ストレスを感じた時の癖だった。そういう仕草をすると、ますます中性的な印象だ。姉がもし男でも違和感なく生活できるだろう。たびたびそう思わせる程度には社会的な女性像と彼女はかけ離れていた。我が姉は他人の目をこれっぽっちも気にしない。そして、いかなる社会的規範も彼女にとっては意味がなかった。だから女性らしく振る舞うことにも、逆に男性的に振る舞うことにも興味がない。それでも法を犯さない程度の良識はあるから、なんとか社会生活を営めているんだろうが。これがいわゆる教育の成果、というやつなのかもしれない。まあ、それさえも積極的にリスクを負う理由がないから、程度でしかないに違いない。それでもトラブルが避けられるのなら御の字だ。

 「で?昼ごはんどうするの?」

 母が問うと、面倒そうに姉は

 「食べていいなら食べたい。もう終わったなら、カップラーメンでも食べるわ」

   「まだ食べてないから一緒に食べましょ。パスタ、好きでしょ。きのこたっぷりのやつ」

 姉へ問いかける母の声には弾むような明るさが隠されていた。きっとこの帰省に合わせて姉の好物ばかり作ろうと張り切っているのだろう。母が考えそうなことだ。もしかしたら、父も結託して色々と計画しているかもしれない。仮にそうなら、連絡も碌にしないで帰ってきた姉に対するあの態度も納得だった。張り切って準備した矢先、台無しになるかと気を揉んだのだろうし。無論、そんな親の心情をあの姉に察せるはずはないが。ただ、なんとなく姉にとってはあまり嬉しい事態とは言えない予感がした。その感覚は懐かしさも伴っていた。この類の違和感は姉と同居していた頃にはよく感じていたからだ。

 「…うん」

 そう返事した姉の表情から感情は読めない。パスタもきのこも彼女の好物なのは確かなはずだが。むしろ、その表情はキャップの陰でわずかに翳って見えた。それが単に帽子のせいなのか、感情の発露なのか俺には判断つかなかった。

 帰省したばかりの彼女はキャップにパーカーというラフな格好をしている。化粧気のない顔だが、不思議と血色は悪くない。もっとだるそうというか、疲れて帰ってくると思ったのに。姉は移動することそのものに抵抗を覚えるタイプだった。帰省しないのもそれが大きな理由だろう。

 珍しいこともあるもんだと思ったのも束の間、姉がこちらを振り向いた。

 「なに?さっきからジロジロと」

 「ああ、いや。別に」

 「視線がうるさいのよ。鬱陶しいったら」

 姉は不快そうに目をすがめて俺を睨んだ。

 「帰省すんの珍しいと思って。ただそれだけ」

 ヘラヘラ笑いを貼り付けてそう返すと、相手は一層不機嫌面になった。

 「あっそ。荷物置いてくる」

 手をひらひら振ってバックパックと手提げ袋を手に姉は階段を登っていく。子供部屋は2階にあるのだ。小柄な後ろ姿は重さのためかふらついていた。

 「荷物持とうか?」

 問いかけると、

 「いい、一人で」

 すげない答えが降ってきて俺は一人肩をすくめた。断られる気はしていた。登っていく背を見送りながら、姉が誰かの手を取る日は来るのだろうか。そんな感傷が過ぎった。

 その後昼食を摂りながら、今後の予定について母は話し始めた。

 「父さん、今日の仕事休めなかったけど早引きするらしいから久々に外食でもしようかと思ってるんだけど」

 きっとこれは親父の発案だろう。彼は家族で何かしら出かけたがる節がある。内心抵抗があることは否めない。だから俺も両親から提案を普段は拒んでいた。ところが、親は姉の帰省をチャンスと捉えたようだ。ここぞとばかりに予定をねじ込んできた。小旅行でないだけマシか。そこは譲歩したのかもしれない。俺は姉が提案を拒まないかと期待して、隣の席に目を向けた。姉こそこういう提案は鬱陶しがるはずだ。

   「いいよ、行こう」

 「えっ?」

 思わず声が出た。姉が鋭く睨めつけてくる。予想が外れたことに動揺しながら俺は顔を伏せるしかなかった。今までこういった類の予測が外れたことはあまりなかった。今日の姉は何かが違う。確かにそう思うのに、理由はわからないままだった。

『一体なぜ』『なにを考えてるんだ』

 答えのない問いを姉に投げかける事もできないまま、俺は一人燻ることになった。

 結局、夕食は焼肉屋で外食を摂ることになった。親父はというと仕事が終わらなかったらしく仕事先から焼肉屋へ直で合流した。焼肉は久々だ。親同伴という点を差し引いても肉が食べられるのならお釣りが来る。両親は興奮気味に色々注文していた。ホルモンを食うと親父は腹を下しやすくなるはずだが、忘れているのかどうなのか、機嫌良く酒と一緒に食べている。母もその様子を横で見ているだけで止めはしなかった。

 それだけ二人とも「家族全員で食事したい」と思っていたのだろう。その姿を目の当たりにすると、少々後ろめたい気もした。定期的に姉と会っていることを親には話していない。特に秘密というわけでもないのだが、彼らの前で姉の自殺未遂に繋がることには極力触れたくなかった。俺は嘘が上手くない。拓人曰く、嘘を吐こうとするとあからさまに不自然になるらしい。それなのに、そんなに感情豊かな人間だと自分では感じたことがないから不思議だ。だから、嘘を吐くことは人生の早い段階で諦めた。嘘がつけないなら、嘘をつかなくていい状況を作り出すしかない。それが20年余りの人生で得た学びだった。

