KUROMIMIには本が足りない。

KUROMIMIには本が足りない。

活字がないとダメ系ヲタク。小説・音楽・詩・ときどき映画。自作の小説も書いてます。

九州旅行 一日目 昼食。

 

f:id:KUROMIMI:20220811001125j:image
f:id:KUROMIMI:20220811001119j:image

 

 

九州旅行中 一日目のお昼は、大分の

寶屋本店  へ。

もうここのちゃんぽんがありえんほどうまくて今までの人生で培ってきた語彙があらかた吹き飛ぶ威力だった。

とにかくすごかった。

もうあれはちゃんぽん超えてる。
たからやのちゃんぽん、という別の何かだ。別ジャンルの食べ物なんだよあれは!!!!!(唐突に高まる感情)

とにかく一緒に食べた唐揚げ定食も激うまだった。

行くのです。そして食らうのです。さすれば皆々幸せになるのです…。

食い倒れ九州旅行 一日目おやつ編へ続く。

#グルメ #大分#たからや#ちゃんぽん

九州旅行 一日目 美術館編。

f:id:KUROMIMI:20220811000906j:image
f:id:KUROMIMI:20220811000850j:image
f:id:KUROMIMI:20220811000910j:image
f:id:KUROMIMI:20220811000857j:image
f:id:KUROMIMI:20220811000854j:image
f:id:KUROMIMI:20220811000902j:image

 

九州旅行中です。

一日目は湯布院。COMICO ART MUSEUM YUFUINへ。

もーーー最高すぎる。草間彌生(撮影禁止だった残念。)とか村上隆とかの作品がてんこ盛りで楽しすぎた。ちょうど誰もいない時間帯で貸切状態でした。最高すぎる…。

建築物としても隈研吾の作品で、一見の価値ありです。完全予約制なので、お気をつけてお越しください。

この日のコーデは後日まとめて描く予定。

それでは本日のお昼へつづく。

 

クロミミははてなブログにて、「KUROMIMIには本が足りない。」を更新中。昨日、新しいエッセイ「無口の余白にあるもの。」を更新しました。結構いい感じにかけた。よろしければ、ご一読ください。

#九州#湯布院#comico #村上隆#草間彌生

覚悟を決める、が得意技。

f:id:KUROMIMI:20220730122041j:image

最近気がついたのだが、どうやら私は覚悟を決めること、が得意らしい。

私は現在、正規図書館司書である。

特に突出した能力はないし、勉強だってできない。要領も悪ければ、視野も狭い。苦手なことも多すぎて数えきれない。(得意なことは片手で足りる。泣きたくなってきた)

それなのになぜ正規の司書になれたのだろう、と時々思うことがある。幼い頃から司書になりたかった。だから、今見ているのは、都合のいいちょー長い夢で、実は自分は就きたいわけでもない職についてぶうぶう文句を垂れている、という方がしっくり来る。

もしもそんな時が来たら、やっぱりか…。と思いつつ、やれやれ。思ったより自分は司書になりたかったらしいな。本でも読むか。と、深いため息でもつくだろう。

とまあ、こんなことを言い連ねても現在知る限りにおいて、私は正規の司書な訳である。

これは夢じゃない。多分。

じゃあ、なんの取り柄もない私がなぜなれたのだろう。

やっぱり心はいつのまにかこの問いへ戻ってくるのだ。

そこで気づいたことがある。
わたしにはしょうもない得意技が一つあった事に。

それが「覚悟を決める」ことであった。

人生上、何かをしなければならないと分かった時、悩んだりすることがなかったように思う。

するべき事、しなければならない事がたとえやりたくない事だったとしてもなぜか即座に腹が据わる。

そして実行に移そうと全力で努力し始めるのである。
思えば昔から、このような流れで物事に取り組んできたような気がする。

手を抜くことが苦手だ。常にゼロかイチかの単純さで生きているわたしは、曖昧にしたり、いい感じに手を抜いたりが本当に苦手だ。そんなことをするくらいなら、最初からしない方がマシ。(たとえ損をするとしてもだ)

