KUROMIMIには本が足りない。

KUROMIMIには本が足りない。

活字がないとダメ系ヲタク。小説・音楽・詩・ときどき映画。自作の小説も書いてます。

ゆら帝が素晴らしすぎてそろそろ空も飛べる。

この間運転中、延々1時間半ゆらゆら帝国を聞きながら爆音で歌っていたら、最高すぎてそろそろ空がとべそうなんで、今回は天井知らずなゆら帝への愛を語りたいと思います。

 

※今回かなりうざいです。許して。

 

現在クロミミのアイポットには

「空洞です。」「3×3×3」「sweet spot」「YURA YURA  TEIKOKU   LIVE2005-2009 Disc1」「YURA YURA  TEIKOKU   LIVE2005-2009 Disc2」「な・ま・し・び・れ・め・ま・い」「ミーのカー」「ゆらゆら帝国のめまい」「ゆらゆら帝国のしびれ」「1998-2004」「1998-2004」

が入ってる。これをひたすら全部ミックスして聞いていた。

 

わたしが一番好きなアルバムはやっぱり「ミーのカー」

まじで神曲しか入ってない天国が出現する。ズックにロックの歌詞が好きすぎる。

「あの子は口でバナナ剥いて 食べたらすぐに涙拭いて」というところが好きすぎて友と行ったカラオケで毎回何回か歌う(迷惑)

 

つづく、「アーモンドのチョコレート」も好き大好き。あのどうしようもない快楽主義な世界観がたまらん。あんな風に破滅的でありたい←


ハチとミツも好きすぎる。
リズム感が他にはない感じ。半端なくエロい。どうしよう。あの色気がいつか手に入ったら泣く。

19か20も神。ズンと重い感じのリズムが一体となってずるずる気怠く進んで行く感じがまじでゾンビの音楽感ある。たまらぬ。

てーか、全部好きなんですけどどうすればいいんだ。(壁ドン)←どうもしなくていい。



あと、「3×3×3」っつーファーストアルバムな!たまんねーよあれ!!!

わかってほしい〜発光体までのながれにまじで鳥肌たつ。わたしのなかのパリピが目覚めてしまう。わかってほしい何回聞いても好きだわ〜昆虫ロックもマジカッケェ。

 

てか、最初聞いた時は微妙かも、とか思ってた「sweet spot」も最近めっちゃハマってる。あーーーもう重傷ですわ。これは。タコ物語とか意味わからんけど謎にいいよね。

 

坂本慎太郎が一人でカバーしてる「イエスタデイ・ワンス・モア」(「1998-2004 Disc2」に収録)とかほんま感動しすぎて何度聞いても涙でる。感情がすごくこもった感じの歌声ではないのに、聞いてるこっちは泣かされてしまう。淡々とやってて感動を誘うとか最高に理想すぎる。惚れた。

つーか、日本語歌詞めっちゃいいなって調べたら、日本語訳語が坂本慎太郎だったんですけど。は???神すぎてキレそう。

 

しっとり系のゆら帝の曲といえば、やっぱり「つぎの夜へ」。これ聞くと、半端ない多幸感に包まれて寝れます。好きすぎて歌詞メモって穴開くまで眺めてたからな!!!(変態)

 こんな感じ。

 

 

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ゆーか、常々思ってたんやが、ゆら帝舞城王太郎の世界観にめちゃめちゃ合うと思う。(「ディスコ探偵水曜日」「九十九十九」とか特に。)

あと、絶対に芥見下々「呪術廻戦」のオープニングにゆら帝の「発光体」がぴったりだと初めて読んだ時から思ってんだけど、わたしだけなの???

 

アニメ化するらしいじゃん?

オープニングにゴリ推すわ。

↑だから?

 

 

 

おほん。

 

とにかく、これを読んだ人はここに上がってる曲は全て聴くように。(ウルセェ)ゆら帝を聴かないなんて日本人に生まれたメリットの半分すててるようなもんだからなっっっ!!?