 姉はというと、両親に話しかけられる以外は黙々と食べていた。そもそも焼肉になったのは彼女が「肉が食べたい」と言ったからだった。にも関わらずその顔に浮かぶ表情に悦びの色は薄い。どうやら今回は完全に親に付き合っている感覚らしい。やはりこういう場はそんなに好きではないのだろう。食事中、姉は親からたくさん質問をされていた。新しい職場はどうか。親しい人はできたか。一人暮らしは楽しんでるか。寂しくないか。(両親は「寂しい」と言って欲しかったのだろう)家事はちゃんとできてるか。休みの日はなにをして過ごしてるか。などなど。あげ出したらキリがないほど、両親はかわるがわる姉に尋ねていた。無論二人が質問魔というわけではない。姉がは自ら語ることをしないから、必然的に相手は尋ねたいことを質問するしかない。これは誰と会話していても同じことだった。しかもほとんどの会話はワンラリーで終わってしまう。きっとうちの姉は会話を楽しむという感覚すら知らない。それはたとえ家族であっても変わりないことだった。それでもこうして誰かの会話に長く付き合う姉の姿は相当稀なものに違いなかった。俺は思わず彼女の口の動きを目で追う。やっぱり今日の姉はおかしい。

『なぜ』

 拭いきれない違和感は結局解けることなく胸の奥に溜まっていった。そしてそれは、深夜までしこりとして残り続けていたのだった。その日は家族にとって「良い日」のはずだった。けれど俺にとっては、安穏としてどこか胸の騒ぐ夜だった。

 


***

 

アキラの呪い(12)へとつづく。

 

 

次話はこちら。

 

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小説・「アキラの呪い」(10)

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前話はこちら。

 

 

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第三章「家族」

 


 ある晴れた月曜の朝だった。

 秋晴れを見上げつつ洗濯物を干していると、母がこんなことを言い出した。

 「あ、そうだ。晶だけどね、今週末帰ってくるって連絡あったわ」

 「え」

 振り向くと、ソファーの向こう側で体を仰け反らせた母と目が合う。間抜けな返答と共に、今しがた皺を伸ばしたばかりのタオルが手をすり抜けて足元を湿らせた。だが、その不快感すらも今はどうでもいい。

 「…そっか。てか、事前に連絡あるとか姉さんらしくないな。いつもいきなりなのに」

 姉はいつも突然やってきて突然帰っていく。だから、姉が知らない間に帰省して知らない間に帰っていくことも日常的な事だった。折角なら会いたいとこちらは皆思っている。特に両親はそうだろう。それでもそこに干渉されることを姉は嫌がるだろうと察して、敢えて俺も両親も触れずにいたのだ。

 「そうなの。逆に怖いっていうか…。もうあの子のそういうところは諦めたんだけどねぇ。どういう風の吹き回しだろ」

 滅多に帰省しない無精な姉がなぜ今更帰ってくる気になったのか。全く見当もつかない。わずかに憂いを感じる母の横顔を見ていると、己が身と重なるような気がした。

 「姉さん、休み取れたんだな…」

 ひとりごちると、母は律儀にそれを拾い上げた。

 「夏の有給消化って言ってた。そういうのきちんとしてくれる会社でよかったわ〜。なぁんかほっとしちゃった。晶、そういう話は全然してくれないし」

 「父さんに言って休み取れるようにしといたほうがいいんじゃない?会えないとまたうるさいだろ」

 「あっ、たしかに。すぐ連絡入れとこう。わたしたまたま休みでよかったわぁ。一週間前じゃ、なかなかとれないから」

 そう言うと、母は立ち上がり伸びをした。ついでにテレビが消されて、BGMだったニュースの音声もふつりと途切れる。耳に挟んだ情報によれば、今日は秋めいた爽やかな一日らしかった。

 「で、具体的に何日帰ってくんの」

 「土曜日から6日間らしいよ」

 「ふうん…」

 やっぱり姉らしくない。もしかして、実家には一泊だけしてすぐに帰るつもりだろうか。

 「ところで、歩?」

 「うん?」

 「いつまでそこに突っ立ってるつもり?大学遅れるでしょ。さっさと干しちゃいなさい」

 その時になってようやっと足元に落ちたタオルの存在を思い出した。

 「あっ、やべ」

 タオルを慌てて持ち上げると。床にはしっかり水気が沁みて跡になっている。タオルにも木材の色が移っているのを見て、思わず舌打ちする。

 「じゃ、行ってくるから。電車、乗り遅れないようにね」

 いつのまに支度を済ませたのか、姿を捉えられないほどの早足で母はリビングを突っ切っていく。俺の元には置き去りにされた声だけが届いた。残像を見送ったのも束の間、「いってきます」と声がして、ドアが閉まる音が続いた。

