KUROMIMIには本が足りない。

KUROMIMIには本が足りない。

活字がないとダメ系ヲタク。小説・音楽・詩・ときどき映画。自作の小説も書いてます。

家族を好きと言えるか。

以前友人と話していて、こんな話題になったことがある。

「家族って好き?」

この問いに対して友人は好きだときっぱり答えた。その迷いのなさが羨ましい。わたしはこうなりたかったのかも。とその答えを聞いた瞬間思ったものだ。

とはいえ誤解しないで欲しいのはわたしが決して家族を嫌いと言うわけではない、ということだ。

「家族って好き?」という問いは同時に

「家族って嫌い?」という問いでもある。

わたしが言いたいのはつまり、家族に対する感情は好き嫌いで表せるのかということなのだ。

 

わたしの父と母は決して悪人ではないと思う。

好き勝手に振る舞うわたしをずっと育ててくれた。接する中で愛情を感じたこともある。

「家族を愛しているか」と聞かれれば

多分「はい」と答えられるだろう。

 

しかし、好きだと思ったことは一度もない。多分近すぎるのだ。確かに父と母とは他人だが、そのいいところも悪いところもわたしは知り過ぎている。

 二人ともに吐き気がするほど嫌いな部分があることも、十分すぎるほど知っているのだ。そうして、そういう部分に限ってわたしによく似ている。そう。これは同族嫌悪。

 だからといって、嫌いだなどといえない。好き、とも言い難い。こういう言葉を使うとき、人は対象を多少なりとも理想化する必要があると思うからだ。

「この人はこういう素晴らしい人なんだ」

という認識。もしくは逆に

「こいつはこんな嫌なやつなんだ」

とバッサリ切り捨ててしまうような認識でもいい。嫌いが成り立たなければ好きもまた成り立たない。

 そもそもわたしは誰かを理想化することが苦手だ。そういう回路に欠けると言ってもいい。わたしのようなやつを鼻持ちならないやつ、傲岸不遜というのだろうか。ちがうか?わからない。

白黒ハッキリしたのが好きだ。

好き嫌いで分けられる世界にわたしはもともといたはずだ。それなのに。いつのまに物事は二つに分けられなくなってしまったのだろうと時々悲しくなる瞬間がある。

けれど、その灰色の部分に人生の奥行きがあるのかもしれない。

 

皆さんは、家族を好きだと言えるだろうか?

 

 

 

過去は愛せない。

今回の記事を読むと、こいつやばい隠キャやん…てなるかもしれない。

けれど自己認識としてわたしが隠キャなのかどうかは10年以上考えてきたが判然としない。まじでわからん。

判断は読んだ人に任せたいと思う。

 

わたしには

「あのころはよかった」「あの頃に戻りたい」という人の気持ちが全くわからない。

母も同じらしいのだが、それは彼女が徹底的なリアリストであるからだ。「そんなこと言っても無駄。言ったところで戻れるわけでもないし」というわけ。彼女のこの見解を聞くたびにかっこいいなと思う。

一方わたしは違う。

単に懐かしむほど輝かしい過去を持っていないのだ。だから懐かしむほどの価値ある過去を持つ人が本当に羨ましい。

だって、

小学生の頃から行事ごとが大嫌いでそのたび死にそうになってたし。

 

中学になったら部活の先輩と折り合いが悪すぎて終始苛ついていたし。(おまけにクラスではいじめられていた)

 

高校になって仲のいい友達ができたと思ったら、とんでもないドキュン野郎だったし。(待ち合わせしたら必ずおくれてくる。しかも寝ていて遅れるという連絡を午前10時に待ち合わせておいて、毎度午後1時にしてくるやつだった。まじですごいやばい。今思い出すとやばいやつ過ぎてまじで笑う)てか、勉強がつらすぎる。

 

大学になってようやくできた友達の一人とは疎遠になるし(卒業してからも会い続けられる親友が一人できたのでよしとするが)そもそもせっかく文学部に行ったのに好きになれる人種がほぼいなかった。(ここで自分の選り好みの激しさを再認識)

 