 

 

それではありがとうございました。

 

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詩を書くことはリハビリみたいなもの。

(大幅に改稿しました。)

 

 

今回はわたしにとっての詩を描くことについて語らせていただきます。お付き合いください。

わたしが詩を描き始めたのは、中学生の頃。そのころは日々の鬱憤が溜まりに溜まって描いたものでした。小説も部活の合間にかいてたなぁ。(クロミミは合唱部。)

その頃は、ただ感情の捌け口としてかいていました。

けれど高校になった頃、私にとっての詩が変わった。

その頃から「自分の文体」を模索し始めたからだった。ある時は米澤穂信の文体に影響を受け、ある時はレイ・ブラッドベリ文体を踏襲して習作を書く。

しかしなぜだろう。いつまで経ってもわたしのスタイルが決まらない。大好きな作家たちの文章のように自分の文章を読んでも一向にときめかない。

 

そう悪い文章ではないはずだ。

けれど普通だ、と。

(これは当時は、という意味。今読むと多分目も当てられない。吐く。)

また、表現する上で「普通」というのはただ普通という評価ではない。普通のものは決して人の中に残ることはできない。創作物がが人の心を揺さぶりその印象に残るということを目的としている以上、何らかの違和感がなければ話にならない。

 

普通というのははっきり言って、創作物としては下の下。何の特徴もないゴミ以下。ということになる。

 

多分この頃から薄々気がついていたのだが、わたしが理想とする小説の文章とは、今の一文が次の一文を生み出すような文章である。

ちょうど一本の糸を紡ぐような一体感のある文章を書きたかった。

そんな時に思いついたのが詩を描くように小説の文章を描くこと。頻繁に詩を描くようにすること。

私にとって詩は日常言語からの飛躍をわかりやすく行える表現形態だった。韻律を重視して、リズムに敏感になるからかもしれない。

 

わたしの考えでは小説の言語とは、詩と普段使う言葉とのちょうど中間に位置していると思う。

 

詩は小説よりもさらに言葉の響きが重要視される表現方法だ。

詩を意識することによって、ストーリーを進行することに囚われるのではなく、より言葉の響きを重視しながら描けるように少しずつなっていった。

 

何年もたった今でも自分の文体はなかなか定まらないが、少しはマシになったかな、と思う。

 

詩を描いて分かったのは、わたしは詩人にはなれないだろう、ということだった。多分言いすぎてしまうのだ。いつまで経ってもいいものが書けない。

 

詩という表現形態は本当に「削る」ことを必要とするものだと思う。文章を書く上で、「削る」ことは実は描くよりも圧倒的に能力と気力が必要になる。削る作業のクオリティが文章のクオリティを左右する。そういう意味でも、かなり詩を描くという作業は良い訓練になったと言える。

 

本当に心から詩を書ける人を尊敬している。

 

なので、ブログで詩を描いている時は大体自分の小説に嫌気がさしている時だ。「あ、こいつ煮詰まってんな」と、温かい目で見てやっていただきたい。

 

 

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幸不幸は比べられない。

「〇〇に比べたらわたしなんか幸せだよね。」

 

という感じのフレーズを、生きてきた中で幾度となく聞いた覚えがある。つい先日、職場でもこのフレーズを聞いた。

〇〇には隣人でも、紛争地帯の子供達でも、あるいは肉親でも、とにかく他人であれば何でも当てはまる。

わたしはこのフレーズに幼い頃から違和感を覚えてきた。実は最近までなぜこんなに違和感を持つのかわからなかったのだが、最近はっきりしたので書いておきたい。

 

それは、「幸福も不幸も相対的なものではないから」である。自分が幸福かどうかは他人と決して比べられるものではないからだ。

 

幸福だと感じるのも、不幸だと感じるのも、結局は自分ひとりである。他人は決して感じることができない。せいぜい他人にできることは、相手の気持ちを想像して黙って寄り添うことだけである。

 

「いや、わたしは〇〇の痛みを感じることができる。感じている。」

 

とおっしゃるかたもいるかもしれないが、誤解を恐れずいうのであれば、その考え方は傲慢だと思う。確かに、他人に寄り添うことはできるし、ある程度まで仲が深まれば理解も進むだろう。