 一人きりになった家は一転して静寂に満たされた。俺は洗濯物をほとんど無意識で干しながら、また考えを巡らせた。

 頭の中には先日の姉の姿が浮かんでいた。つい数日前に会ったんだから帰省について一言あってもいいはずだった。自殺未遂以降、週に一回の訪問は今のところ維持されていた。姉も拒むことを諦めたのか初回以降は黙って部屋に上げてくれる。拒絶する方が疲れると判断したのだろう。そんなわけで、先日の訪問も全くいつも通りと言ってよかった。俺が押しかけて晩飯を作り、一緒に食べ、速やかに追い出される。ただそれだけ。以前より険悪さが失せたことだけが変化と言えるだろうか。毎度あまりにも変化がなさすぎて不安になってくるくらいだ。まあ、でも当然と言えるかもしれない。ただ一緒に過ごすだけで大きな変化を与えられると言うなら、これまで姉弟で過ごしてきた時間で十分だったはずだ。それでは足りず、だからこそ姉は死を望んだ。なら、現状維持じゃ解決になんかなるわけがない。

 どうやら知る必要がある。

 水無瀬晶が自殺しようとした理由。

 きっと姉自身すらも知らない真実。

 それを知って初めて、俺は姉を生かすことができる。なぜか確信を持ってそう思えた。とりあえずは、この帰省という変化を掴もう。小さな糸口でも手繰り寄せれば、いずれ根に辿り着くはずだ。

 

 

「アキラの呪い」(11)へとつづく。

 

次話はこちら。

 

 

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小説・「アキラの呪い」(9)

 

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前話はこちら。

 

 

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間話 「特異な関係」

 

 

 

 歩と初めて話したのは、小学校へ入学したその日だった。あいつは水無瀬歩で俺は槙原拓人だったから、席順が前後だったんだ。知り合ってすぐの印象は「すごい奴」だった。

 その日、配布されたプリントを前から後ろに回して配ると、一枚足りなかった。その事実に俺が気がついたのは、目の前の歩が手を上げて「おれのぶんがない」とでかい声で言ってからだった。本来なら、一番後ろの俺の分が足りなくなるはずなのに。

 あいつの気遣いに気づいたのは、結局家で「ただいま」を言ったその時だった。とにかく昔から周りが見えてるというか、気が効く奴だった。今から考えても、水無瀬歩は少し大人びた子供だったと思う。そしてその理由が義姉にあると、すぐに思い知ることになった。

 家が近いわけではない俺たちは一緒に下校するわけではなかったけれど、校門まで一緒に行くのが毎日の習慣だった。その日は全校生徒が5時間目までで帰る日だった。「帰る前に寄る場所がある」と言って全速力で走って歩が向かった先は、4年生の教室だった。そう。水無瀬晶のクラスルームだ。なぜ迎えに行ったのかと問えば、「アキラはほっとくと一人で帰るから。一緒に帰れって母さんに言われてんのに」ということらしい。

 初めて見た少女の顔は、お世辞にも可愛いとは言えなかった。盛大に顔を歪め、むっつりと不満を露わにしていたからだ。元の造形がどうあれ、あれではかわいいもくそもない。最初に見た時は男子かと思ったほど、女っぽくない印象だった。独特の空気感のせいか、特に外見的に優れているわけでもないのに、とにかく特異な存在だった。そんな印象は子供の時特有なものかと思いもした。けれど結局、彼女が長じてからもその雰囲気は一向に変化しなかった。こんな冷静な分析は今になったからこそできるわけで。毛も生えそろわないガキだった俺が水無瀬姉から受けた印象と言えば、「とにかく怖い」これに尽きた。なんなら今だってちょっと怖い。初対面の相手に無視されて、あんなに有難く思ったのは、はじめてだった。

 そんなこんなで俺が魔王の眼光に怯んでいるのをよそに、歩は躊躇いなく教室内へと駆け寄っていった。歩が一歩近寄るたびに殺伐とした空気が濃くなるのは、きっと気のせいではないのだろう。にも関わらず、友人はそのまま満面の笑みで、姉に話しかけ始めた。度肝を抜かれ、呆然とする俺を置き去りにして、目の前で会話が重ねられていく。

 「アキラ〜帰るぞ!」

 「早いじゃない、歩」

 「だってアキラが帰っちゃうと思ってさ。ふふん〜、今日は俺の勝ちだな」

 そう言ってきゃらきゃら笑う少年はまるで別人のように幼い横顔をしている。その時悟った。あの恐ろしい少女が友人にとっては誰よりも特別なんだと。後から聞いた話では、あの頃彼らは家族になってまだ二年と経ってなかったらしい。眼前の光景からはとてもそうは感じられなかった。交わされる会話には親密さが滲み出ていたし、彼らはすでに家族特有の連帯感を帯びていた。顔も声も何もかも、全然似ていないのに。だから当然、血が繋がっていないということにも俺は気が付かなかった。今それを知っているのは、歩に教えられたからだ。もしかすると、彼らの状態は不自然なことだったのかもしれない。二年も経っていないのに、果たしてそんなに馴染むものだろうか。この点については、水無瀬晶という人物を知れば知るほど違和感が残った。彼女は成長するにつれ、どんどんと自分を囲う壁を分厚くしていった。少なくとも傍目にはそう見えた。

 あれは、中学二年の頃だったろうか。姉に会いにいく歩に付き添って、高等部に足を踏み入れたことがある。その日は厄日だった。なぜかと言えば、水無瀬晶と初めてまともに目が合ったからだ。彼女と出会ってすでに何年も経過していたが、「目が合った」と感じたのはその日が初めてだった。歩は教室に足を踏み入れると、小学校の頃と変わらず姉に話しかけ始めた。

 内容は覚えていないが、結構どうでもいいことだったような。無口な姉に向かってほとんど一方的に話す歩を横目にふと、義姉の顔が目に入った。いつも通りの無表情だった。だが、なぜか目が素通りできない。何か引っかかる。ーーーそして、違和感の正体はすぐに分かった。

