KUROMIMIには本が足りない。

KUROMIMIには本が足りない。

活字がないとダメ系ヲタク。小説・音楽・詩・ときどき映画。自作の小説も書いてます。

過去は愛せない。

今回の記事を読むと、こいつやばい隠キャやん…てなるかもしれない。

けれど自己認識としてわたしが隠キャなのかどうかは10年以上考えてきたが判然としない。まじでわからん。

判断は読んだ人に任せたいと思う。

 

わたしには

「あのころはよかった」「あの頃に戻りたい」という人の気持ちが全くわからない。

母も同じらしいのだが、それは彼女が徹底的なリアリストであるからだ。「そんなこと言っても無駄。言ったところで戻れるわけでもないし」というわけ。彼女のこの見解を聞くたびにかっこいいなと思う。

一方わたしは違う。

単に懐かしむほど輝かしい過去を持っていないのだ。だから懐かしむほどの価値ある過去を持つ人が本当に羨ましい。

だって、

小学生の頃から行事ごとが大嫌いでそのたび死にそうになってたし。

 

中学になったら部活の先輩と折り合いが悪すぎて終始苛ついていたし。(おまけにクラスではいじめられていた)

 

高校になって仲のいい友達ができたと思ったら、とんでもないドキュン野郎だったし。(待ち合わせしたら必ずおくれてくる。しかも寝ていて遅れるという連絡を午前10時に待ち合わせておいて、毎度午後1時にしてくるやつだった。まじですごいやばい。今思い出すとやばいやつ過ぎてまじで笑う)てか、勉強がつらすぎる。

 

大学になってようやくできた友達の一人とは疎遠になるし(卒業してからも会い続けられる親友が一人できたのでよしとするが)そもそもせっかく文学部に行ったのに好きになれる人種がほぼいなかった。(ここで自分の選り好みの激しさを再認識)

 

なかなか心を許せる友達は出来ないのに、大嫌いな幼馴染みとの縁はなかなか腐り落ちてくれない。(いいかげんにわたしの拒絶に気がついて遠ざかってほしい。何故こうもうまくいかないのだろう。)

 

そもそも、今までずっと所属してきた場所を好きになれないまま生きてきた。小学校も中学校も高校も大学も。今もそうだ。

きっと自分は現状に文句ばかり垂れているくだらないやつなのだと諦めている。

 

こうして思い返してみると、それぞれの時期にそれぞれの辛さがあり、あの頃に戻りたいなどと絶対に言えないし言いたくない。わたしの生きづらさは幼い頃から何一つ変わっていない。ある種のトラウマとしてどの経験もわたしの心に根深く傷跡を残している。戻っても地獄が延々と繰り返されるだけ。どんな拷問だよオイ。

 

今の職場を愛しているかと言われれば、愛していないのだろう。けれど間違いなく人生で今が最上である。なぜならずっとなりたかった職につけて、仕事が楽しいと思えるから。(仕事と職場を愛せるかどうかはまた別問題。)給料がありえないほど安いが、まあいい。それ込みでこの職を選択した。

 

人生上を思い返すと、ずっと「今が最上」という状態だ。過去のことは覚えているが、懐かしむことなどない。過去を振り返るのは小説を描くときだけで十分だと思っている。

今のわたしにとって、過去はほとんど忌まわしいもので構成されている。

いつかわたしも過去を愛おしむことがあるのかもしれない。

 

そうなったとき、初めてわたしは大人になれるのかもしれない。

まったく。やれやれ。何年かかることやら。