なかなか心を許せる友達は出来ないのに、大嫌いな幼馴染みとの縁はなかなか腐り落ちてくれない。(いいかげんにわたしの拒絶に気がついて遠ざかってほしい。何故こうもうまくいかないのだろう。)

 

そもそも、今までずっと所属してきた場所を好きになれないまま生きてきた。小学校も中学校も高校も大学も。今もそうだ。

きっと自分は現状に文句ばかり垂れているくだらないやつなのだと諦めている。

 

こうして思い返してみると、それぞれの時期にそれぞれの辛さがあり、あの頃に戻りたいなどと絶対に言えないし言いたくない。わたしの生きづらさは幼い頃から何一つ変わっていない。ある種のトラウマとしてどの経験もわたしの心に根深く傷跡を残している。戻っても地獄が延々と繰り返されるだけ。どんな拷問だよオイ。

 

今の職場を愛しているかと言われれば、愛していないのだろう。けれど間違いなく人生で今が最上である。なぜならずっとなりたかった職につけて、仕事が楽しいと思えるから。(仕事と職場を愛せるかどうかはまた別問題。)給料がありえないほど安いが、まあいい。それ込みでこの職を選択した。

 

人生上を思い返すと、ずっと「今が最上」という状態だ。過去のことは覚えているが、懐かしむことなどない。過去を振り返るのは小説を描くときだけで十分だと思っている。

今のわたしにとって、過去はほとんど忌まわしいもので構成されている。

いつかわたしも過去を愛おしむことがあるのかもしれない。

 

そうなったとき、初めてわたしは大人になれるのかもしれない。

まったく。やれやれ。何年かかることやら。

ノンフィクションはフィクション。

あれは今から一年ほど前のこと。

私はまだ大学4年でした。今回はその頃に研究室で卒論をいじりながら教授と話していたフィクションとノンフィクションの話についてちょっと話したいと思います。

 

先に私の結論を言っておくと、ノンフィクションはフィクションの一部であると私は考えています。

では、なぜノンフィクションはなぜフィクションになってしまうのか。

 

それは、人によって物事の捉え方というのは千差万別であるからです。

例えばいじめを例にとってみましょう。

「男子aは男子bにヘッドロックをかけられた」

これが事実。

男子aはこの事実について「男子bにいじめられた」と認識ています。しかし一方で男子bはというと、「男子aとプロレスをして遊んだ」と認識しています。

 

このように、事実は観測者によってその認識に必ず違いが生まれる。事実は観測者が生まれた瞬間に観測者によって加工され、歪められてしまう、と言ってもいいでしょう。

 なので、この観点で言うのであれば、本当にノンフィクションと言えるのは実際に起きた観測者を持たない事象そのものだけ。

誰かがその事象を見た瞬間に、それはもうフィクションになってしまうのです。

 

 そんな話を教授としていて、とても興味深かったのを一年たった今でも覚えています。

 わたしはノンフィクションを読むことが好きですが、それはどんな事実が起きたかと言うより、どのように書き手は事実を加工しているのか、を楽しんでいたのだと思いました。

 

皆さんはフィクションとノンフィクションについてどう思いますか?

 

すべて架空の物語を創作するときのポイント。

どうも。クロミミです。

先日からものすごくニッチな記事ばかり書いてすみません。なんとなく今のタイミングで小説に関する色々なことを自分への戒めに言語化しときたいと思う次第です。

 

さて。今回は架空の人物や場所を用いて物語を描く場合の個人的なポイントについて語らせていただきたいと思います。

 

今回のポイントはとっても単純!

なんと言っても人物造形!

1にキャラ2にキャラ34もキャラで5もキャラ!!