 


『水無瀬歩はこの応酬を楽しんでいる』

 


 あの、他者へは微塵の興味も持たないような人間が。そう気がつくと、思わず食い入る様に友人の姉を見つめてしまった。無意識だった。

 その時だった。彼女の瞳がギョロッと動いて俺を捉えたのは。目が合った瞬間、息が止まった。

 怖い。恐い。こわい。

 いつか感じたことのある感情に一瞬で支配されてしまう。だが、緊張は一瞬で終わりを迎えた。すぐに水無瀬姉は視線を正面へと戻したからだ。

 捕食者から逃れた被食者の気分でその後は過ごしたが、水無瀬晶の反応はその日中ずっと違和感として残り続けた。今にして思えば、あれは彼女が弟以外の人間をどう見ているかの現れだった。視線をあっさりと外したのは、単に俺への興味が無かっただけ。もっと言うなら、感情を揺らすにも値しない存在として見られていた、ということなのかもしれない。そう思い当たったときには流石にゾッとした。

 水無瀬晶は他人に興味がない。それは単純な好悪すらも抱かないレベルでの無関心、ということなのだろう。だから、彼女がもしも喜怒哀楽を表すことがあるなら、それは必ず義弟関連。そう思えた。

 どうしてそんなふうに思ったのかわからないが、この仮説が俺的には一番しっくりきた。いつか歩にこの話をぶつけてみたいと思うこともあるが、多分信じやしないだろう。

 あいつは自分と姉との関係を相対的に捉えられない節があるから。いつだったか歩に言ってやったことがある。「お前はすごいやつだ」って。こっちは照れくさい思いをしたのにまさかあそこまで響かないとは思わなかった。損した気分だ。まったく。

 でも、あの時の言葉は全て本心だ。だって水無瀬晶の義理の弟なんて、あいつ以外誰か務まるってんだ?俺なら投げ出すぜ。間違いない。ついでに全速力で脱走する。俺はあの女が怖い。大抵の人間にとって水無瀬晶は理解不能だ。そんな人間の家族だって?冗談じゃないね。

 俺が絶対に敵わない人間がいるとすれば、それは水無瀬歩だ。あいつにだけは絶対勝てない。それを俺は自覚してる。


あいつもいつか気づくのだろうか。

自分の占める席の特異さに。

ま、気がつかない方が幸せって気もするが。

 

 

アキラの呪い(10)へと続く。

次話はこちら。

 

 

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連続小説・「アキラの呪い」(8)

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前話はこちら。

 

 

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***

 


 晶が高校を卒業してから俺が高校を卒業するまでの4年間は、俺達に一番距離があった時期だと言える。物理的にも精神的にも。俺が高校に入学してからは、特にそうだった。同じ家にいても、ほとんど会話もしないし、なんなら目も合わせないほどだった。なぜなら晶が、はっきりと俺を避けるようになったからだ。反抗期だったんだろうか。あれは。それまでもそれほど交流があったわけではなかったが、ここまでじゃあなかった。それで、気がついた。俺は思った以上に姉を気にして生きてたんだと。姉が欠けた日々は、ひび割れた空の器を満たそうともがくような滑稽さだった。原因は明白なのに、そこから目を逸らし続けているような、違和感と後ろめたさが常にある。俺は逃げたかった。捕まってしまえば何かが決定的に終わり、変わってしまうと思ったから。何に追われているかもはっきりとわからないのに、逃れたいという思いだけが強く残った。

 だからなのかはわからないが、彼女が出来たのはこの頃だった。クラスメイトであまり話したこともない子だった。セミロングの黒髪が綺麗だったのをよく覚えているのに、顔を思い出そうとすると曖昧だ。いや。思い出せはするのだが、その顔が本当に彼女の顔なのか自信が持てない。特に、正面から見た顔が。我ながらどうかと思う。

 そのせいだろうか。

『この子をその内好きになるんだろうか』

  そんなことをぼんやりと考えているうちに、振られてしまった。付き合い始めて、一か月が経った頃だった。彼女は最後に「付き合わせてごめんね」とだけ言って去っていった。その後ろ姿は、中3の時付き合っていた女子とそっくりだった。あの時は半月も持たなかったんじゃなかったろうか。周りもちょっと付き合っては別れてを繰り返していたから、当時はそんなものなんだと思っていた。けど、やっぱり俺が悪いんだろう。俺は拓人と違って気遣いもできなければ、特にイケメンでもない。何かに秀でているわけでもないし、なんなら面白い話もできない。考えれば考えるほど、女にモテる要素なんてゼロだった。だからまあ、彼女がいたと言えるだけでも俺は感謝すべきなんだと思う。

 高校二年になった頃には俺はかもう、恋愛どころではなくなっていた。姉とこの先ずっとこのままでいるかと思うと、毎日気が狂いそうだったからだ。

 だから、晶と同じ大学へ進学することを決意したのは必然としか言いようがなかった。もうそれくらいしか出来ることがなかった。俺は遂に、姉への執心を受け入れることにした。もう、呪いみたいなもんだと思った。そうしたら少し気分は軽くなって、何をやるべきかがはっきりした。それからは大変だった。何しろ高一までろくに勉強もしたことのない俺だ。大学に行くことすらまともに考えたことはなかった。世の天才たちは受験間際で追い上げて名門大学へ行ったという話も聞くが、俺はその類ではなかった。当然、残りの高校二年間は記憶を失うほど勉強に捧げることになった。それでも、合格圏内ぎりぎりだったけど。幸いだったのは、姉が県外へ出なかったことだ。片田舎であるこの県で有力な国公立大学は一つしかない。彼女を追う意図がなかったしても、県内で進学するなら最上位の大学はそこだった。さらに運がいいことに、理系学部は晶が所属する文学部に比べて偏差値が5以上低かった。俺は結局、理系学部を受験し、なんとか合格したのだった。姉と在学中一緒なのは、たった一年だ。それでも合格した時は、声も出ないくらい嬉しくて、どうしようもなかった。そして自分が、一段深みへと足を踏み出したことも実感していた。