これは間違いなく、生来の気質だと思う。

図書館司書になる際にも、このようなわたしの気質がおそらく役立ったのだろう、と今にして思う。


なぜか。

それは、シンプルに正規の図書館司書の雇用が極端に少ないからである。

当然雇用が存在しない県なんて、毎年珍しくもない。

全国で年間15件出れば御の字だ。

ただでさえ少ない雇用である。受けられる試験は全て受験するくらいの気概がなければ一生正規の司書になどなれはしない。

必要とあれば、本州から出ようが試験は受けに行くべきである。それくらい受験機会は重要である。司書の専門試験を受ける際に最も困るのは、事前に解けるテスト問題の少なさだからだ。司書の試験ではほとんど過去問というものが公開されない。(専門試験のみ)その意味で、受験は落ちたとしても受ける意味は大きい。面接なんて、こなせばこなすだけ上手くなるのだから受けない方が勿体無いのである。

 だからこそ、今住んでいる県どころか市から出たくない。などとほざいていては絶対無理。司書の雇用の少なさでは10年経とうがその市に一件も雇用がない可能性は十二分にある。(実際わたしは十年間雇用がなかった市を複数知っている。そういう県すらあるだろう。)そうして、来るべき「その時」を待っている間に我々は年を重ねて受験資格を失ってしまう。

だからこそどれだけ試験に落ちようが、歯を食いしばって耐え、何度も食らいつく執念が必要だとしみじみ思う。臨むものは飽くまで追い求める貪欲さが必須なのだ。

多分、他の人よりわたしが優っている部分があったとすれば、それはおそらくこういう必死さだけなのだろう。


まあ、最近はそういうわたしの性質を見抜かれて、上司に言いように使われている気がしないでもないが。
「こいつ、頼んだらすぐ覚悟決めてやるわwwwじゃあこれもこれもこれもいけるやろwwww」みたいな。

みなさまの特技はなんだろうか。

エッセイ・「無口の余白にあるもの」

f:id:KUROMIMI:20220722191342j:image

 

  わたしはかつて、無口な子供だった。
 友人に話しかけられてもうまく答えられず、口を閉ざした。周囲の言葉は理解し難く、隔たっていた。まるで私以外が宇宙人であるかのように。まあ、他の人にとってはそんな私こそが宇宙人的であったかもしれない。
 ところがある時から、わたしの口からはいくらでも言葉が出て行くようになった。考えているわけではない。気がつくと口が勝手にしゃべっている。(おしゃべりな人には共感してもらえるだろうか。)いまや、多弁であることがわたしの特徴である。
 だからこそ思う。あの頃のわたしはなぜあんなにも語ることを避けていたのか、と。一体、どちらがわたしの本質なのだろう。仮にどちらも本質というのであれば、いつからわたしは変質したのだろう。あの頃のわたしはいまだわたしの中に存在しているのだろうか。
 とはいえ、やはり自分のことなので話せるようになった原因に心当たりはあるのだ。
 おそらくわたしはある時から諦めた。自分の感覚や欲求を正確に言葉へと変換することを。心のありようや感じ方を言葉として放出することは、大きなパズルのピースを探し出すのに似ている。当然、会話からは置いてけぼりを食う。そんなことをしていては、最初の一語にたどり着く事すらままならない。「普通」になりたいなら、諦めるしかなかった。そして同時に悟ったのだ。周りの誰も「本音」など求めていないということに。多分会話というのは、心地良いリズムで型を一緒に演じることに似ている。そしてそこに本音は必要ない。必要なのはキャラクターに合わせた演技のみである。
 だからこそ、わたしはおしゃべりになった。多弁であることは仮面を常に被り続けることと同義だから。話し続けるもののその奥にある真実などそうそう覗き込むものはいない。攻撃は最大の防御、というやつである。
 ところで、幼い私が無口だったのにはもう一つ理由がある。理由と言ってもシンプルだ。
「わたしの中に語るべきものがなかった」ただ、それだけ。考えれば考えるほど、この一点に問題は集約する。幼い頃のわたしには本当に語るべきことを持たなかった。あの頃のわたしは世界に興味がなく、また自分自身にも興味がなかった。幼い時分には、楽しいことも辛いこともあった筈だ。悲しいこともあったと思う。だが、それらを私は覚えていない。あらゆる出来事は私の中をただ通り過ぎていった。観測者を持たない出来事は記憶されない。なかったことと同じになってしまう。大人になった私に残されたのは、「あの頃私は孤独だったような気がする」という薄ぼんやりとした実感だけだった。そこに付随する感情はない。寂しいとも悲しいとも嬉しいとも気楽だとも思っていなかった。
 こうした幼少期のありようを思い返してみると、なかなか面白いなと思う。できることならもう一度体験して小説にしてみたいくらいだ。しかし、それはきっと無理なのだ。常々「昔から変わらないね」と言われるわたしでも、決定的に変質してしまった部分はやはりあるらしい。
 わたしは年を経るにつれ変質し、自分の本音に言及することのない凡庸な大人の一人となった。それなら、吐きだされない本音はどこに行ってしまったのだろう。心に溜まった澱は今もどこかに眠っているのだろうか。わたしはその逃げ場こそが、小説を描くことなのだと思う。小学生の頃から小説は描いているが、年を重ねるごとに小説を描くという行為の面白さが増している。それは昔よりもっと心の底に踏み込んで描くことができるようになったからだろう。(うまく描けているかはこの際、傍に置く)このような面白さを味わうことができるのは、小説の世界と現世とがわたしの中できちんと分離しているからだ。日頃踏み込めない境地へ辿り着けるのが小説を描くことの醍醐味だ。今ここで描いていることもいつかは昇華され、小説になる。その道程を見送ることが今は何よりも楽しい。
 過去の出来事をあまり覚えていられない私にとって、小説を描くことが過去を記憶する術であるのかもしれない。人生上、私の中にずっと残る唯一のものは、本に関することと物語だけだから。
 わたしはこれからも小説を描くだろう。それは誰のためでもない。自分を救うため、わたしは筆を執るのだ。