だが、忘れてはいけない。たとえ親と子であろうとも人間の全てを理解することなど到底できない。

これはわたしが二十数年生きてきて、実感したことだ。どれだけ明るく朗らかな人でも、決して他人が理解できない部分、踏み入ることのできない部分は存在する。

だからこそ、我々は常に他人に対してある種の「おそれ」をもって接しなくてはならない。

 

わたしはかつて、母や父はわたしを全て理解してくれるもの、と思いこんでいた。

だが二十数年経っても全てを理解される瞬間は訪れない。

当たり前だ。

わたし自身でさえ、わたしという生き物の全てを理解できないのだから。

言語化できる領域というのはごく表層に過ぎない。人間の核心はむしろその奥の奥にあると考える。

 

だからこそ、わたしは小説を描き続けているのだと思う。小説は言語化できないものを理解するためのツールとして最適なのだ。

 

話が逸れてしまった。元に戻そう。

 

つまり結局何が言いたいかというと、

幸不幸は自分が決められることだということだ。

 

どれだけ金と名声を手にしても不幸な人はいるだろうし、どれだけ貧しくても幸せな人はいるだろう。

 

一番大切なのは、「他人から見てどうか」ではなく、「自分がどう感じているか」ということひとつである。ここから目を逸らしてはいけない。

もっと幸福に貪欲になるのなら、まずは自分と対話し、どういう時に自分が不幸か、または幸福か考え続けるべきなのだ。

その思考の積み重ねこそが、人生を幸福に導くのではないか。

小説・海のなか(4)

 

前話はこちら。

 

 

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f:id:KUROMIMI:20200216221301j:image

第三章   盲目的な幸せ

 

 いつもそうであるように、台風はあっという間に通り過ぎて、週末は雲ひとつない真っ青な晴れ模様となった。目の眩むような空の青さを見続けていると、何か途方もなく大きな怪物の口を前に立ち尽くしているような気分にさせられる。きっとわたしには大きすぎるのだろう。

 不意に、ため息が出た。せめて雨ならばよかったのに。そうすれば嵐のあの日感じた快感をもう一度味わうことができたかもしれない。あの日の昂りを忘れられない。嵐は去ってしまった。もう、力を借りることはできない。

 でも、過去に遡っていくうちにこれでいいと思い始めていた。初めて青にあった日ーーーあの日もこんな天気だった。あの日と何もかも同じの方が青に会える気がした。

 寂れた電車の中には溺れたあの日と同じように暖かな陽光が降り注いでいる。安穏とした気怠い雰囲気が車内に満ちて、考える力を失わせるようだ。あの日と何も違わない。ただわたしのそばに誰もいないだけ。

 一人きりでいるとやけに扇風機の音が大きく聞こえた。一人なんて慣れっこのはずなのに。わたしは誰といてもどこにいてもひとりだ。今までも、これからも。

「…青」

 陸に戻ってから幾度となく口にした名前がまたこぼれ落ちてゆく。その呟きは誰に掬い上げられることもなく、電車の軋みの中に消えていった。陸でのわたしの言葉はこんなにも小さい。誰一人、わたしを見るものなどいない。

 早く空白を埋めたい。青に会いさえすれば何かが変わる気がした。海が、青が、わたしを呼ぶから。わたしを心から必要とする人など、きっと陸にはいない。

 正直、本当に青に会うことを自分が求めているのかどうかわからなかった。もしかしたらわたしは快感と充足をもう一度味わいたいだけなのかもしれない。それだけあの数瞬は完璧に満たされていた。あれさえあれば何もいらないと思うほど。嵐の去った後にはただ果てしない飢えだけが残されている。もうどうしようもなかった。わたし一人では。

 不意に視界が黒く染まる。電車は短いトンネルに入ったらしい。もうすぐ目的地に着くはずだ。窓ガラスには鏡のようにくっきりとわたしの顔が写り込んでいた。なぜかその顔にわたしはいつのまにか青を重ねて見ている。あの美しい人とわたしなど似ても似つかないはずなのに。でも、それで十分だった。ほんの少しでも彼を身近に感じることができるなら。そっと額を窓に押し当てて呟く。