 姉にも合格したことは伝えたが、驚くほど無表情で「そう」と言ってすぐに自室へ引っこんでしまった。その時ばかりは姉の表情を読めなかった。それよりも、嫌な顔をしなかったことへの意外さに気を取られてしまった。いまだに姉があのとき何を考えていたのか、俺にはよくわからないままだ。けれどなぜか、あの時の能面のような顔が今でも忘れられないでいる。

 勿論、大学に入ってからも姉との交流はそこまで多いわけじゃなかった。たまに話すくらいだ。しかも、一年経つと彼女が卒業してしまい、それさえも無くなってしまった。今でも考える。あの時もっと姉と関わろうとしていたら、自殺未遂を防げただろうか、と。いくら考えても答えは出ない。

 晶はこれからも口を閉ざしたままだろう。だからこの苦しみに終わりはない。けれど、悪くないと思う。俺が苦しみもがく間は少なくとも、姉は生きている。苦痛の終わりは即ち、姉の死を意味しているのだから。

 

 

 

(第二章おわり。間話一へとつづく。)

アキラの呪い(9)へとつづく。

 

次話はこちら。

 

 

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連続小説・「アキラの呪い」(7)

 

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前話はこちら。

 

 

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ところで校内での晶との交流は、俺の対人関係にも変化を与えた。平凡な奴に「ヤバい奴とやり合えるすごい奴」というステータスが追加されたのだ。だからなのか、幼なじみの拓人とこんな会話をしたりもした。

 「お前、噂になってんぞ」

 ある帰り道、拓人がひそひそと話しかけてきて、俺は怪訝に片眉を上げた。

 「はあ?」

 「お前の姉貴の…何だっけ名前…異名はすぐ思い出せるんだけど」

 口を歪めながらもどかしそうに拓人は顎を触っていた。

 「晶のことか。ちなみに異名って?」

 「狂人、悪魔、魔王…色々ある。もう名前を言ってはいけないあの人状態」

 異名の数だけ指がどんどん折り曲げられていく。話しぶりから察するに、姉には片手では足りないほどの通り名がついているらしい。

 「何それウケる」

 弟の耳には意外とそういった類の噂が入ってこないのか、それともこいつの野次馬根性がすごいのか。まあ、両方だろ。多分。

 「だろ?まあ。似合ってっけどな。昔からあの人すげーし、色んな意味で。でも、お前の噂の方がもっと面白いぜ」

 幼なじみはにやつきながらこちらを覗き込んだ。あの頃、拓人は俺より小柄だった。高校に入ってからは体がぶっ壊れるんじゃないかってくらい身長がいきなり伸びたけどな。お陰で奴は成長痛にひいひい言ってたっけ。

 「さっさと言えよ。焦らすな」

 いい奴だけど、こういうところはイラつくと思いながら俺は先を促した。

 「化け物使いって呼ばれてるよ、お前」

 「はあ?」

 「だって歩だけだぜ、あの人がまともに口きくのなんか。家族だとしてもなかなかすごい。俺も全面同意だわ。たまに思うんだよな。歩って実はすげー奴なんじゃね?ってさ」

 「お前はいきなり何きもちわりーこと言ってんだよ。ジュースなら奢んねーぞ。そもそも今週はお前が奢る番だ」

 そう言ってやると、拓人は短く舌打ちをしてサッサと近くの自動販売機に寄っていった。毎週一回交代で奢るのが俺たちの習慣だった。

 「褒めがいのない奴だな。たまには言葉を素直に受け取れよ。損するぜ?」

 そう言いながらスラックスのポケットからジャラジャラと小銭を投入口に入れていく。

 「歩、いつものでいいか?」

 「おう」

 拓人はそのまま、コーラと三ツ矢サイダーを流れるように選択した。すぐにガコン、と音がしたかと思うと、三ツ矢サイダーが投げて寄越された。

 「おい!炭酸投げんなって言ってんだろ。爆発したら困る」

 「安心しろよ、ペットボトルならせいぜい溢れるだけだろ」

 「…いやざけんな。どっちにしろベタベタになるじゃねぇか」

 言いながら、恐る恐る開栓するがなんともなかった。思わず詰めた息を吐きながら、一口煽る。

 「…で?その急な褒めはどっからきたわけ」

 濡れた口を拭うとべたついている。後悔したがもう遅い。

 「だから噂だよ」

 「だとしても、事実は違う。拓人は知ってるだろ。からかってんならやめろよ。俺と姉さんを見て仲がいいと思うやつなんかいねーよ」

 そもそも正常なコミュニケーションを取れているのかどうかも怪しい。姉と話していると、たまに言葉を投げつけ合っているような気になった。

 「仲の良し悪しなんか、比較の問題だろ。少なくとも、お前の姉さんはお前以外の人間なんかまともに相手してない。みんなそう思ってるよ」

 「だからって…あれがマトモな関係に見えるだって?おかしいだろ、絶対」

 すると、拓人は少し間を置いてから俺の胸を指差して言った。

 「前から思ってたけど、歩は自分のことなーんも分かってねーよな。姉貴のことばっか気にしてないで、ちょっとは自分のことも気にすればあ?」

 拓人の悪戯っぽく大人びた笑みはずっと心に残った。あれから長い時間が経ち、俺たちは一度高校進学でで別れた。あいつが外部進学したからだ。けど、奇妙なことに大学でもう一度再会を果たすことになった。しかも学部学科まで一緒。再会した拓人の第一声は「マジかよ」だった。それはそのまま俺の心の声だったが、驚きすぎて声にはならなかった。