エッセイ・『明星』

 

f:id:KUROMIMI:20220619150343j:image

 

 その日はひどく疲れていて、かなり早く床に着いたのを覚えている。

 ところが、なかなか寝付けない。家族の生活音を遠く聞きながら、何度目かの寝返りを打った時、こんな会話が始まった。

 「大変ご迷惑をお掛けいたしました」

 「いえ…早くご対応いただいてありがとうございます」

 業者の謝罪に私は応えた。

 一人暮らし先に業者を呼んで壊れたドアストッパーの、修理を依頼したのだ。そして作業はどうやら完了し、これから業者は帰ってゆくらしい。代金は補償があるためかからない、とのことだった。

 帰ってゆく姿を見届けようとした矢先、業者の男性はこう告げた。

 「お客さま、当方の従業員より少々お話がございますがよろしいでしょうか」

 「はい。どういったことでしょうか」

 すると、見知らぬおかっぱの男性が進み出てきていきなりこう言った。

 「あの…うるさいのはどうにかなりませんか」

 「は?」

 聞き返すと、おかっぱ男は怒りを露わにしてさらに言い連ねた。

 「だからっ…ドタバタしたり、大きな声を出したりをやめてほしいんです」

 彼の声は大きく、ほとんど恫喝に近かった。思わず気圧されてしまった。だが、何が何やらさっぱりわからない。救いを求めておかっぱの上司らしき男性に視線を送ると

「お客さま、彼はお客さまの隣の部屋に住まわせていただいておりまして…」

 なるほど。と腑に落ちつつ、一番に思ったのは「痩せなければ」と言うことだった。私の部屋は一階にある。なのに隣まで足音が響くとは尋常ではない。間違いなくこの一月ほどの体重増加のためだろう。早急に痩せねばならぬ。

 「はあ。すいません、気をつけますね」

 そんなことを考えながらだったので、返事はやや間が抜けたものになった。それがおかっぱの気に障ったのかもしれない。

 「本当に気を付けてくれるんでしょうね?!」

 「はあ…」

 「あなたは僕がどんな思いでこちらに引っ越してきたかわかっているのか」

 と言い始めた。その後も色々と話していたが細かくは覚えていない。面倒臭くなったからだ。要約すると男性には精神的な障害があり、ツテを頼ってこちらになんとか職を探してきたというような話だったような。

 それに、この時点で私はあることに気がつき始め、おかっぱの話どころではなかった。それは、これは夢なのではないかということだった。私の住処は相当な田舎にあり、こんな振る舞いをすれば身の置き場を失いかねない。村八分である。そう考えると、おかっぱの振る舞いはいささか非現実的だった。というか、夢であってほしい。なんか苛々するし、もう面倒臭い。