「青…」

(はやくきて)

突然聞こえた声にわたしは目を見開いた。窓ガラスの中の「わたし」の口が滑らかに動く。自分の口を手で押さえたけれど、その手はなぜか窓に映らない。これは、わたしではない。

(はやくきて、夕凪)

「青…!」

 驚きのあまり叫んで立ち上がると、同時にトンネルが途切れた。目の前が突然色彩を取り戻した。眩しくて顔をしかめていると、間延びしたアナウンスが聞こえる。海についたのだ。電車の止まる衝撃でたたらを踏み、とっさにポールに縋り付いた。

はあっとひとつ熱い息を吐き出した。何をしたわけでもないのに、息が苦しい。心臓の鼓動が痛いほど内側から突き上げてくる。そう。まるで嵐の日のようだ。他の乗客たちは怪訝な顔でこちらを見上げていた。不審に思われたのだろう。羞恥に顔が熱くなっていくのを感じる。

 正気に戻ったわたしは転がり出るように電車から降りた。降りたった瞬間、潮の香りが全身を包む。身体中が目覚め、欲しているものがここにあるとはっきりわかった。

 耳の奥ではまだ誰かがわたしを呼び続けていた。その響きは確かに、あの日ホームで聞いたあの美しい声と同じだった。電車が過ぎ去った向こう側には海が見えていた。美しい青がわたしを呼んでいる。わたしは誘いにあわせて、また何度も呼び続けた名前を口にした。

***

 

 

海のなか(5)につづく。

 

 

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小説・海のなか(3)

前話はこちら。

 

 

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f:id:KUROMIMI:20200216221401j:image

         ***

陵からメールがあったのは、新学期が始まって数日が経った日の夜だった。それは陵からの初めてのメールだった。海に行く前に陵とはメールアドレスを交換していたけれど、メールのやりとり自体はしたことが無かった。短いメールだった。

「愛花へ。久しぶり。夕凪、昨日退院して明日から学校来るらしいです。一応知らせといた方がいいかと思って。昨日退院前に会いにいってみたけど元気そうだったよ」

「夕凪」という名前が木のささくれのように触れられたくない場所を刺激する。あたしが思いだせる夕凪の顔は俯いている横顔だけだ。もう夕凪と知り合って何ヶ月かが経とうとしているのにあたしは未だに夕凪の顔を真正面から見たことがない。

 特にこれといった特徴のない女の子。大人しくて地味な娘。あの時まではそれが夕凪の印象だった。夕凪がまだ目覚める前、一度だけお見舞いに行った。実はこのタイミングはわざとだった。もしも夕凪が目覚めていたら「大丈夫?」「大変だったね」以上の何を言えばいいのかわからない。いつもなら、こんなどうでもいいこと悩むような性格じゃないのに。その場でなんとかする力くらいはあるつもりだ。

 でも。あの子にとってのあたしはなんだろうと考え始めると、もう抜け出せなくなってしまった。クラスメイトではない。友達ではない。一対一で話したこともないのに友達なんて言えない。けれどただの知り合いというには関わりすぎている。そんな感じ。

 今でも病室で見た夕凪の寝顔をありありと思い出せる。美しかった。ゾッとするほど。ひとひらの血の気さえない白い肌が人間のものではないようだった。幽鬼のように透けて見える白さは異様な存在感を放っていた。侵しがたい何かを纏って横たわる彼女に、ただ恐れを感じた。直感したからだ。

 夕凪が「変わった」ということを。

 何かが決定的に変質し、あたしと彼女の世界は明確に隔たったと感じた。

 お見舞いに行った時は夕凪のお母さんが傍に付き添っていた。お母さんが少し陰りのある笑顔でこう言ったのを忘れられない。

「心配してくれてありがとう。あの状態で怪我ひとつなかったのは本当に奇跡だったとお医者さんからも言われたのよ。本当によかったわ。あとは目覚めてくれさえすればいいんだけれどね…」