 大学で再会してから、拓人に尋ねられたことがある。

 「そういや、なんでお前進学したんだ?」

 拓人はそう言うなり、ベンチの背に体を預け、空を仰いだ。喉仏が動くのがよく見える。

 「いきなりなんだよ」

 「だってお前、中学の頃は勉強なんか嫌いだったろ。俺はてっきり専門でも行ってさっさと働くと思ってたんだよ」

 つくづく俺のことをよく分かっている幼なじみだった。俺もそのつもりだったさ。高一まではな。

 「うるせぇなあ。いいだろ俺が勉強したって」

 「なんで大学来たか、当ててやろうか」

 「はあ?」

 「姉貴関係だろ」

 そこだけ、囁くような声だった。俺は自分の息が止まるのを感じた。一瞬からかっているのかと思ったが、目が笑っていなかった。

 「…俺ってそんな分かりやすい?」

 努めてなんでもないような声を出そうとして失敗した。

 「いやーうちの県そこそこ田舎でほんとよかったよな。お陰で大学少なくて、被っても違和感あんまねぇし。俺らが一緒になったのもそれが原因だろ」

 頬杖をついて、奴はふぅと息を吐く。俺の胸は相変わらず、でかい音を鳴らしていた。

 「ひいた、よな?」

 足の間で組んだ手は、いつのまにか汗で濡れている。拓人の目を見れない。

 「いや、別に。ただ昔っから一途だと思っただけ」

 その言葉には一欠片の軽蔑も滲んではいなかった。秘密にしてくれ、と言いかけてやめた。こいつは言わないとどこかで確信していた。体から力が抜けていく。

 「……そうかよ」

 隣ではふっと笑った気配がした。俯いた視界の端では拓人の組んだ脚がぶらぶらと揺れている。相変わらず呆れるほどボロボロなサンダルだった。拓人は結構男前だが、身なりにはまるで気を使わなかった。それでも彼女が途切れないんだから、やっぱりイケメンって奴は得だ。足元をしばらく眺めていると、また声が降ってきた。

 「昔から聞きたかったことがあるんだけど、聞いていいか?」

 「ああ」

 「なんで姉貴のことそんな気にしてんだ?お前見てると、単に好き嫌いだけじゃない気がしてさ」

 「お前はなんでも分かるんだな」

 「ちげーよ。たまたまだ。ま、中学の時ずっとお前と連んでたし、なんとなくな。で、聞いていい感じ?」

 正直、誰かに話してしまいたかった。この会話をしたのが、晶が自殺未遂した直後だったというのも大きかったのだろう。姉の自殺衝動は大きすぎる秘密だった。

 「……あいつ、昔っから目を離すと消えそうなんだよ。だから、不安なんだ」

 「そんな弱そうには見えなかったけど?」

 「あいつが消えるのは弱いからじゃない。強すぎるからさ」

 その強さで己が身を焼いている。それを俺がどんな気分で目の当たりにするか、晶は知りもしない。そして、この先思い至ることもないだろう。そう考えると、深い虚しさに端から蝕まれるのが分かった。

 「ふうん…」

 「あいつの自由にさせると、昔から碌なことがないからな。そのうちとんでもないことに手を出す。ずっと、そんな予感がしてる」

 これは少し、過去の言葉だった。もう予感なんて生温い言葉じゃ足りない。確信だった。姉は既に一度、自殺未遂した。いずれあいつは自らを滅ぼすだろう。俺が何度止めようとも、死に惹かれる限り何度でも続けるはずだ。いつのまにか握り込んでいた拳は、力が入りすぎて白くなり、震えていた。

 「あのさ…」

 出した声は恥ずかしくなるほど無防備で、幼く聞こえる。尋ねるべきでないと分かっていても、尋ねずにはいられなかった。

 「なんで何も言わないんだ?前から気付いてたにしても、気持ち悪いだろ。俺みたいなの」

「なんだ、拒絶して欲しいのか。それとも裁いて欲しい?」

 「いや…」

 横目で相手を見ると、まともに目が合った。その瞬間、逃げ出してしまいたいような衝動に襲われる。

 「ただ、俺はそこまで偉くないってだけだ。俺にだって誰にも知られたくない秘密くらいある。なのに、今ここでお前を責めたらそれがそのまま、俺に跳ね返ってきそうじゃねえか?悪いが誰彼構わず批判できるほどできた奴じゃねーよ、俺は。生理的に無理っってんならまあ、仕方ねぇけど。お前の話聞いてみたけど、どうやらそれもないっぽいし」

