KUROMIMIには本が足りない。

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活字がないとダメ系ヲタク。小説・音楽・詩・ときどき映画。自作の小説も書いてます。

小説・「海のなか」(22)

 

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kuromimi.hatenablog.com

 

 

 

第七章  「追憶」

 


 愛花と出会った時から、きっともう手遅れだった気がする。

 今から思えばあれが、一目惚れというやつだったのかもしれない。もう昔すぎてよくは覚えてない。けれど、いくつかの場面が断片的に焼き付いている。特に、中一のあの瞬間のことだけはやけに鮮明で今でもくっきりと思い出すことができた。愛花を初めて目にした瞬間の印象。

 あいつの笑ったうっすらと赤い口元とか。綺麗な、そのくせ人を値踏みするような目とか。

 ーーーああ。こいつはきっと凄く頭が良くて、そして独りなんだ。

 あの時、気づいてしまった。

 どこかちぐはぐな印象に惹かれて、いつのまにか一緒にいるようになっていた。とは言ってもそれは特別なことじゃなかった。愛花の周りにはいつだって人が群がっていた。それは、男だったり、女だったり色々だったけれど。その誰とも深く付き合う気はないような素振りが気になった。誰とも均一に仲が良い印象。それって結局、親しくしないのと同じじゃないか?それに気がついた時は、ただ思った。ーーーすげえって。俺は自分で言うのもなんだけど、裏表とかない方だと思う。いつも誰にでも同じように振る舞ってる。それが当たり前だと思ってたんだ。あいつを知るまでは。人と自分との間に明確な線を引いて、その上で悟らせないような聡さが愛花にはあった。

 もちろん、他のやつだって使い分けしてると思う。そんなこと分かってる。でも、あいつはそんな生易しいもんじゃなかった。あいつは常に演じている。しかも、演じているとほとんどのやつは気がつかない。それは、自分への冷淡さのようにも見えた。自分の本質は生きていくには邪魔で不要なものだという切り捨て。

 もっと知りたい。

他人にそんなこと思ったのなんか、あいつ以外後にも先にもいない。あれからもう何年も経ってるのにな。

 知り合ってしばらくした頃、愛花がぽろりと零した言葉は今でも耳に残っている。あれは、夏の日だった。もう夕暮れなのに、ムッとするような熱気があたりには立ち込めていた。その日は学校帰りに偶然愛花と会った。そうして、暑いからと言って俺がアイスでも食おうと誘ったんだったか。あいつはあの頃から、たまごアイスばかり食べていた。とは言っても、それは出会って間もない中一の夏だった。だから、あの頃の俺はあいつの好みなんか知りもしなかった。

 入店すると、愛花の友達だか知り合いだかがいて、ひとしきり話して立ち去っていった。それは見慣れた光景のひとつだった。

 立ち去る女子たちの後ろ姿を見送りながら、思わず呟いていた。

 「やっぱすげーな。俺だったら疲れそうだ。妹尾みたいに話続かねーわ。さっきの子たち、友達なんだろ?どこでも友達いるのな」

 「……さあ?あっちはそう思ってるのかもね」

 「え、なんだよそれ」

 「だって、多分数回しか話したことないし。名前も思い出せないし」

 「は?マジ?」

 俺は言いながら、溶けきらぬままのアイスを飲み下した。塊のアイスが身体の中を滑り落ちていくのと一緒に腹の底が冷えてゾクっとした。

 「じゃ、なんであんなに話したんだよ。よく知らないやつに取る態度じゃなかったろ。疲れねぇ?そんなの」

 すると、愛花は深いため息をついて頬杖をつくと在らぬ方を見つめながら投げやりに言った。

 「だって、面倒臭いじゃん」

   「は?」

 「泣かれたら、面倒臭い」

 どうでもいいもののように放り出された言葉は、今でも忘れられない。口にしたあと、愛花は伏せていた目を見開き、真っ直ぐに俺を見た。おそらく、漏らすつもりのない言葉だったのだろう。うっかり気を緩めた自分に驚きながら、どうやって口止めしようかと考えを巡らせているようだった。

 そんな視線を感じながら、俺は心を落ち着けるようにアイスを一口含んでまた、嚥下した。そうして短くその視線に答えた。

 「それはちょっと、わかる」

 まだ口内に甘みを感じながら相手を見つめ返すと、じっとこちらをまだ注意深く観察していた。そうして、ニヤッと笑みを作った。

 「面白い人だったんだ。五十嵐って」

 「そりゃどうも」

 「ねぇ、五十嵐の下の名前ってなんだっけ」

 「覚えてないのかよ」

     「だって男子の下の名前なんか呼ばないし。覚えてる意味、ない」

 あいつは、いいから教えろと挑みかかってくるような強い眼をしていた。

  「……一馬」

  「あっそ」

  聞き出した途端、そう言って興味を失ったようにアイスを食べ始めた。あいつの一挙一動に振り回されることに、俺は少し苛立ち始めていた。それきり特にこれといった話もせず、アイスをただ黙々と食べるだけだった。

 その日、別れる間際に名前を尋ねられた理由はわかった。

 「またな」と言って俺が踵を返した途端、愛花が言った。

 「一馬」

 「っえ?」

 俺はあの時ほど驚いたことはなかったと思う。きっとあの瞬間、緊張と驚きに顔は赤らんでいたんじゃないだろうか。少なくとも、おれの脳みそは煮上がっていた。

   「明日から一馬って呼ぶから」

 「はあ」

 「あたしのことも愛花って呼んでよ」

 そう言い捨てて、返事も待たず愛花はひらりと自転車に跨り去っていった。

 碌でもないが、これがあんな気難しいやつとの腐れ縁の始まりだった。

 

 

海のなか(23)へとつづく。

 

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