 夢だといいな〜と思いつつ、気がつくと、私は早口で捲し立てていた。

 「あなたの事情はわかりました。けど、それって私に関係あります?ありませんよね。同情してほしいってことですか?私は今、改善しますと申し上げましたが今それ以上のことをできるとは思えません。」

 とか、云々カンヌン。とにかく相手をものすごい勢いで罵倒していた。あーやっちまったぜ。と思っていると、なにやら音が聞こえた。蛙の声である。ゲッゲッゲッゲッと切間なく鳴いている。ひどく馴染みのある音。

 するとようやく闇の中で目が開いた。やはり、あれは夢だったようだ。あれだけリアルな夢なのに、目覚めた途端おかっぱの顔も思い出せなくなっていた。家人は寝静まったのか、蛙以外の音は無かった。

 時折こうした悪夢を見る。私の夢はいつもつまらない。現実的で起きている間に起こるようなことばかりだ。しかも大体辛いことだったりする。これはわたしにとってなかなかのコンプレックスだった。夢なんだから空くらい飛びたい。(崖から落ちたことはある。所謂自由落下というやつだ)なのに、そんなささやかな望みは一度として叶ったことがない。少なくとも、わたしは覚えていない。

 またしょうもない悪夢を見たことが悔しいからか、そこからしばらく寝付くことができなかった。1時間もすると諦めの気持ちが出てきて、仕方なく、身を起こすことにした。真っ暗なリビングに向かうとすでに空は白み始めている。だが室内は依然、夜の闇に満たされていた。眼鏡をかけない朧な視界では明るい時でさえ、像を正確に捉えることはできない。暗闇ならなおさらだった。だが、わたしは何事もなくリビングの中央へ歩いていった。勝手知ったる我が家である。見えなくてもどうということはない。どこに何があるかは把握している。こういう時は、自分がプチ超人になったようで気分が良い。昔から、夜は気分が高揚してしまう。

 すると、何者かの足音がした。猫である。猫のピンと立った鍵しっぽが月光で白光りする床に浮かんだ。

 「チャビ」

 名前を呼ぶと彼女はものも言わずしゅるんと足元に纏わり付き、体を横たえた。撫でろということらしい。応じないわけにはいかなかった。触らせてもらえる機会は貴重だ。飼い猫なのに。野良じゃないのに。

 ひとしきり腹を撫でてやると気持ちよさそうに喉を鳴らして体を伸ばしていた。だが、そんな気分は唐突に終わりを迎えた。素早く立ち上がるとチャビは縁側へ向かった。彼女は窓の外を眺めるのが大好きなのだ。1日のほとんどをその窓辺で過ごしている。その後ろに追従するが、横並びに座ることはない。邪魔にされてしまうからだ。

 仕方なしに、真後ろに陣取ると毛並みをサラサラと撫ではじめた。キジトラ猫は撫でることを許したのか、それとも景色の方が興味深いのか。ーーーおそらく両方だろう。彼女の関心は外界へと惜しみなく向けられていた。窓の外は闇色が薄くなり朝の気配を纏っていた。猫の輪郭がぼんやりと月光に浮かびあがるのを眺めつつ、いつだったか本で読んだ記述を思い出していた。猫は闇の中でも人間の3倍見えているらしい、というものだ。逆に視力は良くない、とも聞く。

 チャビにはどのように世界が見えているのだろう。私がごちゃごちゃ考えている間も彼女はひたむきに外を眺め、音に耳を傾けていた。その真っ直ぐな眼差しがやはり恋しい。わたしもそんな生き物になりたいと思わずにはいられない。

 大人になってしまった今では秘密のことだが、人生上で幾度となく「来世は猫になる」と口走ってきた。大人になってからもその思いは変わらない。ーーーーこの世はわたしには、複雑すぎる。

 猫は一度もわたしを振り返らない。手の動きに合わせてわずかに頭を上下させるだけだ。諦めて、毛並みから手を離した。このままだと心地よさに任せて、際限なく撫でてしまいそうだった。自室のベッドに横たわると、既に悪夢の余韻は消え去っていた。瞼を閉じる。今度こそ眠れそうな気がした。