 

と言うくらいとにかく人物造形を重視して描くべきだと考えています。なぜなら、人物のリアリティーが作品のリアリティーとニアリーイコールだからです。わたしは小説を描き始めるとき、一番キャラを練るのに時間をかけます。

 

わたしも高校生くらいの頃は、「いやいや。人物よりプロットやろ。わたし描くの文学寄りやからええわ」とか思ってましたええ。

↑ふざけんな、結構最近じゃねーか。

いやーーーまじぶん殴りたいその横面。

冷静に考えてできるわけないじゃんね。だってそいつがどう言う人間かそいつよりわかってないとそいつがどういうときどういう感情になってどんな動きをするかなんて考えられるわけないやんね。

キャラとプロットは別々ではない。

キャラにプロットがついてくるのだ。

よく作家がキャラが勝手に動き出した。てなことを言ってますが、それってきっとこういうこと。書き手が動かしたくなるようなキャラは魅力あるキャラなのです。

 

そもそもキャラを組まなきゃプロットが組めない。

はやみねかおるというわたしがかつて大ファンだった児童文学作家は一人分のキャラ構成だけでノート一冊を費やしたんだそう。(夢水清志郎シリーズの後書きで確か言ってた)

とにかく、人物造形を怠るとリアリティが損なわれて作品がふわふわしちゃう。気持ち悪いものが出来上がります。

 

とは言え、キャラ以前に決めておくことがある。

それは「この作品のテーマ」!

これを決めておかなければ、作品のトーンが決まらないのでキャラが練りにくい。

わたしはテーマを決めてから、大体キャラに役割を割り振る。

 

手順的にはこう。

最初の構想が思い浮かぶ(小説の一場面など)

序盤だけ構想を固めつつテーマを探る。

潜在的な物語のテーマを捉える。

キャラを練る。ひたすら練る。

全体のプロットを練っていく。

 

で。どの程度まで練るかというと、

キャラのプロフィール、容姿、家族構成、コンプレックス、趣味、他の人物との関係性、自己評価、何を一番嫌悪するか、過去の経験、場合によっては家系図まで。一番強調したい特徴的性格などなど。

とにかくそのキャラについて最低五分は語れるくらいがいいかも。好き嫌いについても、なぜ好きか、なぜ嫌いかまで突っ込んでいけると心理描写はしやすい。

私なんかはキャラ練るのド下手なのでリアリティを持たせるためにキャラ一人一人に自分に似たところなんかを作っておきます。そうすると心理描写しやすいんだよな。なんか情けな。

 

ここまでひたすらキャラを練るのだ!!と言い続けてきましたが、これも例外があります。それはキャラが語り部である場合。フィッツジェラルドの「グレート・ギャッツビー」のニックなんて代表的な語り部

人物が語り部である場合、あまりキャラは濃すぎないほうがいい。なぜならナレーターのキャラが濃いと、語られる中身である登場人物たちのキャラがたたなくなるから。ここだけ注意してください。

 

とにかく人物造形!

人物造形8のプロット2くらいのつもりでいつも作っています。

 

あーーーキャラ練るのがんばろ。

↑結構最近までサボってたツケで結構しんどい。

がんばろ。ちょうがんばろ。

 

それでは今回もありがとうございました。

 

他にも創作語りしてます。

 

 

kuromimi.hatenablog.com

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事実をもとに創作する時の注意点とは。

 

どうも。クロミミです。

先日はマニアックな創作語りにお付き合いいただき誠にありがとうございました。

 

 

kuromimi.hatenablog.com

 

 

実は、コメントを前回の投稿で珍しくいただいたのですが、そのとき話題になった「小説の書き方」のうちの一つについて今回は語りたいと思います。

 

よろしければお付き合いください。

 

小説をわたしが書く場合、だいたい三つのパターンで書きます。

①事実としてあったことを下敷きにして書く。

②実際にある場所を舞台に想像を膨らませて描く。

③場所も何もかも架空のものを用いて書く。

この三つ。

今回語りたいのは①の「事実を下敷き」の書方について。わたしが今まで投稿してきた中で言うと、「異域にて。」「或る夢」がこれに当てはまるのではないかと思います。

 

 

kuromimi.hatenablog.com

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 この書き方の良い点は心理描写や空気感がつかみやすく、プロット(大まかな筋)や描写を組み立てやすくなることです。前回の記事でも言いましたが、描写では筆者と登場人物の距離を出来る限り零距離にすることが良い描写をするために必要な手続きです。