 俺はもともと結構適当だからな、と付け足し、少し間をおいて拓人はこう続ける。

 「だからさ、我が身可愛さでこんなこと言ってんだぜ?あと、俺が前に言ったこと、忘れてんだろ。歩」

 「えっ?」

 俺が間抜けな声を出すと、拓人の人差し指がすっと伸びてきて、俺の胸に突き立てられた。その姿を見て、何かが蘇る気配がした。そして、「いいか、俺の言葉、今度こそ忘れんじゃねーぞ」とさも偉そうに念押しして、拓人は言う。

 「お前はすげぇ奴だよ。自分で思ってるよりずっと。それに面白いやつさ。それだけは俺が保証してやる」

 そう言い切った顔は、いつかのガキの笑顔と重なる。大人びて自信に満ちた表情だった。

 昔からこいつには敵わないのだと、俺はその時ようやく思い出した。自分の口から「ありがとう」とらしくもない言葉が出たのは、きっとそのせいだったのだろう。

 

 

 

***

 

 

アキラの呪い(8)へと続く。

連続小説・「アキラの呪い」(6)

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前話はこちら。

 

 

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 中学生になると、俺は「あの」水無瀬晶の弟として扱われた。中高一貫校だったから余計にそういう目で見られた。小学校でもそんな感じだったからむしろ俺としては懐かしさすらあった。そもそもその程度のことで動揺してちゃ、あれの弟は務まらない。なので入学してから一ヶ月ほどは、周囲に水無瀬歩がいかに平凡な奴かを知らせることに注力した。まあ、実際俺は平凡な人間に過ぎないのでありのままでも構わない。けどそれじゃあ、姉の武勇伝にインパクト負けしてしまう。平均よりも平凡、という印象が必要だった。
 だからこそしばらくは、特に品行方正に努めたつもりだ。そこそこな成績、普通のルックス、ありきたりの発言、絶えず繰り返される笑みと同調。それらが癖なのか演技なのか分からなくなった頃にようやく、高等部一年にいるヤバい奴と俺の印象は切り離して考えられるようになった。やばいのはあの家族ではなく、あの女だと認識が改ったわけだ。
 さて、こうしてイメージ改善に苦心していた俺だが、まったく姉との交流がなかったわけでもなかった。なにしろ同じ家に住んでいるのだ。家の外で全く交流しないわけにもいかない。しかもあいつは家族のメッセージグループをチェックする習慣が全くなかった。何度言っても身につかないのでしまいには両親も諦め、しだいに晶に俺が直接伝達するようになった。晶は俺がやってくるたびにじっとりとした目つきで見てきたが、構うものか。通信手段をまるで活用しないお前が悪い。結局晶は頻繁にメッセージを確認することと、俺と会って話すことを天秤に掛けて、後者の面倒を受け入れることにしたらしい。そんなわけで、俺は必然高等部にも頻繁に出入りすることになった。今から考えるとなかなか役得だ。高等部のお姉様方には可愛がってもらえるし、運が良ければ食い物までもらえた。中等部では校則で禁止されている菓子類はなかなか背徳の味だった。
 しかし、それすら最大の利点ではなかった。なんと、俺が出入りすることで晶のイメージ改善までできたのだ。これは嬉しい誤算だった。「なんだ、家族とは普通に話すんじゃん」ということらしい。とは言っても、彼女に話しかけようとする猛者はさすがに存在しなかった。だが、少なくとも姉の印象は「取り扱い注意の劇物」から「触れさえしなければ安心な置物」くらいには下方修正された。
 俺はこの頃から意識的に晶を「姉さん」と呼ぶようになった。小学校までは完全に家でも外でも「アキラ」呼びだったのだ。それは血が繋がっていないことを周囲に知られないための自己防衛でもあった。義理の家族というのは何かと面倒な憶測を呼びやすい。晶は歯牙にも掛けないだろうが、事前に防いで悪いことはない。主に俺の精神衛生上。
 けれどこれだけが理由でもなかったのだと、今にして思う。あれは晶に対する楔だった。俺はお前の家族だ、という。あの頃から俺は気づいていたんだ。俺は晶に切り捨てられるかもしれないということに。彼女は独りを心の底から望んでいる。孤独と自由を奪われるくらいなら死を選ぶだろう。あいつは昔から頑固な性格だ。だが俺はそれを許さず、晶の傍らに踏み入った。「姉」という呼称はその宣言だった。
『切り離せるものなら、切り離してみろ』
 あれは声なき恫喝だった。あの頃から俺たちは何も変わっちゃいない。振り払おうとする晶に追い縋る俺。この構図は死ぬまで変わらない。だからあいつにとっての俺は家族というより敵なのだろう。自由を侵害する敵。善意という敵。そう。俺の戦略は「善良さ」を武器にすることだった。
 忘れ去られるくらいなら、憎まれ、嫌われている方がいい。姉は好きも嫌いもはっきりしていて、強烈だ。まあ、その好悪が人間に向けられることはほぼなかったが。だからだろうか。いつからかこんな思いが俺の中で芽生えた。

「俺が晶にとって、最初の嫌いな人間になってやる」

 好かれるなんて、あり得ないことは望まない。それならせめてなんでもいい、感情を向けて欲しかった。それこそがあいつを人間らしくすると俺は今でも信じている。少なくとも憎んでいる間だけは、あいつは俺を、この世界との繋がりを、忘れられないはずだ。今日も俺は晶に呪いをかけている。家族という呪いを。

 

 

アキラの呪い(7)へとつづく。

 

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連続小説・「アキラの呪い」(5)