 不意にパタリ、と音がした。それは猫の耳が起き上がる音だった。黒い猫の影が蘇る。本当はあの後ろ姿を、いつまでも眺めていたかった。きっと猫は今も窓辺で耳を澄まし、朝を待っているのだろう。そして私は、その光景を夢の中で再現するのだ。その遠い後ろ姿がいつまでも色褪せぬように。

 

 

 

 

 

 

 


おわり。

小説・「海のなか」まとめ6

 

f:id:KUROMIMI:20220602204951j:image

 

前回のまとめはこちら。

 

 

kuromimi.hatenablog.com

 

どうも。

暑い夏がこの世で一番忌々しいです。クロミミです。

 


今回は連載小説のまとめ記事を投下します。

 


久々のまとめ記事、今回は連載小説・「海のなか」の(27)から(32)のあらすじをざっくりまとめます。また、併せて新しい登場人物の紹介なども行っていきます。

 


更新がスローペースすぎて記憶が失われた際には、こちらをご一読下さい。過去のまとめ投稿は、noteでは「海のなか」まとめマガジンにて確認できます。

なお、はてブをご利用の方はページ上部の「海のなか まとめ」タブから飛んでください。

 

 

 

 

 

 

 


それではどうぞ。

 


海のなか(27)

 


 第八章の始まり。夕凪の夢の中。彼女は夢の中でも海中にいる。しかし、その夢の内容を夕凪は目覚めと共に忘れてしまうのだった。

 夕凪が目覚めると、そこもまた海底だった。例のごとく傍にいる青に夢を見たことを告白すると、青は夕凪に「あること」を促す。

 

 

 

海のなか(28)

 


夕凪の夢日記の内容。

日を追うごとに、その描写は緻密になっていくようだ。

 


海のなか(29)

 


夕凪はある日の夕暮れ、カフェ「マキノ」にて最近見る夢について思い巡らしていた。するとそこに沙也が来店し…?

 


海のなか(30)

 


家路を急ぐ夕凪。彼女はとうとう「あること」を思い出した。それを確かなものとするため、駆け込んだその先には…?

 

 

 

海のなか(31)

 


ついに、父によって過去が語られる。それは夕凪の夢の内容と符合していた。

 

 

 

海のなか(32)

 


夕凪は再び夢を見る。その夢によって彼女はある事実を思い知らされるのだった。

第八章終了。

第九章へと続く。

 

 

 

 


最序盤からばら撒きまくっていた謎を解きつつある今回。最後まで上手く謎解きできるかわたしもドキドキしっぱなしです。今のところはなんとか(多分)できてるはず。

 


いまは構成を練るので精一杯なとこがあるので、文章が拙くなりがちですが、どうかお付き合いください。

 


さて、最新更新分まででかなり新しい登場人物が出てきたのでご紹介させていただきます。

 

 

 

(登場人物紹介)

 


小瀬 眞琴(おぜ まこと)

 


主人公、小瀬夕凪の母。旧姓、高浪(たかなみ)眞琴。本作の悪の元凶。奔放な性格で周囲を巻き込み振り回すトラブルメーカー。己の優先順位を明確に持っており、また、優先順位を絶対に曲げることがない。だが、精神的には不安定になりやすく、いつでも自分を肯定して欲しいと願っている。碌でもない女だが、なぜか昔から男性を惹きつける魅力を持っている。(ある意味では暴力的なほど魅力的)だが、本人は選り好みが激しく、そのため交友関係が広いとは言えない。結婚後は、夫・佑作(ゆうさく)にかなり依存している。なお、上記のような性格が災いして幼い夕凪をネグレクトしていた過去を持つ。実家に戻って以降も夕凪からは拒絶されているが、全く意に介していない。彼女にとって愛とは与えるものであって、与えられるものではないようだ。

 祐作が単身赴任に出てからは再び精神的に不安定になっている様子。常に何かに依存して生きるタイプで、今は娘の夕凪に依存している。

 

 

 

 


小瀬 祐作(おぜ ゆうさく)

 