事実をもとにすることで、状況が描きやすく筆者は小説世界に入り込みやすくなり、結果として深い描写が可能になるのです。

 

 しかし、これは利点であると同時に欠点でもあります。その欠点とは、小説と筆者との距離が近すぎること。

先ほどと矛盾することを言うようなのですが、創作ではしっかりと想像するため限りなく近づく必要がある一方で、しっかりと創作物から距離をとり、見定める冷静さが大変重要になります。

この冷静な距離をそこなえば、必要以上に陶酔的で見苦しいものが出来上がってしまうことは必至。自分の作品に溺れた状態では、決して優れたものは作り出せません。

(酔っ払いがすごいドヤ顔で全然知らない彼氏の自慢話をしながら絡んでくる感じ、と言えばわかるかな?うんざりしませんか。そう言う状況って)

そして、事実をベースにして小説を書くとその距離の近さゆえに筆者は自らが作り出した物語に入り込みすぎてしまう。

 

作品を描くにはもちろん熱量が必要。

 

しかし、作品に込めるものはしっかりと冷まして内に秘めてこそ上手く伝わるものなのです。メッセージ性と言う口当たりの良い言葉に惑わされてはいけない。

 

今まで長短編合わせて数十作品を一応完結まで描いてきましたが、未だに上手く距離が取れない。

 

けれどそれでも理想の一手を味わうために、これからもめげず小説を描き続けていきたいと思います。(描けたらきっと最高に気持ちいいんじゃないだろうか。)だって楽しいから。

 

それでは、今回もマニアックな語りにお付き合い頂きありがとうございました。

 

俺小説書くよ!俺小説描きたいよ!って人はぜひコメントしてくださいね。お話ししたいなって思います。

小説の描写が脚本みたいになってしまう原因。

小説を一度でも書いたことのある人ならわかるかと思うのですが、小説を書いてるとなんだか脚本みたいになってしまう、ということがありませんか?

今回は小説の描写が脚本っぽくなってしまう理由とわたしがどのようにして描写を作っているのかを書いてみたいと思います。

 

よろしければ、お付き合いください。

 

小説が脚本みたいになってしまう理由はずばり、

①物語の進行を焦っている。

②考えた話の筋だけを描写しようとしている。

③登場人物の練り方が甘く、そのために描写がしづらい。

の主に三つ。

偉そうに話し始めましたが、わたしは②と③に陥りがち。

当然ですが、脚本と小説は別物です。

脚本は役者に指示を与えるものである以上、わかりやすく、かつ簡潔に演技内容が描かれています。基礎となる骨組み。それが脚本です。そしてそこに演技という肉付けを施すのが役者の役割なのではないでしょうか。

 

「骨組み」と「肉付け」この二つを小説では描写が一手に引き受けることになります。

 

個人的にはエンタメをはなればなるほど骨格よりも肉付けの作業が重要になっていくと考えます。なぜなら、描くものがより深い深層心理にせまるものになっていくからです。それこそが文学の真髄であり、楽しみです。

逆にエンターテインメントは話の展開を予測したり、キャラクターの魅力に惹かれて読むものです。話の筋とキャラが骨子。

わたしは読み手としてどちらも大好きですが、今までも、そしてこれからもきっと文学傾向の強いものを書くことになるのでしょう。その理由はなぜわたしが文学を描いているのかとわたしの生き方に深く関係してくるのでまた別の機会に語りたいと思います。

 

では、わたしが小説描写の脚本化を避けるためにしていることとは何か。

 

それは何よりも第一に場面を絵にかけるほどリアルに想像するとことです。そうすることで、そこにいる人物が何を感じているのかわかるようになります。

 たまに本当に調子の良い時ですが、悲しいシーンを書いていて涙を流してしまったり、寒くないのに外で風に吹かれるシーンを書いていて体が震えてしまったりすることもあります。そういう時は完璧に物語の中に入り込んでいるので、スルスル良い文章が書けたりするものです。

 