 違う、ともう少しで言いそうになるのを堪えた。なぜ気が付かないのか。こんなにも違っているのに。こんなにも、身の毛がよだつのに。

 「…早く、目が覚めるといいですね」

 言いながらもう一度注意深く母の様子を観察してみた。何かを隠しているような様子はないように見える。やはり娘の変化に気がついていないのか。それとも、あたしがおかしいのか。夕凪が変化したと思っているあたしの感覚こそが間違いなのか。

 実のところ全くと言っていいほど自分の直感を疑う気にならなかった。なぜか昔から、あたしのこういう直感は外れたことがなかった。

 とにかく一刻も早くこの場を立ち去ってしまいたかった。長く居座ればきっと毒されてしまう。この気の狂いそうなほどの美しさと清らかさに。強い畏れは同時に深い陶酔を呼び寄せる。蝕まれてしまう。

「本当に来てくれてありがとう」

 目の前の光景に捕われて立ち尽くすあたしの態度をどう受け取ったのか、両手はいつのまにか夕凪の母の手に包み込まれていた。じっとりとした暖かさが無遠慮に入り込んでくる。一瞬何が起こったのか理解できなかった。動揺を隠せない。目の前で女の紅をひいた口がいまにも動こうとしていた。ああ、もう次につづく言葉がわかる。

「あのっ、そろそろ失礼します。早く元気になるといいですね」

言葉が出で来る前に断ち切った。ほとんど振り払うように手を離すと、逃げるように病室を後にした。逃すまいとするような、すがるように見境なく粘着質な夕凪の母の気配がまとわりついていた。見てはいけない他人の事情を垣間見てしまった。知らない方が幸せだった。あの時に感じた後味の悪さをいつまでも引きずっている。今でもまだ。

 窓辺から流れ込んでくる夜気の意外な冷たさが不意に意識を現在へと引き戻した。どこかで虫が夏の名残を惜しむように鳴いていた。ブルっと震えが来た。体が冷えたのかもしれない。けれどもう少しだけ風を感じていたかった。庭先はまだ湿り気のある緑の匂いと潮の香りが混ざり合って独特の香気に満ちていた。夏が終わろうとしている。あたしの好きな季節がまた去っていく。夏の芳しさを胸いっぱいに吸い込むと切ないほど幸せだった。でも、やっぱり誤魔化せない。心地よさで忌まわしいものを遠ざけようとしている。

 陵は気がついているのだろうか。夕凪の変化に。ーーーいや。気がついていないのだろう。多分。文面に再び目を落しながら思った。気がついていたらこんな文章は打てない気がする。改めて眺めるとそっけない文章だ。いつも愛想がいい陵らしくないような気もする。男子の文章なんてこんなものなんだろうか。空白が無言の拒絶のようにも思えてきて、捉え所のない不安があたしをとらえた。誰かに対してこんな気持ちになるのなんて初めてだ。こんな気持ちになってしまうのはやっぱりあの日の陵を見てしまったからだろう。

 脳裏には夕凪が溺れた日の陵があまりにも鮮明に焼き付いていた。一番最初に夕凪が溺れたと気がついたのは陵だった。気がつくや否や、陵は一目散に近くの交番に駆け込み救援を求めた。異常なほどの必死さだった。盗み見た横顔の力強さが目を惹いて、じっと見入ってしまった。

 あたしの知る陵は感情をあまり表に出す少年ではなかった。みんなに優しいし愛想もいい。けれどいつも誰にでも一線引いていて、決してタガを外すことなどない。だからこそあの日は異常だった。あんな情熱が潜んでいたなんて、知らなかった。まるで硬い外殻を破り捨て、まったくの別人が中から現れたかのような。あの時、あたしは陵の本性を目の当たりにしたに違いなかった。

 あの日からどこかで考えてしまう。陵の執着の矛先があたしだったなら。彼が必死になるのがあたしだったら、なんて。

 夕凪の眠っている様子がまた頭の片隅で蘇った。夕凪が変わってしまったと陵が知ったなら。一体どんな顔をするだろう。

 考えるだけで恐ろしいような気分だった。もっともそんな瞬間が来ることはきっとないだろうけれど。いつも無表情な夕凪の顔を思い出す。喜怒哀楽に乏しい生白い顔を。知らない間に募る嫌悪はあたしを嫌な生き物に変化させてしまう。