主人公・小瀬夕凪の父。一見して物静かで良識ある常識人。音楽鑑賞が趣味。守備範囲は意外にもゴリゴリのオルタナティブロック。妻・眞琴よりも7つ年上。

高浪眞琴一番の被害者。2年前から、仕事の都合で遠方へ単身赴任しているが、2週に一度帰省している。かなりの事故物件である眞琴と10年以上も連れそう超人。現在、妻のことは女として愛しているわけではないが、家族として庇護しなければと思っている模様。(恋愛脳と眞琴は相性が悪すぎるので、このくらいの方がよかったようだ)そして何よりも、妻から夕凪を守らなければならないと言う意識が強い。かつて、妻のネグレクトを止められなかった、夕凪の状態に気がつくのが遅れたと言う点において、ずっと罪の意識背負っている。彼の献身的な行為は、贖罪でもある。夕凪が幼い頃、親元を離れて母方の祖母・幸子(こうこ)のもとで暮らせるよう取り計らったのも彼である。

 

 

 

 


高浪 幸子(たかなみ こうこ)

 


主人公・小瀬夕凪の祖母。小瀬眞琴の実母。

享年72歳。死因不明。12年前当時5歳の夕凪と共に行方不明になり、現在に至るまで消息不明。

 眞琴の実父とは真琴が幼い頃に離婚し、それ以来、女手一つで娘を育て上げた。

 眞琴の夫・祐作より、3歳になった夕凪を託される。なお、眞琴とは結婚の折に仲違いし、ほぼ絶縁状態だった。

 普段から厳しい表情が多く、本人も若い時分はなかなか苛烈な性格だった様子。しかし、夕凪に対しては別人と思えるほど優しく接していた。(このような夕凪に対する態度と眞琴に対する態度との差が余計に高浪親子の溝を深めたのは、言うまでもない)娘である眞琴は厳しく躾けられたようだが、残念ながら今ひとつ実を結ばなかった模様。幸子曰く、「真琴の中身は、別れた元夫に嫌になる程似ている」とのこと。

 夕凪がネグレクトを受けていることを知り、夕凪の引き取りを申し出る。生前は、夕凪がネグレクトされていることについて、自身の眞琴に対する教育のせいではないかと罪悪感をいだいていた。

 孫を積極的に引き取ったのも、以上のような経緯があったからだと思われる。実は熊本出身。時折訛りが混じることがあった。

 

 

 

これからまた登場人物が増えていく予定です。

特に、今回ご紹介した三人は物語の根幹に関わる人々なので覚えてやっていただけたらうれしいです。

 


それでは、また。

 

 

kuromimi.hatenablog.com

kuromimi.hatenablog.com

kuromimi.hatenablog.com

kuromimi.hatenablog.com

kuromimi.hatenablog.com

 

小説・「海のなか」(32)

 

f:id:KUROMIMI:20220602204143j:image

 

 

前話はこちら。

 

kuromimi.hatenablog.com

 


***

 


 何度も繰り返し、叫んでいる。

「ーーーー!」

 誰かを追いかけていた。

 遠くに長い髪が靡いているのが見えた。わたしと同じ、色素の薄い髪が日の光に透けた。

ああ。あの後ろ姿を何度も見送ったことがある。

「ーーーまって!」

 飽くほど口にしたはずの言葉を、また吐き出した。

 その人が決して立ち止まらないのを、よく知っていた。馬鹿みたいだ。こんなこと、意味がないのに。そんなふうに嘲笑してみても、喉からは追い縋るような嗚咽が溢れ続けている。そうしてようやく、自分が泣いているのだと気がついた。だからこんなにも景色が歪むのか。潤んだ視界はもう、後ろ姿を捉えることができない。

 不意にほおに手を当ててみた。

 ーーーー濡れていない。

 そうわかった瞬間、絶望が心を覆った。そうか、また泣けなかったのだ。いや。泣けるわけがない。泣いたら全てが変わってしまう。

 すると、

 


『ここは、海のなかだからね』

『海のなかで、泣くことはできない』

 


 ひどく馴染みのある声が、不気味な結論を運んできた。その凍るような吐息を、わたしは確かに知っていた。

「まって…おかあさん」

 そう言ったのが、夢だったのか現実だったのか。目覚めた今ではわからない。きっとわからない方がいいのだ。ああ。厭になる。こんな夢ばかりはっきりと覚えているなんて。

 


(第八章おわり。第九章へと続く)

 

 

次話はこちら。

 

 

kuromimi.hatenablog.com