KUROMIMIには本が足りない。

KUROMIMIには本が足りない。

活字がないとダメ系ヲタク。小説・音楽・詩・ときどき映画。自作の小説も書いてます。

何かを愛するということ。

 

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新しい地に引っ越してから、もうすぐ四ヶ月が経とうとしている。転職してからは先日半年が経過した。

 


私が引っ越した先は言ってしまえばかなりの田舎だと思う。前住んでいた場所より県の中心地にいくには倍以上の時間を食うし、人口も全国のワーストに入るくらい少ない。これからもきっと減るんだろう。取り立てて誇れるいいところがあるかと言われるとすぐには答えられない。

 


まあ、それはわたしがまだこの地を知らないから、とも言えるだろうが。

 


ここまでかなり辛い言葉ばかりを連ねてきたけれど、別に私は不満があるわけではない。むしろ逆だ。

 


私がずっと不思議なのは、

 


なぜこの場所を気に入っているのだろう。

 


ということだ。

 


思い返すと、今住む土地を初めて訪れた時から多分ここが嫌いじゃなかった。

 


昔からそういうことは肌でわかる質だ。

 


並べ立てたように、この土地は条件的には決して良い場所とは言えない。

 


それなのにどうやらわたしはここが好きみたいだ。少なくとも、故郷と同じくらいには気に入りはじめている。

 


逆に前まで住んでいた土地をわたしは好きではなかったみたいだ。

それが引っ越してみて初めてわかった。

 


あの場所も人もわたしの肌には馴染まなかった。

どうしようもなく。

 


一年半身を置いても愛することが出来ないままあの場を去ってしまった。あの場所で唯一愛したと言えるのは、きっと自分の暮らしたせまいアパートメントの一室だけなのだろう。

 


 あの場所に対して未だに懐かしさも恋しさも抱くことができないのは私が薄情だからなのか。そんなくだらない物思いで頭の片隅を悩ませることがある。

 


そう言う時は決まって、生ぬるい絶望が胸の奥に揺蕩いわたしを憂鬱にした。

 


土地を愛することは人を愛することに似ている。

 


わたしが 好ましい と感じる時

 


大体そこに理由はない。

 

 

 

わたしが 嫌いだ と感じる時

 


大体そこにある理由は後付けだ。

 

 

 

全ては直感が決める。そうやって生きてきた。

 


だからこそ、怖くもある。

 


わたしは愛しすぎてはいけない。

 

 

 

強すぎる「好き」はいろんなものを駄目にしてしまう。事実、駄目にしてきた。

 

 

 

わたしの「気持ち」は強すぎるから。

 


昔から何度も言い聞かされたことだ。

 

 

 

 


だからこそ、今日もそっと愛しんでいたいと思う。

 


その愛が確信に変わらないくらい かすかに。

 


壊れてしまわないように。