とにかくそれくらいリアルに想像する。登場人物との距離を出来る限り零距離にする。筆者=登場人物の心理状態に自分を持っていく。

だからこそ、③のようにキャラクターの練り方が甘いと物語世界にうまく入り込むことができず、結果描写も甘くなるのです。

 例えば物語進行上、主人公の肉親が死んだとします。キャラクターが練れていないと、どう心情描写をすれば良いのか分からなくなってしまいます。その人物がその場面で悲しむのか悔やむのかもしかしたら喜ぶのか、どれもできないのか、あるいは何も感じないのか。親との関係性はどうだったのか。またその感情に原因はあるのかないのか。あるなしを本人は把握できるのか、今の自分の状態を俯瞰する性格なのか、それとも感情に溺れる素直さがあるのか。

せめてこの程度のことは考えておかなければ、わたしは描写できません。

しかし、人物以外を固めすぎるのも考えものです。なぜなら文が死んでしまうから。わたしはこれで失敗したことが何度かあります。

文章とは生き物です。どうなるか書き手にもわからない部分があります。書き手が予測不可能な部分を楽しみながら書かなければ良い文章は生まれません。

 

なのでわたしは

・この場面で張り巡らせておく伏線

・この場面で最低限描写しなくてはならないこと。

・全体の大まかなあらすじ

この三点だけを決めて書くことにしています。

この中で一番決めることが難しいと最近特に感じるのは、二番目の最低限描写しなくてはならないことを決めるときです。

どの段階でどの程度情報開示するかは全て筆者に委ねられています。わたしはミステリーを描いているわけではありません。

しかし、すべての物語は多かれ少なかれ謎解きの要素を持っていると思っています。

 

だからこそ、此処でどの程度情報開示するべきか相当に頭を悩ませるのです。先日アップした「海のなか」でも、かなり悩ましかったです。

 

皆さんは小説を書いたことがありますか?どうやって書いてますか?よかったら教えてくださいね。

 

なぜ、わたしがこんな記事を書こうと思ったのか、そのきっかけになった本を今度ご紹介したいとおもいます。

 

マニアックな話にお付き合いくださり、ありがとうございました。

 

文中の自作小説はこちら。

 

kuromimi.hatenablog.com

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小説・海のなか(5)

前話はこちら。

 

 

kuromimi.hatenablog.com

 

 

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***

 


 閑散とした駅を後にして、気がつくとわたしは歩き出していた。その感覚は自ら歩いているというより、誰かに導かれて、という感じだった。考えなくても勝手に身体が動いていく。未知の感覚に全神経が集中していた。心地よさがいつのまにか胸を満たしている。こんなふうにつれてきてもらったことがある気がする。誰かに手を引かれて、ずっと昔に。

 不思議な声は海に近づくにつれ、大きくなっていった。繰り返し聞けば聞くほど奇妙な響きだった。無性の響き、とでも言えばいいのだろうか。何度聞いても、男のようにも女のようにも聞こえる。無性のイメージは青とつながっているようにも思えた。揺らめく水面のようにその印象は絶えず変わり続け、捕らえがたい。記憶の中にある青の声と繰り返す響きとが混ざり合って境界が曖昧になってゆくようだ。その様を味わう心地は、恐ろしいような、ふさわしいような言いようもないものだった。

 海沿いにしばらく歩いていくと、船着場にたどり着いた。穏やかな海面の揺れが、船をコンクリに鈍く打ちつけているのが聞こえた。船着場の向こうの海は胸が切なくなるほど美しく煌めいている。向こう側には島も見えた。向島だ。

 船着場の一部は海の方へと長方形に迫り出していた。白い足場と深い海の色のコントラストが目に染みる。

横に二つ並べられた古い木製ベンチには見覚えがある。所々かけてはいるけれど、「手作りアイスクリーム まきの」と読むことができる。

ーーーきっとわたしはここにきたことがある。

 そう思った瞬間、何かが蘇った。

暖かな手の感触、わたしより高い背丈、縮れた白い髪、暖かな声。

「手を離しません」と唱える幼い声。

 何かを忘れているのだ。大切だったはずだ。何にも替えがたいほどに。ーーーそれなのに。嫌だ、思い出したくない。

 周囲の光景が歪んで見える。天地が揺らぎ、耐えがたいほどの耳鳴りに襲われた。

まるであの時のようだ。青とあったあの日、気を失う寸前。

 「あおっ」

 無意識のうちに、わたしは彼の名前を呼んでいる。息ができない。ここに水はないはずなのに。過呼吸の時のように、喉からは嫌な息切れの音がしている。胸が詰まって涙がこぼれた。