「あの子が嫌い…」

夕凪が嫌い。

 呟いてみたけれど、違う気がした。自分の中には言葉がない。怖い、といった方が正確だろうか。いや、これも違う…。気の遠くなる繰り返しはいつまでも続いて憂鬱さが沈み込む。胸の底に吐き出せない泥が溜まっていく。もうすぐ夕凪が学校に来る。たったそれだけのことで心がざわついてしまう。

 もうすぐあたしの季節が終わる。夏は陰り秋を通り過ぎてやがて冬がやってくる。冬は嫌いだ。あたしから活力を奪っていく。むかしからそうだ。

 また体の奥から震えがくる。剥き出しの二の腕に触れると冷えて鳥肌が立っている。秋はすぐそこまで迫っている。無視しきれない。

 窓を閉めると室内は無音になる。葉の擦れる音も虫の声も全てが遠ざかる。耳鳴りがしそうなほどの静けさのせいか不安はだんだん膨らむようだった。

 黒い窓ガラスに自分の顔が映っていた。他人を蔑む女の顔は醜い。深く沈んだ泥はまだ吐き出されないまま、ずっとあたしを不快にさせる。いつかそのまま腐ってしまうのかもしれない。

明日が来なければいいのに。

明日が来たらあたしはもっと嫌なやつになってしまうだろう。

 夏の終わりを惜しみながら、あたしは予感した。あたしの季節が終わる頃、何かが起こってしまうだろうと。それは願っても外れそうもない、たしかな予感だった。

 

(第二章おわり。)

 

 

次話はこちら。

 

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一生ものの詩に出会った。

最近私は気がつくと一人の作家のことを思ってしまう。

それが、工藤直子

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工藤直子というと表題にもある「てつがくのライオン」が一番有名かと思う。もちろん私も好きだ。けれどもっとお気に入りの詩がある。まずは引用させていただきたい。

 

「夜光虫」という詩だ。

 

水がゆれると

砂金のようにはらはら散るという

夜光虫のはなしを

静かな飲み屋できいた

 

南のあたたかな夜の海を

あなたは

宿題も西瓜もわすれて

どこまでも泳いでいったという

水をかくたびに指の間からこぼれる

光を見たさに泳ぎつづけたという

 

その夜

わたしの心の中を

あなたはたくさんの夜光虫をしたがえ

王さまのように通りすぎていった

 

(『詩の散歩道 てつがくのライオン』工藤直子・著   理論社  1995年 より引用。)

 

 

夜光虫を読んでいると、あたたかい腕の中で抱きしめられているような幸せを感じる。まるで自分が大切にされていると分かったときのようなあたたかさだ。

 

この詩はきっと大人の女の詩だと思う。

「あなた」というのが大人なのか子供なのかは、はっきりとはわからない。

ただ、胸が切なくなるほど語り部であるわたしが「あなた」と呼ばれる存在を愛おしく思っていることがわかる。

(決して強い言葉など使っていないのに。この想いの存在感はなんだろう、最初読んだ時は衝撃だった。)

 

そうして大人である女は静かな飲み屋でふんわりと酔いながら、どこまでも泳いでいく愛おしい存在について思いを馳せているに違いない。

 

こういう時、こういう作品に出会ってしまった時、本当に敵わないものを感じてしまう。

愛おしい、大切だ、愛していると一言も言わないのにはっきりと伝わるこの感じ。

そして、決して描きすぎないこの余白のある文章。

まさに 

素晴らしい

の一言に尽きる。

 

 

わたしはまだまだまだまだまだ安易な言葉に頼っていたな、と反省した。(無論、プロとわたしなど比べるべくもないのだが。こんな弁明をすることすら不遜だろうか。)

 

美しいと思ったならどう美しいのか、奇妙だと思ったのならどのように奇妙か、誰かが誰かを憎んでいるなら、あるいは愛しているなら、どのように世界はその人の目に映るのか。