 

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前話はこちら。

 

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第二章 「晶と俺」

 

   ろくでもない姉との出会いを俺ははっきりと思い出せない。気がついたら晶は俺の姉で、俺は晶の弟だった。だから10歳の頃、親から実はお互い連れ子なのだと聞かされるまでは、普通の姉弟なんだと思ってた。けど、知らされた時もあんまり驚かなかったんだよな。だってさ、晶と俺は全然似てない。性格も見た目も全部。だから違和感みたいなものは昔からあったんだろ、多分。あいつと俺が家族になった当時、俺は6歳であいつは9歳だった。そりゃあ、就学前のガキの頃の記憶なんて曖昧にもなるだろう。なんならもう少しデカくなってからのことすらほとんど覚えてない。流石に姉は記憶があるだろうが、その頃については全くと言っていいほど話したことがない。あいつは元々あんまり喋らないし、俺は俺で扱いづらい姉に遠慮してたらどんどん尋ねづらくなったんだ。だからほとんどなんの記憶もない。けど、推測くらいはできる。あいつの性格から察するに、突然降って沸いた義弟なんて面倒な存在は徹底的に避けたはずだ。あいつは自分のペースや領域を保つことに異常な執着を見せる。あれはちょっと普通じゃないし、なんなんなら怖い。だから、当時俺たちは会わないし、話さないし、見ないし、存在しない。そんな感じだったろう。だから俺が覚えてないってよりは、特に覚えておけるような出来事がなかったんじゃないかって予想してる。結構いいとこ突いてると思うんだけど。晶に尋ねたってまともな答えなんか返ってくるわけないし、親は親でもしも本当にそうなら、気まずさがえげつないことになる。これでもメンタルは強いつもりだが、ストレス要因は出来るだけ避けて生きるに限る。

 ともかくそんな感じで俺の幼少期は空白。記憶が霞みがかった地帯を完全に抜けるのは、小学校高学年に入ってから。つまり、義理の家族だと知った少し後ってことになる。10代になりたての俺はサッカーとか野球をなんとなく友達とやって騒いでる主体性のないただのアホだった。体を動かすことは嫌いじゃなかったが、別に好きってわけでもなかった。かといって自分から読書するわけでも、ゲームをするわけでも、勉強をするわけでもない。ただ流れに身を任せ、周りが好きだと言ったことを一緒にして、やりたいと言われたことをやった。それはそれなりに楽しかったし、暇潰しにもなった。何より考えなくていいから楽だった。そのせいか、妙なことを言われたことがある。「ノリ悪いなら混ざってくんな」とかなんとか。あの時は「ふざけんな」って一発殴ったっけ。あの頃は訳分かんなくて腹が立ったけど、今になって、なんとなく理解出来るような気もするんだ。俺は遊びを全力で楽しんでなかった。それが勘に障ったんだろう。そりゃそうだ。だってやってることが好きなわけでも嫌いなわけでもないんだからな。そりゃあ、本気で楽しんでる奴からしたら、水を差されたような気にもなる。

 なんとなく勿体無いことしたかな、と思わなくもない。けど、仕方ない。俺はまだまだ子供で自分を満たす方法を知らなかった。

 さて、一足先に中学に上がったばかりの姉がどうだったかというと、早速いじめられていた。こう言ってはなんだが、そうなるべくしてなった感は否めない。なにしろ、思春期の敏感な心にあいつの性格は刺激的すぎる。いじめられていることは親も俺もすぐに気がついたが、具体的な対処はできなかった。気がついたのとほぼ同時にいじめが終わりを迎えてしまったからだ。なぜなのかは後からわかった。晶はやられたことをいじめっ子にそのままやり返した。制服を水浸しにされれば、すぐさま相手の制服を引き裂き着られない状態にした。上履きに虫が入れられていたら、相手の下駄箱に蛇を仕込んで噛ませた。相手は複数だったにも関わらず、だ。周到なのは、相手のいじめ現場をきっちり動画に撮っていたことだ。その動画をネットにばら撒くと脅し、相手の口を封じた。最後には相手が泣いて謝って挙句全員が転校していったそうだ。以降あいつは校内で関わってはならない危険人物として扱われるようになった。その悪評は俺のいた小学校まで聞こえてくるほどだった。ただ一つ注意が必要なのは、あいつはいじめっ子に対して一切関心がないという点だ。あいつは単に自分のものに手を出した愚か者を制裁を加えたに過ぎない。現に、当時の彼女はクラスメイトの名前や顔をちっとも覚えてなかった。あの様子だと、いじめっ子すら個体認識しているかどうか怪しい。何年か経ってから、なぜすぐにやり返せたのか、仕返しが怖くなかったのか、と尋ねてみたことがある。するとあいつはきょとんと心底不思議そうな顔をして、

 「それが一番めんどくさくないから。誰ににされたかとか忘れちゃうし。目印、つけとこうと思ってさ。ああすれば二度と関わって来ないじゃない」

 そしてその後、「同年代の奴らの顔って全部同じに見える」とかどこぞの老人みたいなことをほざいていた。絶対覚える気がないだけだろ。あの時の気分は一生忘れない。あいつと俺のみている景色がどれだけ違うか思い知らされた瞬間だった。ちなみにきょとんとした顔は珍しく純粋そうで少女らしく見えた。まあ、そう見えるだけというのが本当に凶悪なのだが。

 


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アキラの呪い(6)へとつづく。

 

 

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