赤い。いつのまにか、膝小僧からは血が流れている。どうやらわたしは立っていることを放棄したらしい。

 太陽に焼かれた地面は熱いはずなのに、身体は震えるほど寒かった。寒くてたまらないのに汗が止まらない。

「あおっ!あお!」

 もう、声が出ているのかすら怪しい自分の叫びが他人の声のように聞こえた。視界はどんどんあやふやになっていく。その間にも不安は潮のように容赦なく足元に満ちてわたしを沈め、溺れさせてゆく。

「青…たすけて!」

 すると突然、波が眼前に立ち上がった。視界がまた海に染まっていく。今ならわかる。恐ろしいほどわたしはこの瞬間を待ちわびていた。耳元で激しい水音がする。波に喰われてゆくその最中、胸が震えるような懐かしい感触を覚えていた。

ーーーわたしはこの息苦しさをずっと昔から知っている。

 海に覆われた景色はあの時と同じ色をしている。もう、自分が泣いていることさえわからない。わたしの瞳を濡らすものはもう何もない。

 ああ。わたしは一体いつから溺れているのだろう。

(ツカマエタ)

愛しいはずのその声は、忍び寄るような響きでわたしをいつのまにか支配していた。

 


***

 


 痛みを感じた。

 じわじわと蝕むような痛みだ。

 それは拍動に合わせてだんだん強くなってゆくようだった。ーーーそうだ、あの痣。青い痣が痛む。そういえば今日は一度も確認していない。あれだけ毎日眺めていたというのに。大切なものをないがしろにしてしまったような後ろめたさを感じながらも、わたしは足元を見ることができなかった。なぜだろう。見てはいけない気がした。見てはならないものがそこにはあるような。

 迷っているうちにどんどん痛みは激しくなっていく。まるでわたしを責め立てるように。骨が生きたまま朽ちていくような痛みだった。

みろ。

みろ。みろ。

みろ。みろ。みろ。

見ろ。

「…っ!」

 わたしは思わず恐怖と痛みに悲鳴をあげそうになるが、開いた口からは声が出てこない。次第に見ることを強いる力は強くなって、見ないわけにはいかなくなる。

 もう、見えてしまう。見てはいけないのに。

 ーーー誰かが呼んでいる。

 「…なぎ」

 「夕凪」

 「夕凪!」

 いつのまにか閉じていた目を開けると、そこは海のなかだった。目覚めると同時に口から大きなあぶくがひとつのぼっていく。身体が熱を帯びていた。息が荒い。感覚を取り戻すにつれ、全てが夢だったとようやく気がついた。まだ混乱したままの頭で起き上がり、そっと足を見る。正確にはそのくるぶしを。

 夢だと分かっていてもまだ怖い。足に被ったスカートを少しずつずらすと痣が露わになった。やはり手の形に似ている。少し色が濃くなったような気がした。暗い海の中で肌の白さが際立つせいだろうか。知らず知らずのうちに詰めていた息を吐き出していると、すぐ近くで声がした。

「夕凪」

 顔を上げると、すぐ目の前に何度も思い出したはずの微笑があった。

「青…っ」

  たくさん言いたいことがあったはずなのに、次の言葉をつげない。ここが地上だったなら、わたしは涙を浮かべているのだろう。

  「随分とうなされていたみたいだけれど、大丈夫?」

  まだ声の出ないわたしは何度もうなずくしかなかった。こんなことは初めてだ。泣きたくなって喉が詰まるなんて。

 正面から彼の視線を受け止めると、それだけで幸せだった。彼の慈しむような微笑みはわたしの想像を遥かに超えて美しい。青の美しさは一流の彫り師が仕上げた美術品の美しさだ。けれど、彼が微笑むたびにその完璧さがわずかに緩み、生き生きとした気配が隙間からこぼれおちていくように見えた。