わたしはもっと描かねばならなかったのだ。もっと思い巡らせなくてはならなかった。

 

無論、詩と小説では違うところもたくさんあるだろう。しかし、これから先、小説を書くときの意識は間違いなく変わるんじゃないかと思う。

 

 

ともかくもっと足すことばかりでなく削ることに力を注ごうと心に決めた夜でした。

 

 

ちなみにこの詩集には他にも秀作がたくさん。

 

パリに行きたいクジラ

夕焼け

こわがりのときの海豚

日暮れ

 

などなど。

当詩集は残念ながら絶版ですので、気になる方は図書館で借りてみてください。わたしも図書館で借りました。

 

この出会いはきっと一生忘れられない。そんな予感がするのです。

 

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小説を書くことは浄化作業。

どうも。クロミミです。

 

今回は私にとっての小説を書くことと、なぜ最近小説が書けていないかについて言い訳したいと思います。暇なら付き合ってください。

 

最近は本当に少しずつではありますが閲覧してくださる方が増えてきて嬉しいです。

 

今までこういう場に小説などを書く機会がほとんどなかったので一人でも私の書いたものを読んでくれるひとがいると思うと何だか嬉しくってムズムズします。ネットってすごいなあ。

 

思い返すと、私が小説を書き始めたのは小学校三年生の頃でした。なぜかというと、授業で「物語を描きましょう」というものがあったから。実はあのカリキュラム今でもあるんですよね。漫画のシュガシュガルーンに影響されて魔法使いと女の子のお話を書いた覚えがあります。

 

そこから始まってまあ、なんだかんだズーーーっといままで書いていたのですが、今年就職してからこちら全く書かない状態が約半年ほどありました。

 

そうしたら、気がついたんです。

なんだか自分が結構不幸な気分になっていることに。このとき、自分にとって小説を書くことはライフワークだったんだなぁ、って思いました。私にとって小説を書くことは自分の浄化作業でもあったわけだ。

 

これはいけない、と思いつつ小説を書くことに踏み切れない自分がいました。小説を書くのはものすごく体力がいるから。疲れる。新卒として働き、ヘトヘトな私にそのような余力はありませんでした。

 

何か、私を頑張らせる状況を作らねば…!と思った結果思いついたのがブログに書いていくこと。実はクロミミ、リップスというコスメのレビューアプリにも投稿しているのですが、なんだかんだ一年以上投稿が続いています。

 

飽き性の私がなぜこんなにも続けることができたのか考えていくと答えは自ずと出ました。いろいろな人が見て反応を返してくれるからです。

 

そんなわけでこのリップスと同じような状況を小説執筆に置いても作り出せれば、私は小説を書き続けられると思い、このブログを始めたのでした。

 

 

さて。

現在当ブログで連載している「海のなか」という小説ですが(二回しか連載してないくせに連載とか笑う)執筆が思うように進んでいません。

 

もともとがっつりプロット練ってから書くタイプなので遅筆ではあるのですが、それにしても遅い。

自分でもイライラしてくる。

 

なぜかというと、次に書くシーンが自分が当初思っていた以上に全体に影響を及ぼすものだと気がついてしまったことが一点。そして、それに関連してキャラの設定や進行をも練り直しているから。全体の見通しを変更しつつあります。

あと単純に過去の自分の文章がクソすぎて読めない。恥ずかしいとかじゃなくて純粋に苦痛。小説書く人には分かってもらえるんじゃないかな。何度も経験しているとはいえ、辛い。

なんで書いたばっかの時はあんなに自信満々なんだろう…あの万能感返せ。

 

そんなこんなでかなり時間がかかりそう。

いい文章書けたときとか、なんで書けたのかわかんねーわマジで←荒みかたが雑。

 

本作「海のなか」は長編ですので気長にお付き合いいただけますと幸いです。

 

それではだらだらと長い言い訳を聞いてくださってありがとうございました。

 

頑張って書くぞう。

なお、クオリティーは自己満なので保証いたしませんw

 

 

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