「きっと来てくれるって信じてたよ、夕凪」

  まだ信じられない。想像に溺れて現実と夢の境目がわからなくなっているだけなのでは。本当はわたしは一人きりで…。

 「触るといい。僕はここにいるから」

 青はわたしの手をとると、自分の頬にそえた。ひんやりとしている。その冷たさに安らぎを感じながらも、どこかでは不安だった。ひんやりとした感触はわたしと青が違うものだと思い知らせるようだったから。わたしは青からいつまでも手を離すことが出来なかった。彼に触れている間だけは一人ではなかった。この時が永遠に続くなら、初めて心から幸せを感じることができるのかもしれなかった。けれど、今が満たされれば満たされるほど、喪失の予感は強くなっていく一方だった。

 あたたかさはだんだんと青に吸い取られてゆく。お互いの体温が馴染んで一つになっていく。混じり合ったぬるい温度はどこか懐かしい気配がした。

 冷たさに酔いながら、ただ彼の澄んだ瞳を見つめていた。瞳は漆黒に一雫鮮やかな青を垂らしたような不思議な色をしていた。いつまでも見つめてしまうような奥深い色。青は頬に当てたわたしの手にずっと自分の手を重ねていた。

 「会えてよかった。本当に。神は僕の願いを聞き届けたようだ」

「神様がいるの?」

「ああ。いるよ。……僕は会ったことがある」

 彼の瞳は長い睫毛の下で静かに濁り、光を失っていた。微かな違和を覚えた。神について語る人がこんな目をするものだろうか。

  「君なら神に何を祈る?」

 「わたし…?」

 その時、気がついた。今まで切実になにかをしたいと思ったことがなかったということに。わたしには望みがない。つよい欲望も、なにも。

 「わからない」

 気がつくとそう呟いていた。

 そうか。わたしは空っぽなのだ。

 そんな独り言のようなものが静かに胸の内に降りてきた。その時初めて、わたしという容れ物の中身を目の当たりにしたような思いがした。 

 「いつか、君も何かを欲する時がくる。その時が来たら、海神に祈るといい。あの方はきっと全てを叶えてくださるだろう」

 青はどこかを遠くを見つめているようだった。彼の魂はここではないどこかにある。それなのに青の声には一切の揺らぎがなかった。そう。まるでこの先になにが起こるのか全て見通しているかのように。

 「なぜわかるの?」

 「僕もかつて祈ったからさ。そしてその願いは叶えられた」

 言い終えると、青はまた真っ直ぐにわたしを見据えた。その瞳の深さに思わず息を呑んだ。危ういほどの美しさは魔を宿すようにも思える。あの深みに招かれ捕らえられるならば、きっとこの先何も望むことなどないだろうという気さえした。

 「君は必ず祈ることになる。何かを欲することなく人は生きることなどできない。だから、もう少しだけ。もう少しだけ考えてごらん」

    いつか、わたしも望むのだろうか。この胸の内を臆することなく誰かに訴える日が来るのだろうか。

  「ねえ。夕凪」

 「ずっと、会いたかったよ」

 青の声は柔らかく耳に馴染んでいく。わたしの望みはすでに叶えられているのかもしれない。此処で二人こうしていること。ただそれだけでいいのかもしれない。そんなことを考えながら、尾を引いて消えてゆく綺麗な声に耳を澄ましていた。

 「うん…」

 それでもやっぱり答えは出せない。まだ口にはできない。わたしは求めてしまうのが怖いのだ。わたしは何も持っていないから。

知らないうちに、青の頬から手が滑り落ちてゆく。あんなに離れ難く思っていたのに。ああ、冷たさが遠ざかる。

今のわたしにできるのは、あなたの名前を呼び続けることだけなのに。

 

***

 

海のなか(6)へつづく。

 

次話はこちら。

 

kuromimi.hatenablog.com